第6章 海浜都市レオーネ編 第2話(5)

 レオーネ市長邸を辞した頃には、陽は徐々に夕暮れの色に傾こうとしていた。

「あっはは、楽しかったですねぇ。あんなに皆さん盛り上がるなんて、やっぱりさすがはみんなのアイドル、スーパーメイドのエメリアちゃんでした♡」

「そうだね……結局、君が一番楽しそうだったね、エメリア」

「まったく……私達は予期せぬ外賓だというのに。少しは場を弁えなさい、エメリア」

「え~、いいじゃないですかぁ。婚礼の場で皆さんを幸せにできたなら、エメリアちゃん面目躍如でしょう? お二人ともカタいんですよぉ。一緒に踊れば楽しかったのにぃ」

 婚礼の宴の陽気な余韻に浸りながら夕陽に照らされる白石の道を歩く中、エメリアがふいに折り目正しそうに口を開いた。

「さってとぉ……この後はどうなさいますかお嬢様? この町でも無事に話はつきそうですし、そろそろ宿に戻って休みましょうか? ギルドのベイルさんに話を聞けば、きっと宿の部屋を取ってくださってると思いますけど」

 そう話すエメリアの言葉が、いつも以上にどこか気遣わしげに聞こえた。

(エメリア……?)

 怪訝に思うクランツをよそに、クラウディアは見上げてくるエメリアに視線を送ると、

「エメリア、クランツを頼む。宿に入っても、町を歩いても、好きなようにして構わん」

「へ?」

 耳を疑ったクランツに、クラウディアは背を向けると、

「私を少し一人にしてくれ。訪ねたい場所がある。頼むぞ」

「はぁ~い、かしこまりましたぁ。クランツさんのことはお任せくださぁい」

 意思疎通を済ませたエメリアとクランツを後にそそくさと歩き出してしまった。

「ちょ、え……クラウディア……?」

 後を追おうと駆けだそうとしたクランツの腰に、やわらかなものが飛びついた。

 倒れそうになるのをどうにかこらえ、恐る恐るクランツが後ろを振り返ると――、

「はぁ~い捕まえましたよぉクランツさぁん。さっきのお嬢様の言葉、このエメリアちゃん、しっかと預からせて頂きましたからねぇ。クランツさんを好きにしていいって仰ってましたねぇ、うふ、うふふ、うふふふふふふふ……!」

 過去最高記録を更新しそうなほどの小悪魔スマイルを満面に浮かべたエメリアが張り付いていた。何が何だかわからないクランツは、抗議にかかる。

「ちょ、待ってってエメリア! 何がどうなってるんだよ、クラウディアを一人になんて」

「はぁ~いそこまで。あんまり暴れるとホントにベッドまで連れて行っちゃいますよぉ?」

 エメリアの言外に冷静な言葉に、クランツは何かが引っかかり、即座に頭が冷える。

 そうだ。あのクラウディアが自分やエメリアを離してまで一人で行動するなど、よほどの理由がなければそんなことはしないはずだ。

《私を少し一人にしてくれ。訪ねたい場所がある。頼むぞ》

 去り際、クラウディアはそう言い残した。それがその理由だとしたら――、

「エメリア……君は、何か当てがあるの?」

 クランツの冷静になった言葉に、エメリアは合格とばかりに笑みを浮かべて身を離し、

「教えてあげてもいいですけど、ただ真っ直ぐそこに向かうのもつまんないですよねぇ。せっかくお嬢様がクランツさんと私を二人きりにしてくれましたし、乙女なエメリアちゃんとしては願ってもないチャンスを頂けましたからねぇ」

 くるりと振り返って、クランツに誘うような笑みと言葉を投げかけた。

「少し、二人っきりでお散歩しません? 今日なら何でも答えてあげますよ。お嬢様やエメリアちゃんのプライベートや過去に関することとかでも、ね」

 投げかけられたエメリアのその言葉に、クランツの思考が固まった。

 クラウディアのプライベートや、過去の話を聞ける――――?

「本当に?」

「本当ですよぉ。今日のエメリアちゃんは幸せパワーを浴びて気分がいいのでぇ」

 おどける様子もそこそこに、エメリアは魔性のような笑みを見せる。

「こんなチャンス、滅多にないですよ。お嬢様から許可を頂いてエメリアちゃんが一人で何でも話せる機会なんてね。あまつさえ、エメリアちゃんの誘いを振って、誰も来ないベッドにさっさと入っちゃうほど、クランツさんもお年寄りじゃないでしょう?」

「…………」

 エメリアの煽りや誘いはともかく、と、クランツは思考を巡らせる。

 彼女の言う通り、エメリアからとはいえクラウディアの事情を聞き出せるというのは滅多にないチャンスだ。おそらくクラウディア本人からは元より、その近臣であるエメリアも彼女のことを気遣って話そうとしなかったのだろう。それを、彼女から許可を得ている以上、問題なく聞き出せるというのはまたとない機会だった。

 それを聞き出すためには、エメリアの話に乗るしかない。

 彼女の話に乗ることに一抹の不安を覚えるが、クランツはここは折れることにした。ここで意味のない強情を張るより、はるかに得られるものは大きいはずだ。

「わかったよ。クラウディアから任されてる以上、どのみち今は君に従うしかなさそうだし」

「もぅ、クランツさんったら素直じゃないんだから。エメリアちゃんと二人っきりでデートですよ? 嬉しくないんですか?」

「んな――――」

 即座に否定しようとしたクランツの懐に、再度エメリアが飛び込んでくる。体勢を崩して倒れないよう踏ん張るクランツは、自然とエメリアを抱きとめる格好になる。

「エメリア、何を――――」

 抗議の声を上げようとしたクランツは――胸元から甘えるように見上げてくるエメリアの蜂蜜色の瞳を目に、息を呑んでしまった。

 白状しよう。今まで、クラウディアの手前、意識しないようにしようと努めていたが――――、彼女、エメリアはおそらく、誰がどう見ても可愛い。大方遊びだろうと踏んでいたからこそ無下にすることもできていたが、たとえ遊びだとわかっていても彼女のアプローチは刺激が強すぎる。こう、愛くるしい雌猫のように絡みつかれては、さしものクランツも男である以上、反応しないのは無理というものだった。

 クランツのそんな内心の葛藤を知ってか、エメリアはクランツの胸元に華奢な身体を摺り寄せながら、心拍数と体温が上昇していくクランツを面白がるように、甘い声で囁いた。

「今日は夜まで離しませんよぉ。今日こそクランツさんのこと、虜にしちゃうんだから♡」

 そう言って楽しそうに笑うエメリアのことを、クランツは心底怖いと思った。


 そんな経緯で、クランツは結局エメリアと一緒にレオーネの町を巡る、自主的巡回と称したデートに付き合わされることになった。形の上だけでも仕事をしている、という体裁を整えなければ、色々な意味で道を踏み外してしまいそうだった。

 当のエメリアはといえば、クランツの手を一時も離さず、道を行き交う人々と談笑混じりに、鼻歌交じりの軽快なステップでレオーネの街並みを陽気に闊歩していた。太陽の下、白く照る葺石の道の上を弾むように歩くその足取りは、さながら潮風の妖精のように見えた。途中、路上の屋台で満喫した氷菓子の代金は、当然のようにクランツの財布から出た。

 エメリアは繋いだ手の力を少しも緩めず、ぐいぐいとクランツを引っ張っていく。強く握りしめてくる手の華奢で滑らかな感触が掌に絡みつくのを感じると、クランツの中の男性は嫌が応にも高まってしまうのを抑えられない。クラウディアの指揮下を離れて二人きり、というシチュエーションも相まって、クランツの胸は意に反するように熱くなっていた。

 何より厄介なのは――それを楽しいと素直に感じてしまっている自分の気持ちだ。こんなことでは、クラウディアに操を立てている自分自身に申し訳が立たない。

「はぁ……」

 胸の奥から漏れたため息には、沈鬱さと甘酸っぱさが絶妙な配分で混じっていた。

 クランツの青いため息をエメリアは耳聡く聞きつけ、足を止め振り向いて小首を傾げる。

「どうしたんですかクランツさん? ひょっとしてエメリアちゃん、連れ回しすぎて疲れちゃいました?」

「こんな時だけまともなんだね……」

 そんなに真っ当なことを言われたら、素直に「そうだよ」とも言いにくいじゃないか。

 言葉を先回りされ渋い顔になったクランツに、エメリアはむぅと頬を膨らませてみせた。

「失礼ですねぇ。まるでエメリアちゃんが人を振り回して楽しむような女の子みたいに聞こえるじゃないですかぁ。エメリアちゃんはいつだってお傍の方を幸せにするパーフェクトエンジェルですよぉ。幸せを振りまく天使が足を止めるわけないじゃないですかぁ」

「君、絶対楽しんでるだろ。今も含めて」

 クランツの非難めいた言葉に、エメリアは楽しそうに笑って、

「楽しいですよぉ。ようやくクランツさんと二人きりになれましたんですもん。この先こんなふうに二人っきりで町を歩ける機会なんてあるかもわからないですし、存分に味わっておきたいですからねぇ。クランツさんもどうぞエメリアちゃんを堪能してくださいませ♡」

 悪戯っぽく笑みながら、ギュッと繋いだ手を握る力を込めた。クランツはそれに胸が重くなるのを感じながら、参り果てたように言う。

「エメリア……僕が扱いやすい奴だっていうのはわかるけど、振り回すのはやめてよ。遊びに付き合わされてるだけだって思うと、こっちだってやりづらいんだからさ」

 だが、棘の混じったその言葉に、エメリアは目に見えて不服そうな顔をした。

「え~、ひどいですよぉクランツさん。エメリアちゃんが本当にただのお遊びでこんなにクランツさんのお傍に寄り添ってるって思われてたんですかぁ?」

「それ以外に思いようがないと思うけど……じゃなかったとしたらいったい何なのさ」

 呆れ果てたようなクランツの言葉に、エメリアの眦が目に見えて下がる。

「それは心外ですぅ……でも、エメリアちゃんがそう思われるようなことばっかりしてきてたとしたら、それはエメリアちゃんのせいですよねぇ。エメリアちゃん、反省ですぅ」

「エメリア……?」

 柄にもなく落ち込んだ様子で独り呟くエメリアに、クランツは意外な思いになった。

 この迷惑至上主義娘が「反省」という言葉を、こんな心底からのように口にするとは。

 クランツのその疑念を塗り替えるように、エメリアは丸い瞳でクランツを見つめながら、

「誤解されちゃってたみたいですけど、エメリアちゃんがクランツさんのこと好きなのは本心ですよ。エメリアちゃんは好きでもない人に自分からこんなに引っ付いたりしません」

「っ、え……?」

 意表を突かれ言葉に詰まるクランツに、エメリアは畳みかけるように言葉を続けた。

「それともう一つ誤解を解いておきますけど、エメリアちゃんはクランツさんとお嬢様の仲に割り込もうなんてことは考えてませんので、どうかご安心を。御主人様であるクラウディアお嬢様の恋仲を邪魔するなんてエメリアちゃんには以ての外ですし、それにエメリアちゃんにも操を捧げようと心に決めた人がおりますので」

「そ、そうなの……?」

 これまた意外な事実を突きつけられ、クランツは頭の中を整理しきるのに時間を要した。それを見取ったエメリアが、毎度おなじみの小悪魔スマイルで迫ってくる。

「あ、もしかしてクランツさん、ご自分がエメリアちゃんの意中の方じゃなかったって知って、ガックリしてます?」

「んな……そ、そんなことないよ。っていうか、本気なのか遊びなのかどっちなのさ!」

「だからお話しした通りですってば。クランツさんのことは心からお慕いしてますよぉ。けど、それとエメリアちゃんの恋心とはまた別の問題ってだけですってぇ」

 さも当然とばかりのエメリアの言葉に、クランツは胸に綿が詰まるような気分になる。

 自分のことは人間として好んでいるが、恋愛対象ではないと。一聴すれば上っ面のように聞こえるエメリアのその言葉はしかし、偽りの色を少しも含んでいないように聞こえた。

 彼女の理屈からすれば、それは矛盾することではないのだろう。だが、クランツにはその理屈がわからない。だから、胸に渦巻く疑念を一旦飲み下して訊いた。

「……わからない。君が僕を好きっていうのは、どういうことなの?」

 クランツのその問いに、今度はエメリアが、はぁ、と呆れたような息を吐いてみせた。

「うーん。そのあたりの機微がわからないあたり、クランツさんもやっぱりお子様ですねぇ。そういう可愛い所も含めて、エメリアちゃんは好きですけどねっ♡」

「あのね……馬鹿にするのもいい加減に……」

 激昂しかけたクランツに先回り、エメリアはピッと指を一本立てて、クランツに訊いた。

「クランツさん。この町に入る前の私達の会話、憶えてます?」

「え……」

 唐突に問われて、クランツは記憶を辿る。

 この町に入る前、と彼女は言った。つまり、レオーネに入る前――馬車の中での会話だ。その時に話していたのは、確か――――、

《困りましたねえ。今、お嬢様に一番親身になってあげられるのはクランツさんなのに》

 エメリアの、いつもと変わらない親身さで告げられた言葉が、胸の中に蘇る。

 クラウディアを思う自分を激励したあの時の言葉に、それを口にした彼女の心に、ほんのわずかでも不純な嘘が混じっていたか――否だ、とクランツは即答することができた。クラウディアと自分を思う彼女の心は、いつだって純粋だったのだ。

 その時になって、クランツはようやく得心がいった。

 あの時の言葉にも、今までに見せてきた態度にも、彼女の心を嘘だと偽る根拠を、彼女はどこにも見せていなかった。普段の行いが行いだったから、そう思い込んでいただけで。

 悪戯が過ぎるというだけで、彼女はその実、いつも誰にも、嘘など吐いていなかった。

 彼女が自分に語ってきた言葉は、おそらく、全て彼女なりの本心だったのだ。

 得心したクランツの様子を見取ったのか、エメリアが嬉々として口を開く。

「ようやくわかっていただけたみたいですねぇ。エメリアちゃんは昔っから悪戯っ子でしたから、嘘つきとか、何にも考えてない子とか、そんなふうに誤解されることが多かったみたいですけど、本当は皆さんが思ってらっしゃる以上にちゃんと色々考えてるんですよぉ。不幸な誤解を解いていただけて、エメリアちゃんは嬉しいです」

「エメリア……じゃあ、君は」

 問うたクランツに、エメリアはぺろりと舌を出すと、その疑念を拭い去るように言った。

「クラウディアお嬢様は、お住まいを失われてアルベルト様に随行してからというもの、世間のご令嬢様方と同じように色恋沙汰を楽しむ余裕などございませんでした。アルベルト様の跡を継いで王都自警団の団長に就任されてからは、そのご身分とお嬢様の見かけの気品も手伝って、お嬢様に言い寄るような男はいなかったわけです。お嬢様自身が見かけに反して奥手だったこともあって、お嬢様の男性関係はいい歳だというのに疎遠になるばかりでした。エメリアちゃんはそれにちっちゃい胸をきりきりと痛ませていたんです」

 そして、わかりますか? と、クランツに問いかけるような視線を向けた。その頃には、クランツも彼女の言いたいことが――彼女の真意が、理解できるようになっていた。

「つまりクランツさんは、そんなお嬢様の独り身の牙城を打破してくれる有力株として、小さな白馬の王子様の如く颯爽と現れてくれたわけです。お嬢様に付き従ってきた身として、お嬢様を幸せにしようとしてくださるクランツさんを応援しないわけがないでしょう?」

「小さな、は余計だけどさ……そういうことだったのか」

 そこまで聞いてクランツはようやく、目の前の少女の見せてきた態度の不可解さが腑に落ちた感覚を覚えた。そういうことなら少しは悪戯を控えてくれれば、とも思ったが、

(……まあ、悪戯をしないエメリアなんて、エメリアらしくもないか)

「そういうことです。どんな気難しい方のしかめっ面でも得意のお道化で笑顔にする可愛さ全開の仔猫ちゃん、それがエメリアちゃんなのです♡」

「どこから何を読み取ったのさ……何も言ってなかったはずだけど」

 キラッと笑顔を決めるエメリアに呆れるクランツの中に、ふと引っかかった疑問があった。エメリアはそのわずかな表情の変化を見逃さず、小首を傾げてクランツの様子を見る。

「どうしましたクランツさん? まだ何か気になることでも?」

「ああ、いや、その……さっき、言ってたよね。操を捧げようと決めてる人がいる、って」

 クランツのその踏み込んだ問いに、エメリアは陽気な悪魔のようにニヤリと笑った。

「あ、それ聞いちゃうんですかぁ? 乙女の秘密、最重要機密トップシークレットですよぉ」

「あ、いや……気になっただけだから。話したくないなら――――」

 だが、そんなことを言っておきながら、エメリアは随分と乗り気な様子だった。

「もぅ、仕方ないですねぇ。エメリアちゃんのそんなに深いトコロにまで入り込んで来ようとする男の方なんて本当にどのくらいいたか……でも、お嬢様が心の深くをお許しなさろうとしてるクランツさんですから、その従者であるエメリアちゃんも特別サービスで教えてあげます。乙女の秘密ですから、耳の穴を綺麗にお掃除してお聞きくださいねぇ」

「……本当は話したかっただけなんじゃないの?」

 一人上機嫌なエメリアの変わり身の早さに参るクランツをよそに、エメリアは語った。

「エメリアちゃんが操を捧げようと決めているお方――それは、アルベルト様です」

「アルベルトって……この巡業を僕らに任じた、あの人?」

 クランツの問いに、エメリアは頷いた。

「エメリアちゃんのここまでのお話も、クラウディアお嬢様に負けず劣らず色々ありまして。けど、お嬢様とエメリアちゃんには、『アルベルト様に命を拾ってもらった』っていう共通点があるんです。同列に並べちゃうのは、あまりよくないかもしれないですけど……そういうわけで、エメリアちゃんはアルベルト様を心の底、体の芯からお慕いしてるんです。それこそ、クラウディアお嬢様をお慕いするクランツさんにも負けないくらいに、ね」

「命を、拾ってもらった……」

 エメリアのその言葉に、クランツの一番奥深くにあるあの光景が、熱を持って蘇る。

 燃え盛る瓦礫と化した町の中、業火の熱に包まれる中で差し伸べられた彼女の手。

 彼女の経験がそれに類するものだとしたら――クランツにとって、彼女のその想いの強さは、語られるまでもなく体感のように知ることができた。

 要は、クランツにとってのクラウディアが、エメリアにとってはアルベルトなのだ。

 自分が抱いているのと同じ以上の熱を持った想いを、彼女も持っている、それだけのこと。だとしたら、彼女が自分を応援する理由にも、さっきの説明以上に納得がいく。

 もしも――彼女と自分が、似た者同士、なのだとしたら。

 エメリアは顔を上げると、蜂蜜色に光る瞳で、クランツのことを探るように見つめた。

「あ、もしかしたら、エメリアちゃん、クランツさんとも似てるのかもしれないですねぇ。だとすると、アルベルト様は私のものだからいいとして、私達はクラウディアお嬢様を取り合うことになっちゃいますねぇ。お嬢様は渡しませんよ、って言いたいところですけど、そこはお嬢様のお気持ち次第ですかねぇ」

「え……な、何でそうなるの?」

「冗談冗談、エメリアちゃんの小粋なジョークですよ。――でも、クランツさん」

 軽快な調子だった言葉を切り、エメリアは真っ直ぐな瞳でクランツを見据えた。

「クラウディアお嬢様は、大切なものを――ご家族を、仲間を、故郷を失う体験を、もう二度もしておられます。それを知ってなお、お嬢様に恋憧れるというのなら……どうか、もう二度と、お嬢様にあんな思いをさせないと、どうか誓ってください。お嬢様をもう二度と孤独にさせず幸せにするそのためなら、私もクランツさんに全力をお貸しします」

「…………!」

 その時のエメリアの瞳は、今までに見たことがないほど、強い芯が通っていた。

 その答えを導くことに、クランツはさほど苦労しなかった。しかし――それを思いの強さそのままに言葉にすることは、困難を極めるように思われた。

 そんなクランツの様子を眺め、エメリアはふっと表情を崩すと、

「その言葉を口にするのは、エメリアちゃんの前じゃなくてもいいはずですよ。でも、その時が来たら、しっかりと言葉にして、伝えてあげてくださいね。エメリアちゃんも陰ながらお二人のこと、応援してますから。だから……お嬢様のこと、これからもよろしくお願いします。お嬢様を泣かせたりしたら、エメリアちゃん、クランツさんを許しませんからね」

「…………」

 いつものような、真意の読めない道化のような表情と態度。

 そこに、言葉が示す以上の真意など、別段に隠されてはいなかった。彼女はいつも、悪戯が過ぎるだけで、いつだって純粋なままの、幸せを運ぼうと走る仔猫なのだから。

「エメリア……」

 立ち入った事情を話してくれたことへの感謝か、誤解をしたままだったことへの謝罪か、言葉に迷ったクランツを、エメリアはいつものような悪戯っぽい笑みを浮かべて、低い背丈からクランツの顔を覗きこんだ。

「あれ、何ですかぁクランツさん。いよいよエメリアちゃんに惚れちゃいました?」

「いや、それはないから。……ありがとう、エメリア。大事なこと、いろいろ話してくれて」

 クランツの不器用な感謝の言葉に、エメリアはお得意の小粋なウィンクを返してみせた。

「お気になさらず。クランツさんとエメリアちゃんの仲ですから、ね♡」

 いつもは憎いほどのそのとびきりの笑顔が、なぜかその時は不思議と心強かった。

 クランツが感慨に耽る中、エメリアは顔を上げると、夕暮れに近づいていく空を眺めて、

「もうこんな時間ですかぁ。それじゃあ名残惜しいですけど、そろそろ行きましょうかぁ」

「え……行くって」

 そこまで言って、クランツの思考が再び固まりかける。

 夕暮れ時も近いこの時間から、再び長い時間街歩きを再開するとも思えない。とすると、考えられるのは先に宿に戻る、というのが順当なように思える。

 ――まさかとは思うが、本当に自分を宿のベッドにまで連れ込むつもりか。

 そんな役体もないことを考えかけたクランツの思考を覗いたように、エメリアはまたも小悪魔のように楽しそうに笑う。

「あ、クランツさんもしかして今、エメリアちゃんをベッドに連れ込むこととか考えちゃいました? まったくもう……クランツさんがそんなつもりじゃエメリアちゃんだってその気になっちゃうじゃないですかぁ、クランツさんったら♡」

「いやいやいや違うから! 行くって、どこに行くのさ」

 反射的に即答したクランツの様子をひとしきり面白がると、エメリアは言った。

「それはそれで楽しそうですけど、残念ながらそっちじゃなくて。お嬢様を迎えにですよ」

「え……」

 その言葉に、クランツの中にしまわれていた疑問が再燃する。

 そもそもこの状況の発端となったこと――クラウディアはなぜ、「一人にしてほしい」などと言い出したのか。それもこんな、三人行動中に二人を切り離すような真似をしてまで。

 そして、このタイミングで彼女を迎えに行くと言い出したエメリア。

 ――まるで、この時間が頃合いだと、初めから図っていたかのように。

「クラウディアを迎えに行くって……彼女はどこに?」

 問いかけたクランツに、エメリアは頷いて再びクランツの手を引きながら、言った。

「ご案内します。有名な場所ですし、すぐにわかりますよ」

「有名な場所?」

 手を引かれて歩き出すクランツに、少し前隣を歩きながらエメリアが説明する。

「お嬢様が仰ってませんでした? この町、レオーネには、王国の中でも有名な場所が二つあるんです。一つはさっき私達がお邪魔したシャーリィ様管轄の聖塔。で、今エメリアちゃん達が向かってるのはもう一つの方です。お嬢様はきっと、そこにおられるはずです」

「もう一つの、場所……」

 その言葉に、クランツはクラウディアが言っていたことを思い出す。

 この町で「鐘」が鳴る、三つの場合。それは朝昼夜、結婚式、そして――葬式。

「エメリア、もしかして……」

 クランツの問いに、エメリアはわずかに影を混ぜた言葉で答えた。

「レオーネ海岸霊園。そこに、お嬢様のお母様のお墓があるんです」

 そう言って目を眇めたエメリアは、主人が辿り、また自分が添い遂げてきた不遇の身の上を憐れむような表情をしていた。クランツは、なぜかその憂いが自分にも重なるように感じて、言い知れない切なさに胸を締め付けられながら、その儚げな横顔を見ていた。

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