Day25 黄泉竈食(お題・キラキラ)

「お父さん、ありがとう」

 草原の中にぽつんと立つ一戸建て。その前に二人を降ろすとバスが消える。

「……おかしいですね」

「なにがだ?」

 首を傾げる千代に虎丸が訝しげに二股の尻尾を揺らす。

「私の家は町の中の居住区のファミリー向けの借家でした」

 この家は確かに千代が大学に入学するまで、十八歳まで過ごした家で間違いないが、家があったのは、この辺りの三つの工場の工場員が住む町の居住区で、同じような大きさと外装の借家がいくつも建ち並び、他にもアパートが何棟もあった。エンケラドゥス基地のように、居住区の隣には、商業区や子供達の通う学校もあり、草原の一角を埋め尽くす、賑やかな大きな町だったのだ。

「……なのに工場はそのまま再現していたのに、ここは私の家、一軒しかありません」

「なるほど……。コイコイのヤツ、さっきの地割れで住人から啜り取った妖力ちからを使い果たしたのかもな」

 コイコイ自身は『成り損ない』なので僅かな妖力しか持たない。その妖力では一軒の家を作り出すだけで精一杯だったのだろう。

「……ということは、つけ入る隙がありそうだ」

 ひくひくとヒゲを動かすと虎丸は千代の右手を取った。薬指にはまっているアクアマリンの指輪を見、にっと笑う。

「千代のつむぐ『物語』を『大円団』で終わらせる為に、俺はちょっと出掛けてくる。しばらく一人で頑張ってくれ」

「……え?」

「大丈夫だ。お前が傷付くようなことにはならない」

 彼の金色の猫の瞳がじっと自分を見つめてくる。それに真っ直ぐ視線を合わすと……たじろぐことなく瞳が合った。

「……はい」

 千代は頷いた。彼が偽りなくそう言うのなら大丈夫なのだろう。

 ぽんと励ますように腕を叩いて虎丸が消える。千代は大きく息を吸い、麦藁帽子を脱ぐと玄関のドアに手を掛けた。

 

「ただいま……」

 そっとドアを開け、中に入る。一瞬ためらった後、声を掛ける。母のローファーと家族四人のウォーキングシューズが並ぶ玄関。作り付けの靴箱の上には、季節の合わせて飾られる飾り……今は七月なので小さな星のぶら下がった縮緬細工の笹飾りが置かれていた。

 ふわりと懐かしい匂いが鼻をかすめる。

 ……うちの匂いです……。

 じんわりと目頭が熱くなるのを感じながら、千代は靴を脱いだ。

「『女の子は家に入りました。家の中に誰かいないか探します』」

 『物語』をつむぎながら廊下に上がる。入ってすぐ右手に二階の自分と兄の部屋に上がる階段。左手には父と母の部屋のドア。そして、奥がリビングダイニングのドアだ。ぎゅっと椿に借りた麦藁帽子を握り締めて、ゆっくりと奥に向かう。

 扉の前に立つ。向こうからぱたぱたとスリッパを履いた足音が聞こえてくる。少しかかとを引きずるような音には聞き覚えがあった。

 大きく息を飲んで扉を開ける。リビングの向こう、対面式のダイニングキッチンのカウンターの奥には、予想どおり部屋着にエプロンを着けた母がいた。

「おかえり、千代」

「た……ただいまです」

 にこやかに笑う母の声に答える。

「お腹すいたでしょ。今から夕飯を作るから」

 その言葉に千代はリビングの窓を見た。今の今まで青く晴れ上がっていた空は、赤く黄昏色に染まっている。狭い庭に植えられた百日紅の花の紅が濃く赤黒くなっていた。

 その急な変化に、間違いなく、ここがコイコイの作り出した空間なのだと知る。千代はぐっと腹に力を入れると

「『女の子がリビングに入ると、お母さんがキッチンにいました。『おかえり』と声を掛けながら、美味しそうな夕ご飯を作ってくれます』」

 『物語』をつむぐ。「なあに、それ」母のおかしそうな笑い声が返ってきた。

 

 夕食が出来上がるまで待つように言われ、リビングのソファに座る。部屋は八年前、自分が基地のアパートに引っ越す前と全く同じだった。

 キッチンカウンター前の四人掛けのテーブル。絨毯が敷かれ、一人掛けが二つと、二人掛けが一つ、コの字に置かれたソファとローテーブル。壁に掛かったモニター。こまごまとした物をしまう棚。天板には3D映像を映し出す卵型の映写機プロジェクターが置かれ、火星に家族旅行に出掛けたときの映像が流れている。オリンポス山を背景に四人で並んで撮った映像に、ぐすんと鼻を鳴らす。今の自分にはこの映像の一瞬、一瞬がキラキラと眩しい。

「出来たわよ」

 母がテーブルに出来上がった料理を並べる。千代の好きな肉じゃがに、炊き立てのご飯、なめこと豆腐の味噌汁に、生ハムを乗せたトマトサラダ。

「どうぞ」

 にっこり笑って、テーブルにおいでと両手で手招く。

 千代は立ち上がるとテーブル……ではなく、キッチンに向かった。

「お母さんも一緒に食べましょう」

 食器棚に向かい、母の茶碗を取り出して、ご飯をよそう。

「……お母さんはいいから……」

 手を止めようとする母を無視して、おかずも盛り、盆に乗せた。

「一人じゃ食べにくいです」

「そう? じゃあ……」

 盆をテーブルに運ぶと、母は観念したように席についた。

「じゃあ、一緒に」

 二人で手を合わせる。

「いただきます」

 

 箸を取り、まずは肉じゃがから口に運ぶ。ほっこりした食感に絶妙なバランスの醤油とみりんの甘じょっぱさが口に広がる。

 ……間違いなく、お母さんの味です。

 『TASOKARE』の住人用食堂の肉じゃがも美味しいが、やはり母の味はどこか違う。味噌汁にサラダ、ご飯も夢中になってぱくぱくと口に運んで食べ進めていく。

 減った夕食にテーブルの向こうで、まだ一つも箸をつけてない母の顔がニヤリと笑った。

「……お母さん?」

 その顔がゆうらりと黒い霧のようなのっぺらぼうの影……コイコイの顔に変わる。

「……食ベタナ……」

 楽しげな声が響く。同時にコイコイの前の食器に盛られた、ご飯やおかずが黒くうごうごと蠢くモノに変わる。

「……黄泉竈食よもつへぐい。オレノ空間ノ、オレノ一部ヲ食ベタ、オ前ハ、ココカラ出ラレナイ。コレデ、アノ虎猫モ邪魔出来ナイ。オ前ハ、モウ、オレノモノダ……」

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