第5話

第5章 工業都市エヴァンザ編 第5話(1)

 ルチアを十二使徒ジークの手から救出し、謎の騎馬隊、《鷹》との邂逅を果たした後。

 ルベール達は戦闘後の休みもそこそこに、エヴァンザへ続く山岳道を駆け下りていた。ルベールがルチアを背負い、その両脇をセリナとサリューが脇から支えるように並走していた。夕暮れの深まりつつある空は、太陽を融かしたような赤い闇色に染まり始めていた。

 ルベールの左隣を並走していたセリナは、真っすぐにただ前を一心不乱に見据えるルベールの足にかなりの疲弊の色が現れていたのを見て取った。その瞳の熱情と体の疲労の温度差に不穏なものを覚えたセリナは、彼に声をかけずにはいられなかった。

「ルベール、大丈夫? あんた相当来てるんでしょ。あたしが背負うの代わろうか?」

「意地の悪いことを言わないでくれ、セリナ。兄の復権の機会を奪うつもりかい?」

 走りながら笑顔を見せたルベールが、ふいに足をぐらつかせたのをセリナは見た。

「危ない!」

 前のめりにつまずいたルベールを、セリナは咄嗟に一歩前に踏み出して、その背に負ったルチアごと受け止めようとした。同時、倒れた先の山道を瞬時に分厚い水が覆い、地面を引きずったセリナへの衝撃を殺し、道に突き出た石礫から身を守った。

「痛っ……たぁ~……大丈夫、ルベール?」

「何とかね……すまない、セリナ。君の方こそ、怪我は?」

「あたしよりも背負ってるルチアちゃんの心配しなさいっての。可愛い妹ちゃんに怪我でもさせたらどうすんのよ、お兄ちゃん?」

 セリナとルベールの会話の後ろから、サリューの呆れたような声が降って来た。

「焦っちゃダメでしょ、ルベール。こういう時こそ、足元はちゃんとしないと」

「すみません、サリューさんも……助かりました」

 その言葉を受け、ルベールの肩に捕まっていたルチアが、涙ぐみそうになりながら言う。

「お兄様、もういいですから。ルチアも走ります」

「君に唯一欠けたものがあるとしたらそれは体力だろう、ルチア。急ぐには僕が背負うのが一番いい。少しは僕に格好をつけさせてくれないか?」

「お兄様はもう十二分に魅力的です! これ以上無理をなさらないでください!」

 ルベールとルチアのそのやり取りを見たサリューが呆れたように一つ息を吐くと、その手に空気中から水を渦巻かせ、小さな水の球体を掌に浮かべた。サリューは倒れていたルベールの元に勢いよく大股で近づくと、その場に屈み込んでルベールの顎を細く白い手でくいと上げ、掌にあった水の球体を押し込むように彼の口に付けた。

 セリナとルチアが呆気にとられる中、サリューの掌にあった水の球がルベールの口の中に流れ込んでいく。全てがするりとルベールの喉を通り、彼が咳をしたのを見て、サリューは無茶をする彼を心配するような目でルベールを見て、言った。

「あんまり無理しすぎるのも考え物よ。無茶しちゃう気持ちもわからないでもないけど、だからこそ尚更ね。踏ん張れるくらいの力は分けてあげたから、あとは貴方次第よ」

 諭すようなサリューのその言葉に、ルベールはようやく殊勝な反省の色を見せる。

「すみません。サリューさんの魔力だって余裕があるわけじゃないのに」

「そう思うんだったら余計な心配かけさせないの。ほら、立ちなさい。急ぐんでしょう?」

 サリューの腕とセリナの肩を借り、ルベールは全身に力を込めて立ち上がる。既に満身創痍のその瞳にはしかし、何かを見出したような強い光が宿っていた。

 それを見たセリナは軽く息を吐くと、ルチアの身を抱き上げ、ルベールの背に乗せた。

「ちょ、ちょっと、セリナ様……?」

「セリナ……」

 二人の驚きも構わず、セリナはルチアを背負わせたルベールの肩を力強く叩いて、言った。

「そこまでやる気ならちゃんと背負ってあげなさい。あたし、助けるけど邪魔はしないから」

 それが兄貴の本分だろうと語るセリナの言葉に、ルベールの表情に再び笑顔が戻る。

「ああ、ありがとう。さすがは伊達にクランツの姉貴分をやってないね」

「軽口はルチアちゃんを安全な所に届けてからにしなって。行けるのね?」

「ああ、急ごう。今は一刻も早く、エヴァンザの状況が知りたい。行けるかい、ルチア?」

 言って、再び動き出そうとしたその背から、ルチアの声が聞こえてきた。

「あの……お兄様……」

 どこか言いにくそうなことを含んだその言葉に、ルベールは一旦動きを止め、言った。

「何だい。いいよ、言って。君が彼と話して何を感じたのか、聞きたい」

 ルベールの言葉に、ルチアは迷いを見せながら、おずおずと口を開いた。

「あの人……ジークさんが、言っていたんです。お兄様達に、伝えてほしいと」

 そう言って、ルチアは少しずつ、ジークから聞いた話を語り始めた。

《十二使徒》の属する集団、《闇星》ゼノヴィアが率いる《墜星》の目的が、《最終兵器》を用いた、王国への《審判》であるということ。そしてそれが、《業火の日》と《魔女狩り事件》を発端とする、亡き《均衡を守る者》への弔いであるということを。

「《真意》を推理して、同じ場所に辿り着いた時、もう一度話をしてみたい……再び同じ場所に立てるかどうかは、その時にわかる……そう、仰っていました」

 語り終えたルチアを前に、ルベール達三人は顔を見合わせた。

「どういうこと? あいつがあたし達に『伝えてほしい』なんて……あいつ、敵でしょ?」

「その前提を抜きにして考えてみよう。そうすると、辻褄が合わないこともない」

「え……どういうこと?」

 話が見えず困惑するセリナに、ルベールは自らの考える所を語る。

「彼……ジークが、立場はどうあれ、ルチアを介して僕達に情報を渡そうとしたっていう事実は確かだってことさ。あるいはもしかしたら、それも彼の本来の目的の一つだったのかもしれない。そう考えれば、彼が不用意にルチアを傷付けなかったのにも納得がいく」

 ルベールの推測に、セリナは訝しげに眉根を寄せた。

「ルチアちゃんを攫ったのは、あたし達をおびき寄せて、情報を渡すためだったってこと?」

「非常に好意的な解釈であることは否定できないけどね。けれど、もしそうだとしたら、僕らが彼らに感じていた疑念は、もはや裏付けられたに等しいことになる」

「疑念?」

 話を掴めていないセリナに、ルベールは解説する。

「彼ら《十二使徒》は、ただ僕達の行動を阻止するために動いているわけではないっていうことさ。それはハーメスで逢った《使徒》のあたりから感じていたけど、今回の一件でほぼ決定的になったと言ってもいいだろう」

 そう言って、ルベールは今回の一件を思い返しながら、自らの分析を口にした。

「さっきも言ったけど、彼らが本当に《計画》の邪魔をする僕達を排除したいのなら、どんな手段を使っても僕達を潰しにかかればいいはずだ。それこそ、ルチアを人質にして、動きを封じた僕達を抹殺したりとかね。けれど今回、ジークはそれをしなかった」

 ルベールの分析を聞いていたセリナが、その話の要点を言葉にする。

「えっと……要するに、あいつらはあたし達の邪魔をする気がないってこと?」

「そこまでは言いきれない。現に僕達が彼らの遂行しようとしている《計画》の反乱分子であることは確かだ。僕達の行動を、計画に支障が出ない程度に阻害する必要はあるんだろう。これまでの交戦経験から考えても、彼らには僕達を始末できるだけの力が十分にある。だけど、邪魔者であるはずの僕達を始末しに来ない理由があるとしたら、それは一つだ」

「私達に、彼らにとっての利用価値がある……だから泳がせている、って所かしらね」

 サリューの総括にルベールが頷きを返したのを見て、セリナが眉を顰めた。

「利用価値って……あたし達、別にあいつらに協力してるつもり、どこにも無いんだけど」

「確かに、彼らにとって僕らにどんな利用価値があるのか、そこまでは見抜けていない。けれど、彼らが僕達を行動させておくことに意味があると考えれば、これまでの彼らの寸止めのような行動にも説明がつかないこともない」

 ルベールのその言葉に、あることに気が付いたセリナは、戦慄するように言っていた。

「ひょっとして……あたし達の行動も、あいつらの計画の内かもしれないってこと?」

「そうだね。ここまでの動き方を見る限り、彼らは僕達の動きも《計画》の内に入れているのかもしれない。僕達は彼ら、あるいはその黒幕の掌の上ってことだね」

 言って、ルベールはこれまでの旅程の中で感じてきた違和感を、一本に収斂させていく。

「彼らは単なる破壊者じゃない。きっと、これまでの行動の裏に何かの思惑を秘めている。僕達がまだ見抜けていない、彼らの《真意》が、きっと……」

 推測を深めようとするルベールの言葉に、セリナは疑問と共に訊いていた。

「《真意》って……あいつらの《ホントにホントの目的》みたいなこと?」

「そうだね。ルチアから聞いた話からしても、どうやら彼らの《計画》は簡単な一枚岩ではなさそうだ。何か、必ず裏がある。それこそ、彼らがちらつかせている《真意》がね」

 セリナに答えを返し、ルベールの瞳が深刻そうに細められる。

「僕達は彼らの《計画》を阻止するために動いているつもりでいるけれど、そもそも向こうの《計画》がどういう規模や内容のものなのかを、正確に把握できていないのかもしれない。だから、向こうが何を企んで、何をしようとしているのか、できるだけ早くに掴みたい。それを見抜けなければ、彼らの《計画》は阻止できない……そんな気がするんだ」

 推理を固めるルベールの言葉に、サリューが降参したように言った。

「そうね。結局今回もジークの思惑にまんまと嵌められたようなものだし。もっと大きな何かに私達を嵌めようとしてるって考えても、あながち変な話でもないわね」

 同意の色を見せるサリューの言葉に、疑念を拭いきれないセリナが重ねて訊いた。

「でも、じゃああいつらの《真意》って何なのよ。それがわからない限り、あたし達はずっとあいつらの手の上で転がされっぱなしってこと?」

「そうかもしれない。だからこそ、一刻も早くその状況を抜け出さない限り、僕達は彼らの《計画》には勝てないだろう。一刻でも早く、状況の解明が必要だ」

 考える所を一旦総括したルベールは、ルチアに向けて穏やかな声で問いを放った。

「それで、それを聞いた君はどう感じたんだい、ルチア?」

 真意を見透かしたようなルベールの問いに、ルチアはおずおずと胸の内を吐露した。

「私……あの人が、単なる悪人には思えませんの。私を誘拐して、お兄様や市議に迷惑をかけたことは事実ですけれど……けど……」

「彼を恨むことができない……そういうことかい?」

 ルベールの言葉に、ルチアは小さく頷いた。

「あの人がお兄様と敵対している勢力に属しているというのも承知していますし、彼を弁護するわけでもありません。ただ……私は、あの人を憎むことができそうにないのです」

 その言葉には、彼――ジークが語った思いへの共感が、少なからず現れていた。

「あの人が私に語ってくれた想いは、嘘ではなかった気がするんです。たとえ復讐のために動いているとしても……あの人の、失った家族を想う気持ちは、嘘ではなかったと」

 ルチアの語ったその思いに、ルベールは、そうか、と安堵したように言った。

「ルチアがその気じゃないなら、彼を憎む必要はないよ。それに僕も、似たようなことを思っていたしね」

「えっ……?」

 驚きを見せるルチアに、ルベールは去ったジークの行動を思い返しながら言った。

「彼は、結局最初の一回を除いて、君に一切危害を加えなかった。そうすることで僕達に何らかの強制を行えば有利な交渉を行うこともできたろうに、彼はそれをしなかった。彼の目的がそこになかったということもあるし、それを根拠にするわけでもないけれど、彼は君に対する害意がなかった。彼がどんな思惑を持っていたにせよ、それは事実だ」

 断言するルベールの言葉に、セリナが不審の念と共に訊いた。

「でも、それだけのことであいつらを信用するのは、ちょっと怪しくない?」

「そうだね。まだ断定はできない。けど、彼らを単純な《敵》という立場として見るのが怪しくなってきたのも確かだ。彼らが《計画》を進めているのも事実である以上、やはり、そこに関わっている彼らの真意を測る必要があるだろう。場合によっては団長が懸念していたように、僕らの《計画》阻止のための行動自体にも関わってくるかもしれないしね」

 そう話をまとめたルベールは、今後のことへと話を向け変えた。

「これから先は、彼らの出方に一層注意するべきだと思う。向こうが重要な秘密を捉えさせないようにしている以上、僕らは僕らの眼でその真実を見極めるしかない」

 そして、真実を見極めようとする決意を言葉にして、己に言い聞かせるように呟いた。

「それを明らかにできた時、きっと本当の姿が見えてくるはずだ。僕らが立ち向かおうとしているものの、本当の姿が、きっと……」

 決意を秘めたルベールの言葉に、サリューが期待の喜色を混ぜた声をかけた。

「まるで、もうその先に何かが見えているかのような言い方ね、ルベール」

「まだ全貌が掴めていない以上、断言はできません。けど、この先に何かが隠されているのは確かな気がするんです。彼らと僕らの認識を隔てている何かが……」

 そう自分に言い聞かせるように言ったルベールは、確信を宿した目をサリューに向ける。

「それは、あなたも同じなんじゃないですか。サリューさん」

 ルベールの言葉に、サリューもまた迷いを振り払うような目で、同調の意を示した。

「まあね。昔の縁ってのを抜きにしても、彼らが遠回しに何かをしようとしてる気はするわ。それに想像がつかないわけでもないけど、あなたの言う通り、まだ断言はできないわね。彼らが何を企んでいるのか、何を考えて行動しているのか、それは明らかにしたい所だけれど」

 サリューのその同意を得たルベールの眼は、既にその先の行動へと向かっていた。

「メルキスで団長達と合流して、この町で判明したことを共有しましょう。向こうの方でも何かが掴めていれば、何かを明らかにする道が見えてくるかもしれません」

「そうね……それにしても、ようやく元の調子に戻って来たわね、ルベール」

 サリューの言葉に、ルベールは詫びるような笑顔を見せながら訊き返した。

「そうですか?」

「ええ。ようやくいつもの聞き慣れた声に戻ってきた気がするわよ。ね、セリナ?」

「あたしに振らなくてもいいじゃないですか……」

 話を振られたセリナはルベールに目を向けると、照れ隠しに視線を外しながら言った。

「まあ……ね。いつまでもウジウジしてるよりは、いいと思うけど」

「そうか……よかった。ありがとうセリナ。きっと、君が喝を入れてくれたおかげだ」

「あたしは、別に……てか、自覚あるならもうあんな説教させんなっての」

 ルベールの言葉に、セリナは決まり悪げに口を濁す。それを脇から見ていたサリューは可笑しそうに笑い、ルベールの背にいたルチアもまた、喜怒の感情が混ざり合ったような、複雑そうな表情を見せていた。

「よし……休憩は終わりだ。もう大丈夫です。行きましょう」

 意気を取り戻したルベールの言葉に、セリナ、サリュー、ルチアが揃って頷きを返す。

 そうこう話している山道の向こうには、夕陽に照らされたエヴァンザの街が見えていた。ルベール達は真実へと至る思いを疲れた足に込め、夕陽の道を駆け抜けた。

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