冬の5題マラソン参加ログ

ゾンビボーイは限定肉まんの夢を見るか

お題:マフラー

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「うぇッ、ふぇっくち!!! ぇっくしょ!!」


 かわいいようでかわいくない大音量のくしゃみが、朝の澄んだ空気をぶち壊す。

 続いて「ぬぇ〜い……」と珍妙な余韻。ひどくオッサンじみてはいるが、その主は腐っても現役女子高生であったので、声だけは及第点といったところだ。

 息が真白くけむる中、出海いずみは苦笑しながら振り返った。


 彼の斜めうしろで女子高生が顔をくしゃくしゃにしている。鼻のてっぺんを童謡のトナカイよろしく真っ赤に染め、水っぽい音をわずかに漏らしながら、刹那せつなは未だに小さく呻いていた。


「大丈夫? 風邪?」

「ん〜ん〜、くのいちは風邪引かにゃい」

「いや声ヘロヘロじゃん」

「うー。いや、今年めっちゃ冷え込むから、単純に寒いだけ……うん、断じて風邪では……さッむぅ〜……」


 現代JKニンジャガールはかくのたまうが、覇気のない表情でぷるぷる震えながらでは説得力に欠ける。


 そう、忍者。忍びの者である。

 今はセーラー服にライトグレーのダッフルコートという平凡な出で立ちだが、彼女の正体は時代劇やアニメや漫画やゲームでお馴染みの、日本が誇る古の伝統芸能NINJAなのだ。

 といっても、夜になればいわゆる忍装束姿になる、なんてことはない。あれはあくまでフィクションにおけるパブリックイメージで、彼女曰く「リアルであの恰好してたら一発で忍者ってバレるっしょ、てか和服だけで目立つし」。まあ確かに。

 そのくせ忍術と称して魔法めいた派手な技をしれっと披露したりもするが。それは人目を引いてもいいのだろうか。


 ともかく非現実の世界に生きている彼女も、表向きは単なる学生。ごく平凡な普通科の公立高校に通い、当然くのいちだと公言してもいないので、運動神経がやたらいいだけの一般女子生徒として扱われている。

 対する出海は容姿ならびに学業スポーツの成績のいずれも地味かつ凡庸で、スクールカースト中の下といった具合だ。ニンジャ云々の前にそもそも女子との接点自体が薄かった。


 ところが現実はこれこのとおり、二人仲良く並んで登校中である。

 天文学的確率の奇跡によって出海の彼女いない歴イコール年齢の宇宙法則がとうとう覆されたのか? ――いや、始まりは間違いなく一片たりとも疑いようのない、完膚なきまでの悲劇だった。

 と、いうのも。


刹那セツ、これ使って。良ければあげる」


 出海はそう言って、自分が首に巻いていたマフラーを外した。困惑気味にそれを受け取った刹那は、そっと裏返してタグの『カシミヤ・ウール混紡』表記に目を輝かせる。


「おー、あったかそー……でもこれさ、実家から送られてきたって言ってたやつでしょ? もらっていーの?」

「あーうん。全然寒くないし。捨てるのもどうかと思ってとりあえず巻いてただけだから」

「……、そっか。じゃーありがたく」


 少し溜めを置いて頷いた刹那が、もそもそと首にマフラーを通す姿を見て、出海はちょっぴり満足していた。


 この落合おちあい出海という少年は、実は一度死んでいる。それも目の前の亥刀いわき刹那の手によって命を落とした。

 それ自体はまったく不運な事故だった。

 ある春の日の月曜日の朝、たまたま二人が出逢わなければ――もっと言えば出海がわざわざ曲がり角で待ち構えず、また刹那が口に咥えていたのがテンプレ通りの食パンであったなら、あんな悲劇は起きなかったろう。

 だが過ぎたことを言っても仕方がない。過去は変えられないし、死んだ人間は生き返らない。


 ……そう、出海はたしかに非業の死を遂げた。今はこうして通常どおりの生活を送っているように見えるが、決して時間が巻き戻ったり、スーパードクターの手で蘇生したというわけではない。

 今の彼を生かしているのは、刹那が忍術によって分け与えた、彼女自身の生命力なのだから。


 他者の生気を喰らって活動する死なずの屍、刹那たち忍者がトコシエと呼ぶアンデッド――それが今の出海だ。見た目も記憶も生前のままだが、刹那が傍にいなければ心臓が止まって倒れてしまう。

 それでただの死体に戻るならまだマシで、最悪の場合は自我や理性を失い、ゾンビものパニック映画よろしく無差別に人を襲うようになる。

 そうなればただの災害だ。世の平和を乱す怪物として再び処分ころされ、永遠に闇へと葬り去られる。


 事故の責任を取るべく、刹那は出海のコードレス充電器になった。そのためにつかず離れず傍にいなくてはならず、出海は生家を離れて彼女のマンションの隣室に引っ越すことになり、登下校までべったり一緒というわけだ。


 ほぼ死体だからか、身体の感覚は鈍くなった。暑さ寒さもあまり感じない。

 だから、独り暮らしを始めた出海を気遣って母が送ってくれた上等なマフラーも、その柔らかさや暖かさを享受できないのだ。持ち腐らせるくらいなら必要な人間に与えたほうがいいだろう。

 男ものだから色味は渋いかもしれないが、刹那は満足げに頬を埋めている。カシミヤ混の肌触りを堪能しているらしい。


「あったかい?」

「うむ。あと、ちょっとだけ出海ズミのにおいがする……」

「えっ」


 思わぬ言動にどきりとして、そういうときは死体でも少しは顔が赤くなったりするのかもしれない。心臓が動くかぎりは血流もある。

 身体が腐らないように、生きている人と同じようにものを食べて栄養を摂っているし、だから最低限の代謝だってある。それでも体臭を感じるほどの分泌物なんて、もう出ていないかと思っていた。


 それに刹那の声音が、なんだか少し、嬉しそうに聞こえたから。


「お、俺の匂いって……」

「んー……、体臭っていうか、……死臭?」

「言い方」


 俺のときめきを返せチクショウ。


 刹那はこういう人間なのだ、飄々として自由気ままで、ときに突飛な言動で相手を大いに振り回して、本人だけはケロッと真顔で。

 何も考えてなさそうに見えることもある。逆に、何かを深く考え込んでいるような、物憂げな横顔を見せることも、たまにある。

 捉えどころのない、不思議な少女。


 その独特の空気感に救われることもある。

 なんてったって突然死、家にも自由に帰れなくなって、当たり前だが出海だって最初は本当に愕然としたのだ。何もかもが受け入れがたかった。それまでの平凡な日常を取り上げられ、しかも正体が知れたら追われる身という、あまりにも理不尽極まりない状況だった。

 その切迫した環境でも、本当は刹那だって罪悪感に押し潰されそうなのかもしれないが、彼女は隣でひたすらマイペースを貫いた。出海にとっても無意味な謝罪を繰り返されるより、死体相手に自然体で振る舞ってくれるのがありがたかった。


 本当なら自分を殺した人間なんて憎むべきかもしれない。でもその相手というのがこれだから、恨むのも馬鹿馬鹿しくなる。

 ――そりゃ、ぜんぶを許そうとまでは思わないけどさ。


 あれは不幸な事故。ラブコメに憧れた地味系男子と、常識と銃刀法に縛られない忍者育ちの女子が、曲がり角でぶつかってしまったがゆえの悲劇。

 二人の出逢いは最低最悪サドンデス。そしてゾンビとくのいちの強制二人三脚が始まった。


 生きているフリをするために彼女に依存しなければならない、という究極の口実のもと、美人くのいち姉妹とお隣さん生活を開始。登下校のみならず、毎晩夕飯をご一緒している。急に体調が変わるかもしれないからと定期連絡も欠かさない。

 唯一事情を知っている刹那の義理の姉は、出海にとてもよくしてくれる。ちなみに夕飯および昼の弁当は料理上手な彼女の手製だ。

 出海をとりまく環境は明らかに生前よりも充実している。主に女子成分的な意味で。

 こんな好待遇、以前の暮らしを続けていたら一生経験することはなかった、かもしれない。


「ズミ~、今日の帰りコンビニ寄ろ。このぬくいすべすべマフラーのお礼にチキンか肉まん奢っちゃる」

「え、寄り道はいいけど、礼なんて別に」

「とゆーのは口実で私が食べたい。……ほんとの本命はおでんなんだけどさ、前にうっかり夕飯と被って、シユ姉に怒られた。肉まんならそうそう被んないし、ズミも一緒なら共犯っしょ」

「ああ、はは。俺をダシにしたいのね。了解」


 出海が笑うと、刹那もマフラーに半分隠れた口許を悪戯っぽく綻ばせる。

 その顔が、好きだと、思う。


 彼女は滅多に弱音を溢さない。自分は加害者で出海は被害者だ、という一線を内心で秘かに引いて、その区分をきっちり守っているからだ。

 仮に何かがどうしようもなく辛くなったとしても、絶対に出海にだけは打ち明けない。

 そもそも忍者だ。見た目はどこにでもいそうな女子高生でも、いつだって任務を第一に生きるよう訓練されている。一般人とは別世界に住んでいる。それが使命だと言われているから、出海のようなトコシエをその手で殺すことさえある。

 捉えどころがないのなんて当然だ。出海は刹那のことを、彼女がどんな想いで生きてきたのかなんて、何も知らないのだから。


 そんな彼女がこうして屈託なく笑うときは、冷徹な戦いを背負った忍としての顔を、彼女自身も忘れているように思えるから。


「期間限定きりたんぽまん……」

「何見てんの?」

「公式サイト。きりたんぽをイメージしたもちもちの皮で鶏肉入りの餡を包みました……だって」

「えー美味そう、それ食べたい」

「限定クアトロファルマッジョ味」

「何て?」

「これはチキンの冬季限定フレーバー。4種のチーズがとろーりとろけたソースが……」

「わーやめろー、そんなん聞いたら一個だけにするっていう決意が揺らぐー」

「両方買って分け合えばいいじゃん」

「そっか。……ズミ、私のお金と思ってちょっと割高なやつばっか言ってない?」

「そんなことは……あ、ティラミスまんってのもある」

「だからやめーい! ……いや肉まんから逸れすぎでしょ、あんまんからの派生としても原型を留めてないじゃんイタリアンじゃん」

「ピザまんだってあるだろ」

「あー、あいつのことは五年前に認めてやったよ。でもティラミスまんはダメ。気取りすぎ」

「理由そこかよ」


 などと中身のない雑談をだらだらくっちゃべっている間は、お互いただの高校生でいられる。


 期末試験の結果がどうだっただの、早くも提示されている冬休みの課題の量についての愚痴、年末の予定。明日の天気。今日の夕飯と姉の機嫌。

 見慣れた通学路。道ゆくサラリーマンや、犬の散歩の人。工事中の看板。その裏を走り去っていった野良猫。

 まさに話題に上がっていた、帰りに寄る予定のコンビニの前を通って、さっき調べた新商品の取り扱いがあるかどうかチェックしたり。


 のんびりしすぎて時間が危うくなり、最後は二人でわたわた駆け出した。さすがに刹那のほうが足が速くて、ちょっとついていけない出海に、細い手が伸ばされる。

 指先に感じるかすかな冷たさが、今は嬉しい。


「あれ、ズミの手わりと温かい。今日から手ぇ繋いでく?」

「えっ!? ……いや、誰かに見られたら絶対揶揄われるか死ぬほど追及されるから!」

「ふは、いや、冗談だし。……嫌ではないんか」

「何か言った?」

「んーん、なんも。急ご!」


 日常を満たす何気ないものたちが、険しい非日常から二人を守ってくれる。

 だから、なるべくくだらない話をしよう。帰り道に買い食いするような、いかにもベタで青春っぽいことこそが、きっとこの身体には何よりもの栄養になる。

 五感がいつまで保つかはわからない。そのうち何を食べても味なんかしなくなってしまうかもしれないけれど、それまでは。……いいや、そうなってしまったあとだって、きっと。


 ――隣で刹那が笑っていてくれるなら、美味しいと思えるはずだから。




 なおその後、手を取り合って大慌てで校門をくぐる姿をばっちり目撃された出海は


「あれ他クラスの女子だろ、てめーどうやって知り合った!?」

「俺たちを出し抜くとは裏切り者め……!」

「どういう関係だ? 付き合ってんのか? ……むしろどこまでいった??」

「ハッ……まさか貴様、このごろ弁当が茶色くないのは、あの子の手作り……」

「やっぱり裏切り者じゃねーか死ねぇぇ!!」


 などと学友たちから一日じゅう尋問される羽目になったのだった。

 付き合ってないし、弁当を作ってくれてるのは別の女子大生だし、あと実はもう死んでるけど。……なんかちょっと優越感がなくもないので、悪くはないのだ。



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