無限の砂、凶角の王

お題:冬の大三角

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「――千代ちより、知ってるか。オリオン座はその形を砂時計に喩えられる」


 時計の名を冠する装置はいくつかある。その多くが現在時刻を測定するために使われるのに対し、砂時計は極めて限られた、短い時間を測るためのもの。

 下段に落ちた砂は二度と上段には還らない。ゆえに、西洋においては死のシンボルでもある。


「所説あるがオリオンは女狩人アルテミスに射殺されたんだそうだ。神の血を引くとも言われるくせに不死身じゃなかったらしい」

「可哀想に。誰か彼を蘇生してあげなかったの?」

「古代ギリシャにその技術はなかったのさ。ついでに冥府ハデスにも断られたそうだ」

「あらま。それなら私は近世日本の生まれで……しかも貴方に出逢えて幸せ者ね」


 ――私たちの砂は永遠に落ち切らないもの。


 肩を寄せ合って空を眺める二人の手には奇妙な揃いの刺青があった。アラビア数字の8を横にして、下半分を塗り潰した模様。――まるで砂時計を横たえたような印。

 その紋様は、無限大の記号にも似ている。




 ***




 あれは……いつだったっけな。長く生きてると時間感覚なんてもんは鈍っちまうのよ。

 とりあえず、ざっと二百年ばかし昔だ、俺がのは。


 ……ハハ、驚いてるね。実はこれでも死体さ。つっても細胞の状態は生前とほぼ変わらないし生体と同じように代謝もある、飯も食うし息もする、ほぼ生きてるっつっても過言じゃあない。

 俺はこの状態をトコシエと呼んでる。

 世間のイメージに一番近いものを挙げるなら「吸血鬼」かな。摂取するものは血じゃなくてもいいんだが、要は生きた人間から生命力を奪って己のものとし、老いない身体と永遠の命を手に入れた存在さ。

 だからトコシエ。いいネーミングセンスだろ?


 かつては俺も生きた人間で、そしていわゆる忍者だった。

 おたくさんの忍に関するイメージがどうだかは知らないが、あれは一種の科学結社だ。医学、薬学、生化学、機械工学、エトセトラ……まあいろいろと研究している。その集大成がいわゆる忍術ってやつだ。

 自分たちだけで独占せずに一般公開してりゃ、この国の科学は実際の歴史よりちょいと早く進んでたかもしれない。当時からそれくらいには進歩的だった。


 ただ思想の方はむしろ保守に凝り固まってたんだな。

 だからさ――彼らは俺を、トコシエを受け入れなかった。ひどいもんだろ、元は仲間だったってのに、一方的に俺たちをこの国から排除すると決めちまったんだ。対話も何もあったもんじゃない。

 わざわざ組織名を「永に時を刻む者」の意を込めて『きざみ衆』なんて改めて、俺たちに敵意を示してくれたよ。


 俺は〈最古の永〉。総てのトコシエの長であり、生みの親。

 死者をトコシエに変える疑似蘇生忍術の考案者にして――その最初の被験者だ。


 俺は信頼を大切にする性質でね。自分が死んだときも、相棒が何の疑念も抱かず、俺の遺書にある手はずどおりに取り計らってくれると信じてたよ。

 だから仲間のために危険な任務に臨んだし、その結果として命を落としたんだ。

 信じてなきゃできるかよ、そんなこと。蘇ったって死んだ瞬間の痛みを忘れるわけじゃあないだろ。


 まあ実際このとおりトコシエになったわけだから、相棒はちゃんとやってくれたよ。手落ちはなかった。

 誤算があったとすれば――俺が再び起き上がったとき、見守ってくれていたはずの相棒が悲鳴を上げたことだ。何て言ってたかな、……こんなことになるなんて思わなかった、知っていたらやらなかった、とかどうとか……。


 ひどいよなぁ。せっかく生き返ったのに、喜んでくれなかった。

 人を化け物扱いして、自然の摂理がどうのと喚いて、もう一度死んでくれと言うんだ。あまつさえ俺に武器を向けたよ。あいつ、恐怖か悲嘆か知らんがわんわん泣いてたね。俺も泣きそうだった。

 仕方なかったから殺したよ。命のストックにさせてもらった。


 で、そこから今までずっと、古い仲間の後継に追われ続けてるってわけ。いやー我ながら難儀な第二の人生送ってるわー!

 まあでも結構楽しくやってるよ。一人じゃあ寂しいからさ、こうして仲間を増やしてる。俺たちの考えに賛同してくれない子までは面倒見れないから、そのへんに放置するしかないけどね。

 そういうのは刻衆が勝手に処分してくれる。


 蘇生したあと何もせずに放置すると、自我も理性も飛んじまって、目についた奴を片っ端から食おうとするようになっちまうんだ。

 その保全処理をしてやれるのは仲間になった子だけ。


 さて、長くなったが説明は以上だ。


 君はどうしたい?

 このまま俺の仲間になるか、怪物になって忍者どもに殺されるか、好きにしていい。

 ただ後者を選ぶなら、家には帰らないことをおすすめする。殺したいほど憎い家族がいるなら話は別だがね。




 ***




 男はソファーに腰かけ、優雅な手付きでショットグラスを傾ける。一仕事終えた後にアルコールを求めるのは人も死体も変わらない。

 足許には血痕がべたべたと散っていた。かなりの量だが、周囲に死体はおろか怪我人らしい姿もない。血の付いた手で這いずったと思しき、かすれた赤黒い手形は、ドアのところまで続いていた。


 キイ、と小さく軋みをあげて扉が開く。

 入ってきたのは男女一組。地味な黒のロングコートの少年と、西洋の貴婦人めいたクラシカルなロリータファッションの女だ。少年のほうは扉のすぐ傍で足を止めたが、女はすたすたと迷いのない足取りでソファーの男に近づいた。


「ただいま、こう

「おかえり。というか、俺に言わずにどこ行ってた? しかも久遠くおんを連れてか?」

「ううん、出かけたときは私一人よ。久遠とは帰りに会っただけ」


 ね、と女が振り返って相槌を求めると、久遠と呼ばれた少年は小さくかぶりを振った。


「僕は千代ちより様を探していたんです。ところで床、掃除しますか?」

「頼む。……まったく幸先悪いね、今年最初の勧誘はスカだ」

「あら~。お互い今日は不発だったのねえ」

「お互い?」

「ああうん、私ね、刻衆の家に行ったのよ。今年こそ親子三人に戻りたくって。でもダメねえ、当人から断られちゃったし、それに色々と手荒い歓迎を受けたわ」


 ロリータ服の女・千代は残念そうにそう言って、劫の隣にすとんと腰を下ろす。よく見れば彼女の衣装は端々が破れたり血が付いていた。

 久遠が血まみれの床を拭いているのを眺めながら、劫は千代の肩を抱き寄せて、宥めるように額を寄せた。


 三人はすでに一度死んでいる。そして人智を超えた技で形ばかり蘇生され、人の命を啜って活動するトコシエという妖怪である。


 劫はその始祖。千代は彼の思想に共鳴し、自ら無限の存在となることを望んだ。

 久遠は後から加わった仲間で、入れ替わりの激しい――狩られては補充してを繰り返している――彼ら『非時トキジク』のメンバーの中では古株にあたる。

 死んだ時点から外見上は歳を取らなくなるため、劫と千代は二十代、久遠は十代半ばほどに見えるが、実年齢はいずれも百を超えている。


「無茶すんなよ。あいつら全員を相手にすんのはきついだろ」

「殺し合いをする気はなかったのよ。それは向こうもわかってたみたい、お正月だものね。……ああでも一人だけ殺しちゃった?」

「煮え切らない言い方だな」

「直接は殺してないの。あのね、新人の子がトコシエだったのよ。しかも知ってて子飼いにしてた感じじゃなくて、正体を隠して仲間になってたみたい。だから今ごろはもう彼ら自身の手で処分されちゃったかも。でなきゃ実験動物にされてるわね」

「へえ、面白いな。そいつを連れ帰ってほしかった」

「ダメよ、娘が優先でしょ」


 永遠に等しい命を手に入れた怪物の夫妻は、長らく満たされなかった。死なず、歳を取らず、いつまでも若い姿のままで好きな服装や食事を楽しめる身体でも、たったひとつだけ成せないものがあったのだ。

 世の多くのカップルが望むもの――子どもができないのだ。


 いくら疑似的な代謝があっても、それで愛を育む行為の真似事をしたとしても、新しい命だけは作ることができなかった。単に一度死んだ身体だからか、それとも神とやらが唯一彼らに与えた罰だったかは定かではない。

 とにかく二人が永久とわの愛を誓い合って百年以上が経ったころには、さすがに子作りは無理なのだと互いに理解し受け入れた。しかしそれは、子どもそのものを諦めようという意味では、なかった。

 つまり――仲間を作るのと同じ要領で、我が子をことにしたのだ。


 二人はまだ右も左も分からぬ幼い少女を攫って、自分たちの娘として育てることにした。

 殺せばそれ以上は成長しなくなってしまう。子育てを経験したかったこともあり、ちょうどいい歳ごろになるまで、敢えて生きたまま傍に置いた。

 もちろん娘の生みの親はもういない。自我のないトコシエ化して野に放てば、刻衆が勝手に始末してくれる。


 時間にしてほんの何年かの幸せな毎日だった。

 けれど、ある日娘は刻衆に奪われた。彼らは『救出』などと宣っていたが自分たちにとっては強奪以外の何物でもなかった。傷つけたわけでもない、実の親以上に大切にし、可愛がっていた娘だったのだ。

 トコシエ化していなかったのが幸いして処分はされなかったが――こちらが彼女を諦めなかったのを察してか、彼らは娘を忍の一員にした。わざわざこちらを敵と見做すように教育したのだ。

 お陰で年月を経るごとに、娘が自分たちを見る目が冷たくなっていく。


「もう私たちのことを親だと思ってないかもしれないわね。だいぶ大きくなっちゃったし……」

「高校生だっけか? ……なあ千代、なんなら別の子を探そうか」

「いやよ。それじゃ誰でもいいみたいで潔くないし、三人で一緒に暮らしたあの日々まで否定するみたいじゃない……私たちの娘はあの子よ。あの子にもう一度ママって呼ばれたいの」

「うん……もちろんその気持ちは俺だって同じだ」


 二人は互いの手を握り合いながら、深く溜息を吐いた。


「……もう時間がないわ。十代のうちにあげなきゃ、かわいいお洋服が似合わなくなっちゃうし」

「そうだな。ちょっと気長にやりすぎた。……久遠」


 ふいに名前を呼ばれた少年が顔を上げる。床の血痕はすでに拭い終わっていたが、ついでに戸棚やら観葉植物やらの整理整頓をしていたところだった。几帳面な性格なのだ。

 なんでしょうか、と姿勢を正して答えた久遠に向かい、劫は続ける。


「奴らの予定を調べてくれ。目障りな奴だけ潰して、充分に戦力を削いだところで娘を奪還する」

「今のままだと単純に奪い返しても連れ戻されそうだものねぇ」

「かしこまりました。……しかし、もういっそ皆殺しにすればよろしいのでは?」

「いやいや。奴らが後始末してくれないと俺たちだって静かに暮らせないんだぞ。みんなが素直に俺の仲間になってくれるわけじゃないし」

「……解せませんが、そのようですね」


 久遠の眼は床の上をなぞった。あの血痕の主は今ごろ外で誰かを襲っているかもしれない。

 劫に従い〈非時〉の一員になればそんな憂いもなく、穏やかな無限の生を享受できるというのに、愚かなことだ。なぜ逃げるという選択肢があるのかすら彼には理解できなかった。

 冷静に考えれば分かることだろう。逃亡したところで何の訓練も受けていなければ、忌々しい刻衆の連中に処分されるだけ。


 しかし久遠がもっと解せないのは、千代夫人が見たという新人のことだった。トコシエでありながら宿敵たる刻衆に身を置いているというのはどういう了見なのだろう。

 さらに不安なのは先ほどの主の一言だ。劫はそいつに興味を示していた。


「劫様、……まさかとは思いますが、ついでに件の新人を我らの仲間に引き入れたいなどとお考えではありませんよね?」

「えー、そのつもりだったんだが。ダメか?」

「どうしてもと仰るなら従いますが、僕は劫様がお作りになったトコシエ以外は認めませんよ」

「ふふ、久遠は忠犬ね」


 くすくす笑う千代に、久遠は肩を竦めた。




 天空の砂時計、オリオン座。彼を殺したアルテミスとは恋人同士であったという説もある。

 その一等星ベテルギウスと、おおいぬ座のシリウス、こいぬ座のプロキオンを繋げば冬の大三角となる。一説では、この犬たちはオリオンの猟犬であるという。


 さて――尽きることのない砂時計に、永久の愛と狂犬を繋いだならば、それは如何なる凶角を成すだろう。


 幾年経ても絶えることのない夜の闇。眩いネオン街のかたわらにも路地裏があるように、決して光の届かぬ場所がある。

 その常闇に集う無限の屍たちの、邪悪な企みが始まろうとしていた。



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