第7話 歌川桔歌の目線Part6

『わたくしの家に毎日のように来て、名前も告げずに去っていった方。それがあなたなの?』


 箸を置いた雛見がまるで別人のような大人びた声音で私に尋ねた。口をついて反射的に言葉が出た。


『はい。無礼な振る舞いをお許しください。しかし、もし名乗ったとしても貴女は私がお分かりにならなかったでしょう。いえ、きっと怖かったのかもしれません』

 無理して低い声を出さなくていい、という忠告を踏まえ、私は言葉を返す。

『何をそんなに恐れることがあるの?』

『だって、貴女の手を引く男性はたくさんいるのでしょう?もし私が名乗れば貴女は私をその中の一人だと思うかもしれない。そしてそのまま忘れられてしまうかもしれない。貴方に名前を覚えてもらえないつまらない一人として』


「上出来上出来。タイミングもちょうどいい塩梅だ」


 雛見は元の声音に戻っていた。どうやら及第点を貰えたらしい。

 ここは学校の寮内にある私の部屋だ。買い出しが終わった後、学校に入る前に解散し、二人で夕食のおかずを買ってきた。

 ご馳走さまでした、と手を合わせた後、雛見がごろん、とベッドの上に寝転がった。

 皿の上にはきれいに何も残っていなかった。私が作ったのはヒラメのムニエル。あっさりとした食感が好きで、私はよく自分に作っていた。得意料理なので、雛見にごちそうしていた。


「今度、なにか奢らせてもらうよ」

「いいですよぉ、別に」

「友達を食事当番にしてばかりじゃ、私が自分を許せない」

「気負い過ぎですって。友達でしょう?」

「よくこうやって、誰かに作ってたの?」

「はい」

「……誰にー?」

「お父さんにです」

「羨ましい」


 そう言いながら、雛見はゆっくりとベッドから起き上がった。


「これなら、明日の通し稽古も大丈夫でしょうか……」

「私達が気を抜きさえしなければね」


 私は立ち上がり、窓に近づいた。

 窓から遠く離れた敷地内に、小さな森の木立が見えた。

 ちなみに、さっき行っていた台詞の応酬は自主練の代わりである。急に台詞を振られてもすぐ反応できるか、というゲームのようなものだ。

 シナリオをすぐに読み終えた私達は、一度お試しで演じてみることにしたのだ。初共演?にしてはなかなかうまくいったところだろう。少し誇らしい。私は雛見の演技力についていけている。


「ここ、座りますよ」

「ご自由に」


 いつのまにか、雛見はさっきまで私達が食事をとるのに使っていたテーブルのところに戻っている。


 ———自由な子だなあ、相変わらず。


 私はロッキングチェアに腰掛けた。結構古いものらしいが、頑丈に作ってあるのか軋み一つあげない。


「それじゃ、再開しておくれ」


 雛見が目を細めて言う。


『マルグリット、僕は自分で考え出し、自分自身で儲ける事業の利益しか山分けしたくないんだ』


 今度は私から芝居のセリフを切り出す。


『それはどういう意味?』


 応酬は続いていき、ひと段落した頃に部屋の置き時計が十時を告げた。


「もうこんな時間かい」

 雛見が手で口をおさえてあくびをした。その動作にはなにげなく気品があった。


「そろそろ眠りましょうか」


 私が声をかけた。


「パジャマパーティーしないかい?」

「なんで、急に」


 私は思わず聞き返した。


「したことがないから、やってみたいのさ」


 くすくす、と雛見が口元をおさえたまま笑った。

「私はほら、楽しいのが好きなんだ」


 私も、それは同感だった。

 それに友達と、プライベートな空間で遅くまで練習するのは初めてで、私も気分が上がっていた。


「いいですよ」


 私は、やはりこの子の自由なところが好きなようだった。

 予想がつかないところ。

 ふと、アルマンがマルグリットに惹かれた理由が分かった気がした。

 彼の周りには、マルグリットのようなタイプの女性はいなかったに違いない。

 奔放で美しく、気高い。

 そして、マルグリットと雛見を比べると、私はきっと、雛見の方が魅力に感じるのだろうと私は思った。

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