おまけ

 思わぬ表情に出海の胸がどきりと撥ねる。同級生の女子から笑顔を向けられるなんて滅多にあることではない。

 何か言おうとして言葉が出てこず、甘酸っぱい衝動に揉まれてもごもごと唇を震わせる少年に、しかし冷淡な事実が口を挟んだ。

 ――落合くん、貴方はもう、人間ではありません。


 突然の人外宣言によく理解が追い付かず、少年はぽかんとして声の主――須臾を見る。

 赤いプラスチック製のオーバル型フレームの中で、鼠色の瞳が申し訳なさそうに震えていた。眼鏡の似合うお姉さんはそのまま静かに首を垂れる。


「この世の理として、死んだ者が生き返ることはありません。刹那が貴方に使った術は、決して魂を冥界から取り戻すようなものではないんです。

 今の貴方は空っぽの人形のようなもの……刹那が生命力を注いだから動けるだけです」

「うちらはそーゆーの、トコシエって言うんだ。ちょい変な表現だけどね。身体は死んでるけど、他人の命を喰えば永遠に動き続けられる……まー要するに化け物の一種だね」

「ばけもの」


 あまりのことに、出海はもつれそうな舌で刹那の言葉を反復するしかできなかった。

 でも――自分が、いちばんよく、わかる。……死んだと思った。首を斬り裂かれているのに、血はとっくに止まっている。というかむしろ、今まさに己の肋骨の内側で、心臓がまったく動いていないのがわかる。

 鼓動が聞こえない。息をして、肺が膨らむ感覚もない。


 ばけもの。もう一度その言葉を繰り返す。


「うちらはきざみ衆って言ってね、わかりやすく言うと忍者ってやつ。女子だからくのいちかな。そんで、現代の忍者の仕事ってのは諜報とかの他に、トコシエ狩りをしてんのね」

「……狩、り?」

「つまり貴方は正体が知れれば、今すぐにでも我々の同胞に殺されます」

「え」

「言っちゃえばゾンビだかんねー。中には理性が完全になくなって無差別に人を襲いまくるのとかもいるし。だから原則、トコシエは見つけたら即殺なんだ」


 死んで、生き返って、また殺される。何それ。何その不条理と理不尽のメビウスの輪。

 呆然とする出海の肩を、ぽんぽんとなだめるように刹那が叩く。


「でもだいじょぶ、責任とって私が護る。っていうか、今んとこ私が生命力あげちゃってるから、つかず離れずでいないとあなた動けないと思う。てことで、きみも刻衆の忍になろっか」

「……わたしの義妹の不手際で、我々の領分せかいに巻き込んでしまい、申し訳ありません」

「はい?」

「うちら刻衆専用マンションに住んでんだわ。身内以外は入れられないから、仲間になってもらわんと。もちろんトコシエってことは隠して……」

「申し訳ないけど、ご家族とは疎遠になっていただきます」

「いや、え、何、どういうこと――」


 そのあと出海少年はくのいち姉妹に連れられて、彼女らの自宅に行った。


 ……いや待っておかしい一行で済ませていい事態じゃない。引き続きパニックど真ん中で立ち往生している出海に向けて、少女らからはさらなる説明が加えられたが、到底すんなり理解できる精神状態ではなかった。


 とりあえす今の出海と刹那の関係は、例えるならスマホとコードレス充電器のようなもの。その効果範囲はせいぜい数百メートル程度と推定され、物理的にそれ以上の距離が空くと、出海は動かぬただの死体に戻る。ぎりぎりセーフの距離を保っていても、それが長時間続けば同じことになる。

 倒れたらトコシエとすぐにバレる。それを防ぐには、ふたりが常に近くにいなければならない。


 と、いうことらしい。


 落合家とこのマンションはいささか離れすぎている。距離の問題をクリアできない以上、今日からこちらで亥刀姉妹の隣人として暮らすしかない。真隣の角部屋が空いていたのだけが幸運だった。

 突然家を出たりしたら両親を驚かせてしまうが、それは彼女らの忍術でうやむやにできるそうだ。……無駄に便利。

 というわけでさっそく須臾がもろもろの根回しをするべく出て行ってしまった。


 残された出海は、刹那と一緒にリビングで待機。


 沈黙が気まずいとかいうレベルではなかった。どうあがいてもふたりの関係は加害者と被害者だ。もはや出海は生きた人間として自宅に帰ることも叶わず、半ば強制的に忍者の世界に仲間入り。

 それも正体を知られたら即殺害サドンデス。ああ、未来は絶望一色――……。


「一応さ、トコシエを殺さないで済む方法ってのを研究してる人もいるんよ。だから、その人がどーにかしてくれることに期待して、その日までなんとか生き延びよう、ズミ」

「ズミ?」

「イズミくんだからズミ。私のことはセツでいーよ、よろしくね。……あと、ごめんね」


 握手を求めながら、最後の最後で、初めて刹那が顔を歪めた。

 飄々と振る舞ってはいても、彼女だって罪悪感がないわけではないのだ。それに加害者であると同時に、命の恩人であると言えなくもない、正しい意味で救われたかどうかは別として。少なくとも出海はまだ、この世に留まっている。


 もう死んでいるくせに指先が震えた。握り返した彼女の手は、血が通って温かい。

 そこから熱が流れ込んでくる。いのちを、奪っている。たぶんそういう感覚なのだろうとわかる。スマホを充電器に繋げたように、借りものの生命が出海に注がれる。

 そのぶん刹那の寿命が縮んだりするのだろうか。だとして、それを彼女はきっと責任と呼ぶのだろう。


「……よろしく、セツ」


 かくして世にも不幸な少年と、うっかり屋さんなくのいちJKのお隣さんラブコメが始まったのだった。



 ……そうだよ。これは当初の出海くんの期待どおりラブコメだったんだよ。きっとね。

 ちょっと血なまぐさくてカオスってるけど守られ系ラブコメだよ。続かないけどね。



 /// おわり ///

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