第5章 工業都市エヴァンザ編 第2話(6)

 サリュー達女子陣がカローネ亭を出るよりも早くに、ルベールはきっちり言葉に違わず先に湯を出て、湯場で売っていた珈琲牛乳を飲みながら、彼女達が出るのを待っていた。夕暮れの近くなってきた橙色の空は、徐々に夕闇に塗り替えられつつある。

(何事も、起こってないといいけど)

 珈琲牛乳の瓶から口を離しながら、ルベールは不穏な予感に苦笑しつつ、今後のことについて時間のある内に考察と方針をまとめる。

 父であり公社長ルグルセンの同意は得られたが、町の総意決定のためには市議にかける必要がある。ルグルセンも話していた通り、この町は古くから権力問題を巡って熾烈な政争が繰り広げられてきた土地だ。王権の一派に大きく肩入れするこの案件、無事に片付くとは到底思えない。そこはこの町の代表権者である父に任せるしかないが、最悪ルチアの危惧していたように論争が激化し、公社の地位に危険が及ぶ可能性もあり得る。

(それでも、今僕に関わって力になれることは何もなし、か……)

 できないことが何もないわけではないだろうが、それでも直接的に関われることはあまりにも少ない。父や町の力になれることも、どれだけあるだろうか。

(5年も町を留守にして、状況に変わりはなし、か……自分が嫌になりそうだな)

 空になっていた牛乳瓶を握り締め、ルベールは己の非力さを実感していた。

 小さく息を吐き、ルベールは現在自分の身近にいる仲間について思考を巡らせる。この町に入ってからというもの、ルベールは内心彼女らの行動に驚かされてばかりだった。

(サリューさんは……たぶん、察してるんだろうな)

 何をどの程度、とまでは言えないし、わからない。だが彼女はルチアやルグルセンに会う前、もっと言えばこの町に入る前から、自分にとっての重大な用件が近づいていることを察していたようだった。おそらく、この町が自分の長い間留守にしていた故郷だという情報と、今までに自分を観察してきた中から得た経験則からだけで。

 そして、彼女の示唆は、何一つ的外れではなかった。事実、自分がこの町に帰ってきたことは、少なくとも自分にとって大きな意味を持っている。だがそれを、自分は何も詳しく話していないのにそこまで見抜かれていると、もはやある種の空恐ろしささえ通り越して呆然としてしまう。

 しかしそれも、問題に直面しようとしている自分の身を案じてくれてのことだと思うと、悪い気はしなくなる。誰に対しても自然体で気遣いができて、それすらも流れる水のように自然な所。そういう所が、自分が彼女に憧れる大きな要因なのだろう。

 敵わない、と思いつつ、ルベールはもう一つのことにも思いを巡らせた。

(セリナは……ちょっと、見くびってたかな)

 事情を知るや否や、即座に問題の構造を見抜き、ルチアを説得に行ってくれたセリナ。

 あそこまで直感的に自分とルチアの関係の危機を察して行動してくれるとは思っていなかった。あれほど直感的な行動に及ばせるような感情を彼女が有しているということなら。

(ルチアに警戒されても仕方ないってことか……女性っていうのは、本当に怖いな)

 あるいは、ルチアもまた彼女のそうした無意識的なセリナの意識を女の勘で敏感に感じ取ったからこそ、彼女を過剰なまでに警戒していたのかもしれない。

 サリューの慧眼といい、セリナの野性の勘といい、ルチアの妄執といい、女性の力の未知なる大きさを、ルベールは思わずも渦中の当事者として感じさせられていた。

 苦笑しながらルベールは首を振り、夕暮れに向かっていく橙色の空を見上げた。

 いずれにせよ、5年の時を経て帰還したことで、新たな関係や問題が生まれつつある。そして、自分は今やそれらの問題に対し、直視し対処することを担うべき立場にあった。

 それは自分のため以上に、自分に関わる大切な人達のために。

《ちゃんと責任を取りなさい。あなたが決着をつけるべき、全てのことにね》

 エヴァンザに入る直前に言われたサリューの言葉が、意識の中に蘇る。

「本当に……ちゃんと責任は取らなくちゃな」

 その言葉の示す彼女の期待に、自分が果たすべき責務を思い、ルベールは気を引き締めた。

 そこに、湯場の門を潜り、湯気の立ちそうに肌を薄紅に温めた女性陣が姿を現した。

「あら、お待たせルベール。いいお湯だったからつい長居しちゃったわ。待たせちゃってたらごめんなさいね」

「いえ、大丈夫ですよ。大して待ってなかったですから」

 返しつつ、ルベールはサリューの後ろで微妙な距離を置いて歩くルチアとサリューに目を遣った。何やら奇妙な連帯感を思わせる二人の間の空気の変化を、ルベールは訝った。

「どうしたのさ、二人とも。サリューさん、何かあったんですか?」

「さあねえ。私は何もしてないつもりだけど。乙女の秘密でもあったんじゃない?」

「ええ、何でもありませんわ。行きましょう、お兄様。お風邪を召されては大変ですわ」

「そーね。これは一応、女としての問題だから。あんたは黙っててよね、ルベール」

 何やら有無を言わせぬ様子で自分に迫ってくるルチアとセリナ、それを眺めて笑みながら、こちらに思わしげな視線を向けてくるサリュー。

 その様子から、どういう類の雰囲気なのかは察しがついた――そしてそれはセリナの言う通り、自分が干渉できるものではなさそうだった――が、何より、守りたいものが凝縮したようなその光景に、ルベールは胸を洗われるように感じていた。

(今は今、僕にできることをしよう。大事な人達を……この人達を、守れるように)

「そうだね。それじゃ、帰ろうか。髪が冷えるから湯冷めしないようにね、三人とも」

 胸中に決意を秘めながら、ルベールは大切な女性達に向けて、朗らかそうに笑ってみせた。

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