第2話

第6章 海浜都市レオーネ編 第2話(1)

 聖塔を出ると、天頂にあった日はわずかに傾ぎ、徐々に暮れゆく色を見せていた。

「有益な情報を頂けてよかったですねぇ、お嬢様」

「ああ。どうにか取っ掛かりでも掴めるといいのだが……」

 エメリアの何気ない風を装った言葉に、クラウディアは左隣を歩くクランツに目を遣る。

 クラウディア達はシャーリィに教えてもらった「チャンス」に乗るべく、市長宅へと続く、レオーネの燦々たる陽光を浴びて白く光る石の道を歩いている――のだが。

「…………」

 聖塔を出てからというもの、クランツはどうにも浮かない顔をしていた。

 理由ならばわかりきっている――出会い頭にシャーリィに言われた、あの一言。

《この子を守りたいなら、もう少し頑張らないとね》

 そんなこと、言われるまでもなくわかっていたつもりだった。自分の未熟、彼女に相応しい男に至らないことなど、自分でも十分自覚していたはずのことだった。

 だが、彼女に出会い頭にそれを指摘された時、クランツは頭をガツンとやられるような衝撃を覚えた。初対面の人間に図星を突かれたのに驚いたというのもあったのかもしれないが、彼女の言葉はそれ以上に自分の至らなさを見抜いていたように聞こえた。

 だからこそ、クランツは今、悔しいのだろう。わかりきっている自分の未熟を指摘されて、それに何の抵抗もできなかった自分の小ささを実感させられてしまったことが。

「……クランツ。どうした?」

 自責に入りかけていたクランツは、クラウディアの呼ぶ声でハッと我に返った。

 右隣を見上げると、クラウディアが心配そうな目で自分のことを見ている。その瞳に自分に対する憂いの色が映っているのを見た時、クランツは背筋に鞭を入れられたように気が引き締まるのを感じた。自分の不機嫌に巻き込んで彼女を心配させるなど、以ての外だ。

「顔色が優れないようだが……何か、気分でも悪いのか?」

「いえ……何でもありません。それより、早く市長さんの所へ行かないと」

 躱すように言って足を速めようとしたクランツに、いつの間にか背後に回り込んでいたエメリアがクランツの肩にじゃれつくように絡んで、クランツの耳元に顔を寄せた。

「うわ、っと……エ、エメリア?」

「ク・ラ・ン・ツさん。ちょーっと今のは頂けませんねぇ。そんなに急ぎの用事でもない所で急に早足になるなんて、話を逸らしたいのが丸見えでしたよ?」

「う……」

 またしても痛い所を突かれて言葉に詰まるクランツに、エメリアは重ねる。

「お嬢様を心配させたくないお気持ちはわかりますけど、そうやって溜め込んでると、クランツさん自身がまいっちゃうでしょう? それでお嬢様をなおさら心配させるようなことになっちゃったら、元も子もないじゃないですかぁ」

「それは……そうか……」

 クランツのささくれ立った心中をなだめるように、エメリアは小さく微笑んだ。

「素直になりましょう、クランツさん。きっとその方が打ち解けやすいはずですよ」

「……そうだね」

 エメリアの提言に、クランツは小さく頷いた。彼女の言う通り、クラウディアに心配をかけまいとすることで彼女に心配をかけてしまうようなことになっては元も子もない。どのあたりまでを打ち明ければいいのか、それは難しい所でもあったが――いずれにせよ、自分のことで彼女に心配はかけたくない。だからこそ、彼女を心配させるような隠し事はするべきではない。むしろちゃんと打ち明けてこその信頼関係というものかもしれない。

「……何の話だ、二人とも?」

 クランツがそんな自戒を己に課していた間、二人の話の要領を掴めなかったクラウディアが探りを入れてきた。エメリアがここぞとばかりにそれに答える。

「クランツさん、さっきシャーリィ様に言われたことを引きずってらっしゃるみたいです。お嬢様を守るには力不足だって言われたのが、相当ショックだったみたいですねぇ」

「ちょ、エメリア……!」

 論駁の声を上げかけるクランツに、クラウディアはなぜか言葉を出さず、俯いてしまった。彼女らしくない、判然としないその様子を、クランツは不思議に思う。

「クラウディア……?」

 隣で疑問の声を投げかけるクランツに、クラウディアは申し訳なさそうに言った。

「……すまない、クランツ。君にそんな思いをさせていることにまで、考えが至らなかった。君には何度も助けられているし、感謝も信頼もしている。そのことをもっとシャーリィ様に強く言っていれば……君をそんな気持ちにさせることも、なかっただろうか」

「……!」

 その時、クランツは期せずして、エメリアが先に言っていたことの意味を理解した。そして、理解した次の瞬間には、言葉が口を突いて出ていた。

「クラウディア……すみません。僕もそんなつもりじゃなかったんです。ただ、あの人――シャーリィさんに自分の弱さを一瞬で見抜かれてしまったのが、少し、何だか悔しくて。僕はただ、あなたに心配をかけたくなかった。けど、かえってそれがあなたを心配させることになってしまっていたら、って……そんな話を、エメリアとしてたんです」

 クランツの懺悔のような言葉に、クラウディアはふと、どこか嬉しそうに表情を緩めた。

「そうだったのか……そういうことなら、私達は『お互い様』じゃないか」

「えっ?」

 意外な言葉に呆気に取られたクランツに、クラウディアは得心がいったとばかりに語る。

「私も君も、お互いのことを思うが故に、ただ一人で空回りしていた――そういうことじゃないか? こうして話してみれば、お互いに相手のことを思い遣っていたのがわかった。なら、私達は何も齟齬を来していない……そういうことじゃないか?」

「あ……」

 クラウディアの言葉に、クランツはもう何度目かもわからない感動に胸を打ち震わせる。

 自分達は、互いに互いのことを思い合える関係になっている――そう、彼女は言っているのだ。彼女とそういうふうな関係になれることを、クランツがどれほど待ち望んでいたか。そして、まだ未完成ながら、自分はそこに――彼女に、一歩でも踏み込めたのだ。

 クランツの不安を払拭するように、クラウディアは言った。

「私が言えた義理ではないかもしれないが……そういうことなら、何も心配はしなくていい。私は君を信頼しているよ。だから君も、どうかそんな疑念に心を悪くしないでくれ」

「クラウディア……その、ありがとうございます」

 人知れず感動に心震えるクランツの横から、エメリアが言葉をかけた。

「ふふ、もうすっかりラブラブですねぇ、お二人とも。エメリアちゃんは嬉しいですよぉ」

「な、ッ……!」

 一番敏感なツボを突かれて動転するクランツの横で、クラウディアが返しにくそうに言う。

「エメリア。そういう言葉を使うのはやめなさい」

「えー、ラブラブの何がいけないんですかぁ? 愛し合うって素敵な事じゃないですかぁ」

 抗議の声を上げるエメリアには付き合わず、クラウディアは再び前を向いて歩き出す。心なしか歩みは微かに早足になり、体からは熱気が発散されているようだった。

 それが照れ隠しだと気付いたクランツは、内心高揚しながら彼女の後に続き――、

(…………ん?)

 ふと、あることに気付いて――全身が痺れそうになるのを感じた。

 そう――さっき、彼女は……クラウディアは何と言った?

《エメリア。そういう言葉を使うのはやめなさい》

 まるで、エメリアの言葉の選び方だけがまずかったというような指摘の言葉。

 つまりそれは――『エメリアの言葉が意味していたこと』については、一切、否定をしていない、とも、捉えられないか…………?

 つまり…………。

「………………」

 全身が上気し、頬が熱くなるのを、自分でも感じる。今は彼女もそうなのだろうか。

「それ」を指摘されただけで、互いに言葉を失ってしまうような、初心な二人の様子に、

(ふふ……お二人とも可愛いですねぇ。やっぱり今回はこっちについて来て正解だったかもですぅ)

 大好物を目の前で眺める褒美に預かったエメリアは、内心で嬉々とほくそ笑んでいた。

 そうこうしている内に、三人はレオーネの町の中央にある噴水広場に出ていた。レオーネの町はこの広場を中心に人々が住む白石造りの家々の並ぶ路地が伸びており、北は街道からの玄関口、西に向かえば聖塔方面、そして南へ向かえば突端にある聖墓地へと出る。滾々と水を噴き上げる噴水は太陽の光を浴びてきらきらと輝き、白い町に清涼感を与えている。

 そこまで出た所で、クラウディアは足を止め、考え込むように顎に手をやった。不思議に思ったクランツが声をかける。

「どうしたんですか、クラウディア?」

「いや……市長様とギルド、どちらに先に挨拶に行ったものかと思ってな」

 迷うように口にするクラウディアに、エメリアが進言を入れた。

「エメリアちゃん的には、先に市長様の方に行ったほうがいい気がしますぅ。ちょうど今パーティの真っ最中ってことですし、それが終わっちゃったら話しかける機会もなくなっちゃいますからねぇ。盛り上がってる今の内がチャンスなら、早い方がいいと思いますぅ。ギルドの方には所用があって遅くなったって言っておけば大丈夫ですよぉ」

 エメリアのその進言に、クラウディアはしばし考えた後、言った。

「いや、やはり先にギルドの方に行こう。先に今日の宿を確保してもらう必要がある。それに、シャーリィ様から聞いた先程の話も、実際に確認してみたいしな」

「えぇ~、エメリアちゃんの助言全スルーですかぁ……エメリアちゃん、しょぼんですぅ」

「何、気にするな。手短に済ませて、市長様の所へ急ぐとしよう」

 そう答えて、クラウディアは自警団協会支部のある町の東側へ足を向け、歩き出す。

 後に続くクランツは、なぜだろうか――クラウディアが心なしか早足になっているように感じた。

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