アイスコーヒーとボング

 次の日、藤田はさっそく顧客達の所に顔を出していた。


 大変な作業だが、現役の頃はこれくらい余裕でこなしていたのには、藤田自身も驚く。藤田の根っからのコミュニケーション能力で、顧客の数は多かった。駐車場で取引する人、実家に暮らしている引きこもり、車屋さんのディーラー、なんと古いお寺のお坊さんですら、当時の藤田と桜庭の顧客なのだ。

 ほとんどの顧客は、藤田による説得でなんとか『GreenCrack』を買ってくれることになった。もちろん昨日と同様、何人かは手のつけようのない状態になっていたのだが、藤田は「できる限り今までの顧客を救わなければ」とゆう使命感に駆られるのだった。


「そろそろ日が落ちそうだ」

 朝から歩き続けている藤田は、駅前の喫茶店に入り少しだけ足を休めることにした。


 冷えた珈琲を注文し、待っている間スマホで麻衣が作ってくれたSNSのページを確認する。


「お、すごいメールの量だ」

 藤田はメッセージ欄の数字を見て驚く。


 その数字は、なんと【22】


 ページを作成してから一日しか経っていないのに、この勢いだ。藤田は麻衣の実力に驚き、感心し、未読のメール内容を確認しようとすると「お待たせ致しました」とウェイターが珈琲をテーブルに置く。


 その珈琲の見た目は美しく、汗をかいたロンググラスに、砕いた氷が敷き詰められ、さらには透明のストローが丁度良い角度でお辞儀をしていた。藤田は、一度スマホをテーブルに置くとグラスを持ち上げ、慎重にストローを口元まで運ぶ。器用に口でストローを咥えると、渇ききった喉目掛け、一気にコーヒーを流し込む。


「うまい」

 ごくりと喉を鳴らすと、思わずグラスを見つめ、声を出してしまった。


 産地や細かいことは分からない。ただ、喉の奥から鼻に抜けるこの香り、酸味の中に感じる奥深さ。藤田は出所後、八年ぶりの珈琲を口にしたのだ。


 珈琲を一人楽しんでいると、スマホが鳴った。画面を見ると【麻衣】と表示されている。


「もしもし、どうした」

 藤田は電話に出た。


「藤田さん、こんにちは。あ、もう夕方近いからこんばんはかな」

 麻衣はそう言うと話を続ける。


「藤田さん、見ましたか。メッセージの数。私も実は驚いていて」

 麻衣は興奮しているようだ。


「俺も驚いているよ。麻衣はすごいな」


「ありがとうございます。でも一つだけ気になったことがあるんです」

 麻衣の声は落ち着く。


「なんだ」


「メッセージの中に一通だけ変な内容のものがあったんです」


「変な内容ってどんなだ」


「『調子が良いみたいだな』って。もしかして桜庭先輩がもう嗅ぎつけたとか」

 麻衣は暗い声で言う。


「さすがに早すぎるだろう」

 そう言う藤田だが、正直今は桜庭の顧客である人達に声を掛けているのだから、早々にバレる可能性があるということは理解していた。


「どうするの。続ける、よね」

 不安そうな麻衣の声がスマホ越しに聞こえる。


「始まったばかりだ。この調子でいくぞ。麻衣、この後来れそうなら健人の部屋に来てくれないか。今日の報告に行く」


「行きます」

 麻衣は意気揚々と言った。


 藤田は麻衣との電話を終えると、珈琲を飲み干し喫茶店を後にする。電車に揺られ、眠い目を擦りながら家路へと向かいアパートに着くと、丁度目の前にタクシーが止まり、車内から麻衣が下りてきた。


「グッドタイミングだね、藤田さん」

 にこにこしながら言う麻衣は、軽快に鉄骨階段をあがってゆく。


「感情表現が豊かな奴だなぁ」

 藤田は、麻衣の後ろ姿を見てそう思うのだった。


 麻衣が健人の部屋のドアを叩くと、中から「どちら様ですか」とゆう健人の声がする。


「宅急便です」

 麻衣がふざけて言うが「麻衣か、いらっしゃい」健人には、すぐに気付かれてしまい、ドアがゆっくりと開く。


「入って。そろそろ藤田さんも来ると思う」

 健人は、麻衣を家に招き入れるとドアを閉めようとする。


「おいおい、いるよ。藤田さんここにいますよ」

 藤田はドアが閉まるのを阻止すると、少し声を荒げた。


「びっくりしたなぁ、驚かせないでよ」

 健人は怒る。


「悪い、おまえの事だから気付いているもんだと思って」

 藤田はへらへらしながら健人の頭に手を置いた。


「今日はどうだったの」

 健人はドアの鍵を閉めながら聞く。


「今日も順調だ。さっそく問い合わせが沢山きてるしな」

 藤田は得意げだ。


「そうだったんだ。反応がよくて嬉しいよ」

 健人は首を二度ほど縦に振る。


「今日も麻衣に来てもらったのには、さらに嬉しいニュースがあるからなんだ」

 藤田はにやつく。


「なによ、藤田さん。ちょっときもいよ」

 その顔を見た麻衣が言う。


「声がやらしいよね」

 健人も続ける。


「君たちそんなこと言ってると、すでに振込されている金額教えてあげないよ」

 藤田の腕を組むその態度と声を聞いた二人は、姿勢を正し黙り込んだ。


「よろしい。では発表する」

 藤田は口でドラムロールのような音を奏でると、沈黙した。


 少しの間を使い「25万5000円」と大きな声で叫ぶ。

 その結果を聞いた健人と麻衣は勢いよく立ち上がり、喜びを全身で爆発させる。


「すごいよ藤田さん。まだ二日目だよ」

 健人も珍しく高揚しているようだ。


「すごい、本当にすごい」

 麻衣は感動のあまり目を赤くしている。


「俺もびっくりだよ。三人で力を合わせた結果だ。今日はお祝いしようか」

 藤田は隠し持っていたボング(大麻を吸引するための道具)を取り出し、台所に行き、水を入れ戻ってきた。


「ボングを買ってくるなんて、藤田さん本当に大麻好きだよね」

 麻衣が言う。


「ボングってなに」

 健人が聞く。


「ボングってのは、ガラスで出来た筒状のようなもので、一度煙を水に通すことによって、煙がマイルドになるんだよ。氷を入れればさらに良いぞ。ジュースなんかを入れてフレーバーを感じたりもできる。コスパや手間はかかるが、その分、普段より満足するはずだ」

 藤田は自慢げだ。


「さすが、詳しいね。それなら氷入れようよ」

 健人が提案する。


「そうね、私も氷入れたい」

 麻衣も同調する。


「よし、せっかくならそうしよう」

 藤田はそう言うと再度立ち上がり、健人の部屋の冷凍庫を開け、氷をボングに詰めた。


「麻衣も藤田さんもこっちにきてよ」

 健人はその間に母の部屋へ行き、GreenCrackをグラインダーですり潰し、準備を始める。


 現在健人の母の部屋では、大麻の株が大量に置かれていて、母の使っていたベッドは端に置かれ、仏壇のサイドには一番立派な大麻の株が置かれている。三人は、母の部屋で胡座をかき、ボングを囲う。

 大麻の花の芳醇な香りに包まれ、襖の隙間から漏れる光は部屋を薄暗くさせていた。藤田がボングを健人に持たせ、火皿(ボングのガラス部分から飛び出した部品のこと)に砕いたGreenCrackをのせる。


「今から火皿にのせた大麻に火をつけるぞ、ライターの音が鳴ったらゆっくりと吸い込んでみてくれ」

 藤田はそう言ってと火を灯した。


 その音を聴いた健人は、ゆっくりと吸い始める。


ぽこぽこぽこぽこ...


 可愛らしい音をさせ、ボングの中身が真っ白な煙でいっぱいになる。藤田は絶妙なタイミングで火皿を抜く。(火皿を少し抜くことにより、中の煙をなくすことが出来る)健人はジョイントで吸うより、遥かに多い煙を肺に溜めた。


「これすごい吸いやすいよ。確かにマイルド...ごほっ、ごほごほっごほごほ」

 健人は盛大な咳をする。


「いい感じだな健人。麻衣に渡してやれ」

 藤田は健人からボングを受け取ると、麻衣に渡す。


「私もあまりボングの経験なくて...」

 麻衣は不安そうだった。


「そうなのか、無理しないでいいよ。ジョイントにするか」

 藤田は優しく言う。


「うーん。せっかくだからボングを少しだけ吸ってみようかな」

 麻衣は、好奇心には勝てなかったようだ。


「吸い過ぎないように気を付けてな。やり方は見てた通りだからやってみて」

 藤田は麻衣にライターを渡し立ち上がると、冷蔵庫から水をもってきた。


 麻衣も、火皿にのせたGreenCrackにライターで火をつける。あの可愛らしい音を少しだけさせ、ボングの中身を煙でいっぱいにし、すうっと煙を肺まで入れる。


「うわ、本当だ。ジョイントより全然吸いやすい」

 麻衣は吸う量を調節したため、派手にむせることはなかった。


 藤田は麻衣に水の入ったグラスを渡すと、ウキウキがバレないようにボングを受け取る。焦げ切ったGreenCrackを、新しいものに詰め替えると子慣れた手つきで、ボング内の煙を、ニ回に分け吸い込んだ。


「最高だ。やっぱりボングだよなぁ」

 語尾が間延びする藤田は、再度健人に渡すと音楽プレーヤーの前に行き【坂本慎太郎の『思い出が消えてゆく』】を流す。


 音の波に呑まれる三人は、ふわふわとした浮遊感の中で脳に直接届く音楽を楽しんだ。


「藤田さん、なんかすごくお腹が空いた」

 健人は言う。


「私も。なんでだろう。最近食欲不振で病院に通っていたくらいなのに」

 麻衣は相当驚いているようだ。


「大麻には、未だ知られていない効能が沢山あるんだ。食欲の改善は結構有名な話だな。あとは、癌細胞を死滅させる可能性があるとゆう報告や、癲癇の治療薬としても重宝されている」

 藤田はネットで拾ってきた情報を自慢げに話した。


「可能性がまだまだあるんだね。俺も大麻の効能に興味が出てきた」

 健人が言う。


「大麻については、学校なんかで悪い話しか聞かないだろ」


「悪い話もなにも、ダメ絶対って学びました」


「まあ、ほとんど...というか全ての学校ではそういう教育だろうな」


「藤田さんのその言い方だと、ダメ絶対じゃないってことだよね」


「少なくとも俺はダメ絶対ではないと思う。大麻なんて酒やたばこより依存度は低いわけだし、誰かに迷惑をかけてるわけでもないしな」


「確かに誰にも迷惑をかけてない...じゃあなんで法律で禁止されてるのかな」

 健人は腕を組み考えた。


「GHQが麻を麻薬に指定したんだ。大麻自体は神道でも神聖な植物として扱われ、伊勢神宮のしめ縄なんかにも使われてきたんだぜ」


「それならなんで麻薬に指定したの」


「1940年、麻の繊維の需要拡大によって麻栽培が奨励しょうれいされて、当時の農林省が日本原麻げんま株式会社を設立した。ところが、戦後の日本はアメリカのマリファナ政策に巻き込まれることになるんだ」


「アメリカが...」


「しかも、日本で自生していた大麻には、幻覚を起こす成分のTHCが少量しか含まれておらず、ハイになる成分はほとんどなかったんだと」

 藤田はアイスボングのせいか、いつもより饒舌になり話を続けた。


「少し難しい話になるんだが、GHQが降伏の条件を明文化したポツダム宣言をベースに、1947年に大麻取締規則を、そして産業大麻を規制するために起案された大麻取締法を公布し、麻を麻薬に指定したんだ」


「つまり、日本はアメリカに無条件降伏をしなければいけなかった。その中で、うまくいっていた大麻産業に目を付けられたのね」

 麻衣は渋い顔をする。


「今も昔も、歴史を形作るのは勝者ってわけだね」

 健人が言う。


「それは間違いないだろうな。ただ勘違いしてほしくないのは、大麻はゲートウェイドラッグにはなりうるってとこだ」


「藤田さん、ゲートウェイドラッグってなに」


「つまりは、危険な薬物に手を出すきっかけにはなるってことだ」


「なるほど...」

 麻衣はうなずく。


「大麻愛好家の中には、『大麻はゲートウェイドラッグではない』なんて言う人もいるが、俺は反対の意見だ。大麻を嗜好品として楽しむうちにハイの感覚に慣れてくる。すると、幻覚作用への恐怖が薄れてくるんだ」


「恐怖が薄れていくと、大麻の量が増えるんだね」

 健人が言う。


「そうだな。それもそうなんだが、他の薬物に対するハードルが物凄く下がってしまうんだ。その結果、LSDやコカインなんかに手を出したりする。しまいには覚せい剤にも...」


「そう言われてみると、素人には大麻と覚せい剤の違いなんて分からないかも...」

 麻衣が言う。


「だろ。大麻の幻覚作用というか、ハイの感覚を覚えてしまうと、他の薬物との違いなんて大差ないだろうと思い始めるんだ」


「それは確かに危ないね」

 健人が言う。


「覚せい剤で駄目になった人間を見た俺から言わせてもらうと、『覚せい剤をやるくらいなら、大麻をやったほうがいい。覚せい剤をやるということは、人間を辞めるのと同じことだし、十分な判断能力がないのなら、大麻に手を出すな』と言いたいんだ」

 藤田の言葉は熱を帯びていた。


「藤田さん、呼吸が荒くなってるよ。少し落ち着いて」

 熱い雰囲気を察した健人が藤田をなだめる。


「悪い。覚せい剤で駄目になったやつのことを思い出して、つい熱くなった。だからお前たち、大麻を甘く見るなよ」


「甘く見るなって言っても、勧めてきたの藤田さんじゃん」

 健人が笑いながら言った。


「ま、まあそれもそうなんだが...初めて見た時の健人は、それどころじゃなかったんだ。何としても助けたかった、その一心だった」

 藤田は申し訳なさそうに頭を掻く。


「嘘嘘、少しからかっただけだよ。そこで一つ提案。どこかにご飯食べに行こうよ」

 健人は言う。


「お、それは最高かもしれない」

 藤田は立ち上がり、さっそく財布やらをポケットに詰め込む。


「行こう行こう」

 麻衣のテンションも上がっている。


「ちょ、二人とも準備早すぎるよ」

 健人も慌てて仕度を始めた。


 こうして三人は、多幸感に包まれたまま部屋を後にするのだった。

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