第5章 工業都市エヴァンザ編 第5話(3)

 その後、ルベール達はルグルセンにアルベルトからの書状に署名を貰い、感謝の意と共に翌日には出立する旨を告げた。今日はゆっくり休めと労うルグルセンの言葉と共に社長室を後にしたルベールは、そのまま重い足取りでルチアの部屋に向かった。

「疲れているようなら、先に休んでいてください。昨日と同じ部屋を使っていいはずです」

 社長室を出て歩き出すなり、ルベールは自ら最も疲れた笑顔を浮かべて、後に続いたセリナとサリューにそう言った。それにセリナは頭を抱え、サリューは呆れ笑いと共に言った。

「あんたさあ……ここまで付き合ってきた女にそれ言う?」

「ホントね、ここまで朴念仁だとちょっと引いちゃうわよ」

 そして、二人揃ってルベールに同行の意を示した。

「疲れてんのはあんたも同じでしょ。ここまで来たんだから最後まで付き合うっての」

「そうそう。それに私もルチアちゃんの様子が気になるし。付いて行かせてちょうだい」

 二人の何気ない気遣いに、ルベールは今更のように己の朴念仁さを笑うと、

「ありがとう、二人とも。最後まで迷惑かけてごめん」

「それ以上うだうだ言うんじゃないっての。ほら、行くわよ。妹が待ってるんでしょ」

 痺れを切らしたセリナが、ルベールに先行してずかずかと廊下を歩いていく。それを微かな安堵のような笑みを浮かべて見ながら、ルベールとサリューもそれに続いた。


「ルチア、入るよ」

 ノックと共に部屋のドアを開けると、ルチアは部屋の奥にあるベッドの枕に頭を突っ伏していた。明かりの点いていない部屋は、窓から差し込む夕暮れの闇に染まりつつあった。

「起きてるかい?」

 ルベールは部屋の中に入ると、ルチアの横たわるベッドに腰を下ろし、枕に顔を埋めた妹の豊かな波打つ髪の先を指でくるくると弄ぶ。それに反応するように、枕の中からルチアが顔を横に向けてルベールの方を見た。その目元は泣き腫らしたように赤くなっていた。

「また、泣かせちゃったか……ごめん。父さんと約束したばっかりだっていうのに」

「お兄様……」

 詫びるように言うルベールに、ルチアはゆっくりと身を起こすと、ルベールの目元を拭う。

「お兄様が引け目を感じる必要などございませんわ。お兄様はルチアを助け出すために必死で戦ってくださいました。ルチアはそれが怖かったけれど、嬉しかったのです」

 そう言って、ルチアは俯いていた顔を上げて、ルベールの眼を見た。

「私、気持ちの整理がつかなかっただけなのです。あまりにも色々なことが一度に起こりすぎてしまったせいで……お兄様が気に病むことなど何もありません」

「そっか……ありがとうルチア。遅くなっちゃったけど、お帰り。よく無事でいてくれたね」

 ルベールはそう言って、ルチアの華奢な身体を、包み込むように優しく抱きしめた。

「お兄様……お兄様こそ、無事で……本当に無事でよかった……」

 ルチアが涙に濡れた嬉しそうな声と共に、ルベールの背中に細い腕を回す。

「(なんか……邪魔しちゃいけない感じですね、これ)」

「(そうね。落ち着けるまでそっとしておいてあげましょうか)」

 サリューと小声で言葉を交わしつつ、その愛し合う光景を見ていたセリナは、ふいにある記憶が胸の奥から蘇るのを感じた。

 抱き合う兄妹――自分も過去に、そういう経験をしたことがある。ただし、今では本当に恥ずかしくて、当の本人相手も含めて思い出させないようにしているのだが。

(やだ……何思い出してんのよ、あたし)

 あの日の記憶が蘇り、全身が熱くなるのをセリナは感じる。

 だが、今この場の二人が感じている想いが、あの日の自分と似通うものなのであれば。

(よかったわね……ルベールも、ルチアちゃんも)

 かつてその想いに救われたことのあるセリナは素直に、そう思うことができた。

 やがて、闇の中で抱き合っていた兄妹は、静かにそっと名残惜しげに体を離した。その二人の体から微かな緑色の光が放たれていたのを、セリナとサリューは見た。

「お兄様……具合がよろしくないのですか?」

「そうだね。久々に魔力を使ったから、ちょっとね。でも大丈夫だよ。心配しないで」

 ルベールの言葉に、ルチアはそうではないとばかりに口を尖らせる。

「それもそうですが……私が申し上げたいのはそういうことではございません。お兄様、心が揺れてらっしゃるでしょう。誰にもわからないことでも、ルチアにはわかるんですよ」

 お見通しとばかりに言うルチアの言葉に、ルベールは己の失策を小さく笑った。

「そっか……そうだね。君にはわかるんだったな」

「同じ血を分けた兄妹ですもの。水臭いことをなさらないでくださいませ」

 そして、ルベールの心中を気遣うような目を真っすぐに彼に向けながら、言った。

「お兄様、どうか弱気なお顔をなさらないでくださいませ。お父様に全幅の信頼を預けられた後だというのに、そんな覇気のないお顔では社の皆様も不安になってしまいますわ」

「そうだね……ルチアは、不安にはならないのかい?」

 軽くも重いルベールの問いに、ルチアは微かに俯いた。

「お母様が亡くなった時のことを思うと、正直、不安には思いますわ。お兄様が不在の間、この決定によってより一層の苦難に就かれるお父様を私の身でどれだけ支えられるか……正直、今は見通すこともできません」

 微かな不安を滲ませた声でそう言うと、ルチアはその身に宿る恐怖を克服するように毅然と顔を上げて、強い意志を宿した瞳でルベールを見上げた。

「けれど、それでも私は不安にはなりませんわ。私が誰よりも愛し、また私を誰よりも愛してくださるお兄様が、この王国や世界の未来を拓くために日々戦い続けているのですもの。そう思えば、不安さえも覆すどころか、誇らしくすらありますわ」

 そう誇らしげに言って、お兄様、と、ルチアは満ちる願いを映した瞳を兄に向けた。

「ですからどうか、私達が背にいることを力にして、お兄様の全力を尽くしてくださいませ。お父様の心も、お母様の心も、公社の皆様の心も、そしてルチアの心も、お兄様と共に在ります。ルチアは何があってもお兄様を信じます。お兄様の信じる正義を、ルチアは信じます」

「ルチア……」

 ルチアの真心を込められた眼差しを一心に受けていたルベールは、瞬きと共に迷いを捨てて決意の笑みを浮かべ、愛する妹の小さな頭をそっと撫でた。

「ありがとう。必ず、全部終わらせて帰って来るから。だから……もう少しだけ待っていて」

「はい……!」

 返事と共に瞳を輝かせて、ルチアは強く頷いた。

「(あー……やっぱりこれ、あたし達が入り込めそうにないやつみたいですね)」

「(そうね。お邪魔するのも悪いし、外で待ちましょうか。セリナ、付いて来てくれる?)」

「(あ、はい……)」

 そう誘導され、セリナは兄妹を残してサリューと共に部屋を出た。扉を静かに閉め、そのすぐ脇の壁に凭れかかる。夕暮れの闇に染まる廊下を、電燈の灯りが照らしていた。

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