第6章 海浜都市レオーネ編 第4話(2)

 聖塔の一階にある聖堂は、昨夜の事件の報を聞いて集まった市民達でごった返していた。

 白造りの広間を埋め尽くすざわめきに押し包まれそうになる中、クラウディアの元に人混みをかき分けて一人の青年が駆け寄ってきた。その顔をクラウディアはすぐに思い出す。

「カイル君……」

「クラウディアさん……」

 言葉を交わした後、事情を知る二人の間に降りた微妙な沈黙を振り払い、カイルが言った。

「市長とシャーリィ様が話があるそうです。前まで来てもらえますか?」

「わかった。すぐに行こう。案内してもらえるか」

 クラウディアは即座に応じ、クランツに一瞥もくれずにカイルの後に続いて歩き出す。クランツも慌ててクラウディアの後を追った。

 周囲の怪訝そうな視線がクラウディアの紅い髪に注がれるのを察する中、カイルの案内で人混みを抜け最前の祭壇まで来ると、シャーリィと市長のクラウズが難しい顔をしてクラウディアを待っていた。クラウディアの顔を見ると、シャーリィは深刻そうな表情を軽く崩して微笑んでみせた。

「おはよう、クラウディア。ごめんなさいね、こんな場所に呼んでしまって」

「構いません。それよりシャーリィ様、集会を始めなくてもよいのですか」

 クラウディアの問いには、シャーリィに代わって隣に立っていたクラウズが答えた。

「貴女が来たので、これから始めるよ。その前に差し当たって、貴女に了承しておいてもらいたいことがあってね。事前に説明させておいてもらおうと思って、呼ばせて頂いた」

 言葉に対し、厳しい表情で頷いたクラウディアを前に、クラウズは事情を話しだす。

「既にカイル君達から聞いているとは思うが、昨夜、この町に女の凶賊が現れて、自警団のキーン君を傷害した後、カイル君の家からメリィを誘拐した挙句、その身柄を人質にシャーリィ様を脅迫して神鳥の羽を手に入れた後姿を消し、その過程で君の従者をも傷害した。どこをとっても弁護の余地がない凶行としか思えないが……事はそう簡単ではないらしいな」

 そこまで言ってクラウズはクラウディアに視線を向け、クラウディア殿、と訊いた。

「昨夜の凶手、貴殿の知人だとシャーリィ様から聞いたのだが……確かかね?」

 クラウズの質問に、クラウディアはわずかに視線を下げ、強張った表情で頷いた。

「カイル君達の情報から、彼女が私を探していると聞きました。まだ顔を合わせてはいませんが、心当たりのある者がいます。――私を探しに来る者の心当たりが」

 クラウディアの言葉に、クラウズは、そうか、と小さく呟き、クラウディアを見た。

「なるほど。では、まだ確認は取れていないが、そういう状況であるということで了解させてもらおう。町の皆に説明する際にも、そのように話すことになるだろう」

 そう言って、クラウズは配慮めいた目でクラウディアを見た。

「町を脅かした者が知人ということになれば、当然、貴女にも皆の関心の目が向くだろう。心苦しいが、その点は了承しておいてもらいたい」

「……心得ています。言い逃れをするつもりはありません。どうかご安心を」

 きつく張りつめた声で返答するクラウディアに、隣からシャーリィが声をかけた。

「クラウディア……答えるのが辛いようなら、無理に対応することはないのよ?」

 だが、クラウディアはいつになく張り詰めた声音と表情でそれに答えた。

「シャーリィ様まで何を仰るのですか。言い逃れをするつもりはないと言ったでしょう。自警団の人間として当然のこと、まして私の身内のこととなれば尚更です。どんな責であろうと、私は逃れるわけにはいきません。ここで逃げれば、私は一生ここに戻れなくなる」

 そして、シャーリィに向けて、せめてもの礼儀とばかりに謹厳に一礼した。

「お気遣いありがとうございます、シャーリィ様。ですが私は責任を果たしたいと思います」

「クラウディア……」

 そう言っていたクラウディアの目も声も表情も明らかに尋常ではないことが、クランツには容易に分かった。だが、クランツにはその場では何も言えなかった。

 なおも心配そうな目を向けてくるシャーリィを横目に、クラウズがおもむろに言った。

「では、了承を頂けたところでそろそろ集会を始めましょう、シャーリィ様。あまり長く待たせていると暴動でも起きかねない雰囲気ですからな」

「……わかりました。カイル君、何かあったらクラウディアをお願いね」

 シャーリィは頷き、祭壇の前に立つと、大きく拍手を二回する。白い聖堂の大きな空間に澄んだ音が大きく反響し、ざわめいていた群衆がそれに水を打ったように静まり返った。

 群衆の視線が一心に集まる中、シャーリィは胸の前で両手を重ね、女神に捧ぐ祝詞を紡ぐ。

「天央にまします慈愛の女神よ、我らに貴女の大いなる光輪の加護と、七つの星の祝福を」

 シャーリィの言葉に、その場の全員が目と口を閉じ、黙祷を捧げる。聖王と六星の巫女を教軸に置く、王国の七星教会の祈りの文句だ。クラウディアとクランツもそれに倣う。

 短い祈りの時間を終えると、今度は市長が祭壇に立ち、集まった人々に向けて話を始めた。

「皆、おはよう。さて、こうして集まってもらったのは他でもない、皆に知らせなければならないことがあるからだ」

 その知らせに緊張を見せる人々に対し、クラウズは静かな調子で話を続けた。

「昨夜、この町に夜盗が侵入し、自警団のキーン君を傷害、さらにはメリィの身柄を誘拐し、それを盾にシャーリィ様から霊媒を強奪された。キーン君を始め、直接的に四人の者が被害に遭い、なおかつその夜盗はこちらが条件を呑まない限り、なおもこの町に留まり、加害を続けると宣告してきている」

「その条件っていうのは何なんですか?」

 市民からの質問に、クラウズはクラウディアとシャーリィに一瞥を送ってから、言った。

「この町に滞在している、紅い髪の女――推測からして、ここにいるクラウディア女史に、用があるとのことだ。その夜盗からは、それしか知らされていない」

 クラウズのその言葉に群衆はざわめき出し、いくつもの怪訝そうな視線が無遠慮にクラウディアに向けられる。

「(紅い髪の女つったら……間違いねえよなぁ)」

「(でも、あの女、確か伝説の英雄だろ? 王都襲撃戦で大活躍したっていう)」

「(それが何で夜盗なんかに……何か関係でもあるのか?)」

 徐々に大きくなっていくざわめきを破る、頓狂な声があった。

「お……おい、あんた!」

 声のした方に目を向けると、二人の青年がそこにいた。クラウディアからすれば、二度顔を合わせている青年達だ。一度目は町に入った時、二度目はカイルの結婚式場で。

 ジェフ、そしてラント。もう一人――キーンは重傷を負ってそこにはいなかった。

「あんた、何か知ってるんじゃないのか⁉ あんたのせいでキーンは……!」

「馬鹿、ジェフ、落ち着け! あの人を責めたって仕方がないだろう!」

 暴れ出しそうなジェフを殴って黙らせた後、ラントもしかしまた緊張した声で言った。

「すみません、クラウディアさん。決してあなたを責めるつもりじゃないんです。ただ、あの女の人は明らかにあなたを名指しで探していた。ここにあなたが滞在しているという情報まで掴んで。あなたを責めるつもりはないんですが、何も関係がないとは思えないんです。この町を守る自警団の人間として、何か情報を持っているのなら、教えてください」

 ラントの言葉に、全員の視線がクラウディアに集まる。それを受け止めるように見ながら、クラウディアはしばし逡巡した後、それを飲み込み、意を決したように口を開いた。

「――彼らの言う通りです。その夜盗は、おそらく……私の元身内です」

 その言葉にざわめきが一層大きくなる。クラウディアは深刻な声音で続けた。

「彼女は、私と同じ村で育った戦災孤児で、私と同じ、魔女の血脈でした。私達は十二年前、住んでいた村を焼かれ、散り散りになった。そして今、彼女は昨夜のような凶行に及ぼうとしている。――彼女の故郷を焼き滅ぼした、人間への復讐のために」

 その言葉に、赤熱していた群衆が一旦静まり返る。しかし、沈黙を破ったのはまたしても思慮の至らないジェフの声だった。

「何だよそれ! あんたらの故郷を焼いた奴と俺達は別物だろ! 何でそんな筋違いな恨みで俺達が危ない目に遭わなくちゃいけないんだよ! そもそも、あんたも魔女の子だって言うんなら、あんたも何か腹に溜め込んだりしてるんじゃないのかよ! 村を焼かれて、憎らしくないわけがないんだろ! 言いたいことがあるんならはっきり言えよ!」

 自制心を失ってがなり立てるジェフのその言葉が、決壊点だった。

 ラントが全力で暴れるジェフを抑え込む中、クラウディアが拳と唇を引き結び、カイルが収拾のつかないまでざわめきの大きくなった人々に制止の声をかけようとしていたその時、鏡でできた太鼓を叩くような大きく澄んだ反響音が聖堂内に響き渡り、暴れ出しそうになっていた群衆を黙らせた。誰もが何事かと様子を窺う中、

「――いいかげんにしろよ。何も、知らないくせに」

 意思を現象化する円盤を手にした少年の、静かな怒気を孕んだ声が、聖堂の中に響いた。その異様な威圧感に誰もが気圧される中、クランツは静かに燃えるような言葉を口にした。

「やっと、少しわかった気がするよ。あんたみたいな人がいたから、彼女達が生まれたんだ。昨日の夜盗の子も、クラウディアも……あんた達みたいな配慮のない《人間》のせいで」

「あぁ⁉ 何も知らねぇガキが知ったような口利いてんじゃ――――」

「彼女のことを何も知らない奴が!わかったような口を利いてんじゃねえよッ‼」

 クランツの爆発する怒声に、ジェフだけでなくその場の誰もが気圧される。息を荒くしながら、クランツは努めて冷静に、自分が見出した問題の構造を伝えようと試みた。

「……昨日の夜盗の子だって、あんたが言うような心無い人間に村を焼かれたりしなければ、こんな凶行に及んだりはしなかったかもしれなかった。この町が襲われたことの発端は、人間が彼女達の村を焼いたことだ。元が人間ぼくたちのせいなら、彼女だけを責めることはできない」

「ざけんなよ! んなことで無実のこの町を襲う理由になってたまるかよ!」

「だからってまたやり返すのか⁉ その報復でまた彼女達みたいな復讐者を生んで、お互いに傷つけあい続ける関係を延々と繰り返すのか⁉」

 怒鳴りつけるように言い、クランツは嘆くような声になって、零すように言った。

「このままじゃ、だめなんだよ……このまま報復を続け続けるだけじゃ、いつまで経っても憎しみの連鎖が続くだけだ。彼女達も、彼女達みたいに生まれる復讐に囚われる人達も、その凶行に被害を受ける人も……誰も救われない。僕は……そんな世界を、信じたくない」

「クランツ……」

 隣のクラウディアが言葉を失う中、気圧されて少し大人しくなったジェフはなおも言う。

「だとしてもよ……いつまでもそんなことを続けてるわけにもいかないだろ。あの子がまた町を襲うって言ってるのを、元はこっちが悪いからって放っておけってのか?」

「それは……」

 クランツは燃え尽きたように言葉を失う。

 結局、どちらかが手を引かない限り、この連鎖は終わらない。かといって手を引けば、もう一方が止まらない限り、手を引いた方は害を被り続けるだけになる。お互いがお互いの責を自覚し、それぞれの意思に基づいて矛を収めない限り、この争いはいつになっても終わらない。それへの道筋を示せるだけの策案を、クランツにはすぐに出すことができなかった。

 言葉を失い、重い沈黙に包まれかける聖堂内に、皆さん、と、謹厳な女性の声が響いた。

「皆さんが不安に思われる気持ちはもっともなことだと思います。たとえ身内であったとしても、どんな事情を抱えているにせよ、このような凶行を許しておくわけにはいきません」

「クラウディア……?」

 呆然とするクランツが見上げる前で、クラウディアは群衆に向かって、決然と告げた。

「彼女は――その夜盗は、私が捕えます。私自身の手で、けじめをつけます」

 クラウディアのその悲壮なまでの決意の現れた言葉と表情に、誰もが言葉を失った。

 その時、彼女が凄まじい重圧に押し包まれていたのが、クランツには見えた気がした。


 クラウディアの宣言の後、シャーリィとカイル、それに市長から民衆と自警団員にそれぞれ訓戒と今後の警戒態勢について話が付され、集会は解散となった。

 人々が聖堂を出て行く中、祭壇周りにはクラウディア、シャーリィ、カイル、クラウズ市長、そしてクランツの五人が残り、今後のことについて話を続けていた。――というより、実際にはクラウディアを気遣った面々が残って、彼女を気にかけていたのだったが。

「クラウディア……よかったの? あんなことを言ってしまって……」

「元より放っておける問題ではないでしょう。決着をつけるなら、私が応じるしかありませんから。それで事が済むのなら安いものです」

 先程にもまして心配そうな様子を見せるシャーリィに対し感情の見えない声でそう言って、クラウディアは隣にいたカイルに向き直り、感謝と陳謝の言葉を告げた。

「カイル君。先程は弁護してくれてありがとう。……メリィさんを守れず、すまなかった」

 クラウディアの言葉に、カイルはとんでもないとばかりに首を横に振った。

「貴女のせいだとは思っていません。メリィを守れなかったのは、俺の不注意です。それに、貴女の従者の子のおかげで、メリィはどうにか戻ってきてくれた。それだけで十分ですし、それで貴女を責めるような真似はしないし、させません。現に貴女は、メリィを守れなかったことを悔いてくれている。それだけで、貴女を信じ続けるには十分です」

「カイル君……」

 焦点の見えないクラウディアに、カイルは勇気づけようとしたのか、威勢よく言った。

「自警団の奴らには俺からちゃんと言っておきます。だから貴女も気を落とさないでください。俺は、今は、その女の凶賊を捕らえて、この町を守るためにできることをしたい。そのために力を貸してもらえるのなら、貴女を信じない理由なんてありません」

「そうか……ありがとう。自警団の一員として、私も全力を尽くそう」

 カイルの言葉に、クラウディアはそう返しながら、複雑な表情で目を伏せた。

 そこにどんな感情が混ざっているのか、最もわかることができていたのは自分ではないか――クランツは自分がそこに関われない空気の中、歯痒さと共にそんなことを思った。

《困りましたねえ。今、お嬢様に一番親身になってあげられるのはクランツさんなのに》

 エメリアの言葉が心の奥に蘇り、クランツは全身が焦燥にざわつくのを感じた。

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