第5章 工業都市エヴァンザ編 第4話(5)

 瞬きをした瞬間に、セリナは風光を纏ったルベールの腕に抱かれ、後退していた。

「ルベール……」

 ルベールの腕の中で、セリナは、彼の体から風玉色の霊気が立ち上っているのを見た。それは、見間違えようもない、普通の人間には使役できないはずの――魔力の顕れだった。

 総身から霊気を立ち昇らせるルベールに、ジークは鼻白むような目を向けた。

「ふぅん。意外だね、君がその力を使うとは。誰かの施術を受けているのかい?」

「いや、君達のような貼り札じゃない。母さんから受け継いだ、この血に流れる力だ」

 挑み返す眼を向けるルベールの言葉に、ジークの凶眼が錐のように細められた。

「んん……母様の力を『貼り札』呼ばわりか。どうやら、君も許すわけにはいかなそうだね。それに、その様を見る限り、使い慣れていない力なんだろう? ろくに身に付けてもいない力を誇られた所で、こっちは呆れるしかないんだけどねぇ」

 静かに燃える怒気を目に、ジークが両手を大きく広げ、攻撃の姿勢を取る。

 一触即発の空気が充満しようとするそこに、大きく一歩、サリューが割り込んだ。

「二人とも、下がってて。彼の相手は私がするわ」

 氷柱のような鋭い眼光を向けるサリューに、ジークは掲げた手を下げ、興気に笑む。

「ふふ、やっと前に出てくれたか。逢いたかったよサリュー。我らが親愛なる姉弟よ」

「仲間の仲間を追いつめておいて、随分と礼儀知らずになったものね。まあ、あなたの礼儀知らずは昔からだけれど」

 呆れたように言うと、サリューは凄みを利かせるように、ジークに問いかけた。

「挨拶ついでに、私からも訊きたいことがあるの。答えてもらえるかしら、ジーク?」

「んん、そうだねぇ……ちなみにもし、嫌だと言ったら?」

「私はあなた達に対する認識を改める。今後一切わかり合えない、ただの敵として、ね」

「んん……それは些か心苦しいな。それは、僕達としても本意じゃないしねぇ」

 サリューのその言葉に、ジークは彼女の瞳の色をわずかに見定めた後、答えた。

「いいだろう。僕らの縁だ、答えられる限りのことなら答えよう。何が知りたいんだい?」

「簡単なことよ。なぜあなたがこの町に来て、ルチアちゃんを攫ったの?」

 サリューの問いに、ジークは奇妙なことを聞かれたように首を傾げた。

「それはさっき、彼に答えなかったかい? 何がどう違うのか、訊いてもいいかな?」

「ルベールが言っていたでしょう。普通に考えれば、今のあなた達にはここでルチアちゃんを誘拐することのメリットが何一つないのよ。霊脈に連なるものもない……いえ、少なくともあなた達の求める『柱』に相当するものが何もないこのエヴァンザではね」

 その言葉にジークの眼が微かに細められるのを見て、サリューもまた眦を鋭くした。

「あなた個人ならともかく、あなたの属する勢力……伯母様が何の意味もない手を打つわけがないでしょう。そして今この状況は、あなたの気まぐれが許される状況じゃないはず。あなた達にどれだけの時間が残されているのかはわからないけれど、私達がそれに歯止めをかけようとしていることを自覚しているのなら、何の意味もない手を打てるほどの余裕があるとも思えないわ。今のあなた達の行動には、その全てに必ず意味がある」

 そして、彼我の距離に相対するジークに、問い詰めるように言った。

「ジーク、教えて。あなた達は、何のためにこんなことをする必要があったの? 霊脈とは関係の薄いこの僻地にまで立ち寄って、《計画》に直接関与しないはずのルチアちゃんを攫うのに、あなた達の《真の目的》と、いったい何の関係があったっていうの?」

「ふぅん……要するに、僕らの《計画》の意図を知りたいってことかな。同じことへの問いでも、そこの彼とは観点が違うという訳か。ふふ……さすがはサリュー、聡明なりしだね」

 サリューの問いに、ジークは感心したように笑うと、両手を広げてみせた。

「だとしたら悪いけど、それは僕の口からは話せないな。独断行動になるしね。けど」

 そして、その背に座り込むルチアにちらと視線を流し、

「それなら後でこのお嬢さんから聞くといい。そのことについては全部話してあるからさ。お望みなら、きちんと傷一つ付けずにお返ししよう。来るべき時にね」

 再び視線をサリュー達の方に向けると、秘密の紐を解くように語り始めた。

「そこの彼の言っていた通りさ。僕にはこの妹君を無闇に傷付ける理由もメリットもない。けれど、身柄を預かる必要はあったのさ。それこそ、君達が予想したとおりにね」

 そう言って、ジークは芝居がかった仕草で、両腕を広げてみせた。

「僕の目的はこの時点で達成されているんだよ。妹君――コーバッツ公社の令嬢を手中に収めた状態で、今ここにその兄君が……王都自警団所属の彼が来てくれていることでね。あとは《彼ら》さえこの場に訪れれば、この町における、この場での僕の役目は達成される」

「《彼ら》……?」

 繋がりのない単語にルベールが引っ掛かりを覚える中、ジークは不本意とばかりに言う。

「正直、非常に癪な役回りではあったんだけどねぇ。これも僕達の、ひいては母様の大望のため。そのための遠回りな《芝居》を、打たせてもらったわけさ」

 そして、手札は全て見せたとばかりに手を払うと、翡翠色に光る眼を上げた。

「さて……そういうわけで、僕は《正解》が到着するまで暇なんだ。お嬢さんと話すのも楽しかったけど、少しは体を動かしておきたいんだよねぇ……と、いうわけで」

 言葉と共にジークが、パチン、と指を鳴らす。

 瞬間、サリューの背に隠れていた二人を取り囲むように、空気が渦を巻いた。

「ルベール! セリナ!」

『大丈夫です! 脱出できる方法を探します!』

 咄嗟に二人の無事を呼びかけたサリューに、空気の渦の中から即座にルベールの答える声が聞こえてきた。その声を聞いたジークが、忌々しげに言う。

「つくづく状況判断が早いねぇ。まあいい、これで舞台は整ったってわけだ」

 そして、両腕を道化師のように広げてみせる。不敵な笑みを浮かべるその意志に呼応して大気から集まり彼の身を纏う光る風が、凶気に満ちた笑みを彩る。

 一瞬の内に、ジークの髪と瞳、そして全身は、翡翠色の風に纏われ、彩られていた。

「遊び相手になってくれるかい、サリュー。賭金はそこのお付き二人の命ってことで♪」

 その言葉を聞いたルチアが、ジークに食って掛かるように言った。

「貴方……お兄様に危害は加えないと、約束したではありませんか!」

 ルチアの言葉に、ジークは答えない。それを見たサリューが、呆れたように言った。

「舐められたものね。いいでしょう、久しぶりに遊びましょうか、ジーク。私の可愛い後輩達を手にかけようとしたこと、後悔するくらい叩きのめしてあげないとね」

 その言葉と同時、サリューの髪と瞳も光を放ち始める。彼女の体から発せられる霊気の波動に呼応するように、大気の中から水の粒が現れ、彼女の周囲を巡り始める。

 互いに戦意を魔力の形に表して向かい合う中、サリューはかつての友と言葉を交わした。

「こうして向かい合うのも、何年振りかしらね」

「んん、そうだねぇ……あの頃以来だから、十年振りくらいじゃないかい? 感慨深いねぇ」

「そうね。再会を素直に喜べないのは、残念だけれど」

 瞳に陰を見せて言うサリューに、ジークは誘うように言う。

「そう思ってくれているのなら、こちらに戻って来てくれはしないかい?」

「残念だけれど、それもできないわ。今は、こっちにクララがいるから」

 サリューのその言葉に、ジークの目元がわずかに顰められる。

「クララ、か。君といい彼女といい……本当に因果なものだ」

「どういう意味?」

「いずれわかるさ。それに、今の君が知るべきことじゃないし、知らない方がいい。まだね」

 煙に巻くようなジークの物言いに、今度はサリューが眉を顰めた。

「相変わらず回りくどいのね。だから信用されないのよ」

「耳が痛いねぇ。君と彼女のことを思ってのサービスだよ?」

「知らない方が私達のためになるってこと? だとしたら随分舐められたものね。私もクララも」

 不服とばかりに言い返して、サリューは己の信念を宿した視線をジークに向ける。

「あなたが隠してくれていることを、きっと私もあの子もまだ知らない。けど、何があったとしても、私の選ぶ道は変わらない。それは、ずっと前から決めてることだから。私はあの子と、あの子の信じる道を支えると決めている。それが私の道だから」

 そして、そう宣言すると、冷たい視線を向けたまま、ジークに己の意志を告げる。

「だから、クララの気でも変わらない限り、私はあなた達に与する気はないわ。悪いわね」

「んん……何というか、君らしいね。君のそういう所、割と好きだったよ。あの頃から」

「ありがと。こんな立場じゃなかったら、喜んで茶化してあげたんだけどね」

 呟くように言って、サリューはジークの眼を、旧い絆を懐かしむように見て、訊ねた。

「ねえ、ジーク。私達、いつか、また、あの頃みたいに一緒にいられると思う?」

「んん……そうだねえ。僕達次第じゃないかな」

「そう……」

 風が吹き抜ける中、サリューとジークの間に、静かな視線が交わされる。それは、時を経て変わってしまったものと変わらないでいるものを探ろうとしているような時間だった。

 やがて、サリューは静かに目を閉じ、開いた。その瞳からはかつての仲間を敵に回すことへのためらいが消え、使命を果たすべき者のそれに色を変えていた。

「お喋りはここまでにしましょう。今の私達に、そんな時間はないからね」

「そうだね。戦いの場で敵と語らいを楽しむのは、いくら何でも茶番が過ぎる」

 そして、双方共に見切りをつけるように言うと、臨戦の構えを取り、宣戦した。

「ルチア・コーバッツ嬢誘拐の容疑で、あなたを拘束する。覚悟しなさい、ジーク」

「応とも。十二使徒ジーク・ヴィント。我らが《墜星》の名の元にお相手しよう」

 名乗りを終えた直後、サリューとジークの視線が噛み合い、戦いの火蓋は落とされた。

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