第53話 人形と ”恋”

 女騎士は大闘技場の最高所から、燃える帝都を見下ろしていた。


 最上段である五段目の観客席。

 そのさらに上に張り出された石造りの日除けは広く頑丈だったが、うら若い女騎士は心細かった。

 世界に自分だけが残されてしまったような想いが、心を捕らえて放さない。


 あの時と同じだ……と思った。


 遙かヒューベルムとの国境。

 太古の樹海の洞窟に、ひとり残された時と。


 いくさは嫌だ……。

 戦は大切なものを何もかも奪っていく……。


 戦場での勇気といさおしをなによりの誉れとする騎士を――自分を否定する気持ちが、今の彼女のすべてだった。


 彼女は友を失い、家族を失い、故郷である領地と領民を失った。

 そして今また、灰の中から拾い上げるように手に入れた新しい友を……自分の中で日増しに大きな存在となっている友を、失ったのかもしれなかった。


 喪失の涙が零れた。

 気丈な振る舞いとは裏腹に、本来の彼女は泣き虫だった。

 濡れた瞳で、空を見上げた。

 友が飛び立った空を。


 女騎士の双眸そうぼうが徐々に見開かれていく。

 それは最初、蒼穹に浮かぶ小さな点でしかなかった。

 やがて点は鳥の形になり、鳥はカラスだと分かった。

 喪失の涙が喜びの涙に変わり、鴉の姿は滲んで見えなくなった。


 漆黒の大鴉レイヴェンが背中にふたりの少女を乗せて、彼女の前に降り立った。


 アスタロテ・テレシアは帰還した友の元に駆け寄り、その胸に飛び込んだ。


◆◇◆


「馬鹿者! 心配したではないか!」


 装鎧アーマードを解いた俺に抱きつくと、アスタが声を上げて詰った。


「死んでしまったのかと思ったではないか! またひとりになってしまったと思ったではないか! おまえは酷い奴だ! 鬼畜だ! どうしていつもいつも、わたしをさいなむのだ!」


「……ごめん」


 泣きじゃくるアスタの背中をあやしながら、謝った。

 気丈に振る舞ってはいても、ようやく二十歳になったばかりの女の子なんだ。

 仕方ないよね。

 こういう時もあるよね。


「……禁止」


 仕方ない――では済まないディーヴァが気を失ったパティを抱えたまま、ブスッと言った。


「これはではない!」


 自分以上に子供返りしてしまったアスタに、ディーヴァが不機嫌に黙り込む。

 彼女も少しずつだけど、空気が読めるようになってきた。


 アスタはしばらくグズっていたがやがてそれも治まり、


「パトリシアは……無事なのか?」


 と泣き腫らした目で、意識を失ったままのパティを気遣った。


生命兆候バイタル・サインに以上はない。脳波もだ。しばらくすれば意識を取り戻すだろう」


 ディーヴァが答えた。

 地上に戻るまでの間に生体走査バイオ・スキャンを済ませていた。


「そうか……よかった」


 アスタは安堵し、それからまた俺を見た。


「マックス、奴はどうした?」


「仕留めた」


 大きな吐息をつくアスタ。


「おまえはすごい男だ、マックス。あんな化物を倒してしまうなんて」


「全部ディーヴァのお陰だよ。ディーヴァと、ディーヴァがくれた ”もたらす者ブリンガー” がなければ、俺だけでなく世界が滅んでいた」


「それはわたしのセリフだ。わたしこそマスターナイトがいなければ使命を果たせなかった。”ルシファー・レイス” をできたのは――――」


 俺の視線をうけたディーヴァが、不意に黙り込んだ。

 初めて見る表情――困惑が浮かんでいる。


「ディーヴァ?」


「どうした?」


「……なぜわたしはという言葉を使っているのだ?」


「え?」


「なぜわたしはと言っていないのだ? これまでわたしはこういった場合、という言葉を使っていたはずだ」


「なにを言っている? 単に言葉のあやというか、表現の違いというだけだろう?」


 訳がわからないといった風に、アスタも困惑した。


 いや……そうじゃない。


 俺にはなんとなく、ディーヴァに生じている違和感がわかった。


 という表現は、最強のBDバトリング・ドールでもある彼女のから発生している。

 最強であるディーヴァは立ち塞がるものすべてを叩いて砕いてしてこそ、自身の存在を確かめ認めることができるのだ。

 そこにはという言葉――概念は存在しない。


 ではその概念――言葉はどこから生まれたか?


「君をこの世界に送り込んだ創造者クリエイターの使命……」


「そう。わたしが創造者から与えられた使命は、”ルシファー・レイス” のだ。ではなく……」


「だが、その ”ルシファー・レイス” とかいう化物の最後の一匹を倒したのだろう? 奴自身がそういっていたぞ? ならばも同じ意味ではないのか?」


 どうにもピンとこない様子のアスタ。


「……最後の一匹……最後のひとり……最後の ”ルシファー・レイス” ……」


 呟くディーヴァの顔が、驚愕と恐怖に歪んだ。


「しまった! あいつはではないだ!」


 次の瞬間、闘技場が――いや天地が鳴動した。


「な、なんだ!?」


 アスタが叫んだときヴェルトマーグの石造りの街並みを突き破って、巨大な尖塔が次々に地下から突き出た。

 そして尖塔から湧き出てくる、装甲に包まれた ”甲鎧の魔獣” たち。


 兵士ソルジャーがいる。

 翼人ガーゴイルがいる。

 牛人ミノタウルスがいて、巨人トロルがいて、悪魔デーモンがいる。

 さらには――。


「GiEeeeeeーーーーーーッッッッッ!!!」


ドラゴン!?」


 甲高い彷徨を上げて飛翔する巨大な魔獣を見て、アスタがおののいた。


「な、なんだあれは!?」


の復活だ」


「なんだって!?」


「最後に残っていたロードを倒したことで、次の世代が復活したのだ……」


 ディーヴァが現出した信じがたい光景を前に、悄然と呟いた。


「それが越次元侵略生命体 ”ルシファー・レイス” の種族特性だ……」


 種族が衰え。

 最後の一匹が果てたとき。

 その死をトリガーに、次の世代が一斉に興る。

 真っ白に燃え尽きた灰の中から、新たな生命が産声を上げる。


「……不死鳥フェニックス……」


「そうだ。ロードの自己犠牲サクリファイスによって、種の復活が成されたのだ」


「それじゃ、”騎士の鎧ナイト・メイル” は……」


「甦った奴らのための身体。特に人間に近い形のものは雑兵の身体だ……」


 俺は……唐突に理解した。


 なぜ ”ブリンガー” が ”レイス・スレイヤー” ではなく、”ナイツ・デストロイヤー” と呼ばれているのか。

 すべてはあの ”甲鎧の魔獣ルシファー・ナイツ” たちを駆逐するためだったのだ。


「パトリシアがマスターナイト刺したときに気がつくべきだった……今にして思えば奴の行動は非合理だった。正体を現す必要などなかったのに、あえて姿を現した」


「そ、それはなぜだ!?」


「ロードは強大であるが故に、自分を殺すことが出来ないからだ」


 震えるアスタの問いに、冷然と答えるディーヴァ。


「だから自分のを破壊したマスターナイトに目を付けたのだ」


「……やっぱりあの ”甲鎧の魔王” は、奴の身体だったのか」


「そうだ」


 ……あの時からすでに、奴の掌で踊らされていたのか。


「皇帝に近づいたのはマスターナイトが自分を倒せなかったときの保険として、帝国の軍事力を利用するつもりだったのだろう。とてもそれで事足りるとは思えないが、ロードにしてみれば他に自分を打ち倒せる存在がないのだから仕方がない」


 うつむき、肩を落とすディーヴァ。


「わたしは失敗した……失敗してしまった……わたしの使命は奴の駆逐ではなく……奴の眠りを永遠に守り続ける墓守だったのだ……」


「それなら今度こそ、駆逐してやるだけだ」


「……マスターナイト」


「これが人生というものなんだ、ディーヴァ。成功したと思ったら突き落とされる。上手くやったと思ったら足をすくわれる」


 ああ、そうさ。そうとも。

 嫌というくらいに経験がある。

 これぞまさしく人生だ。


「でもだからって、途中で投げ出せない。逃げ出せないんだ。人生っていうのはね、んだよ」


 投げ出せるなら、逃げ出せるなら、どんなに楽だろう。

 でもそれすら出来ないのが人の生だ。

 泥水を啜っても、血反吐をはいても、


「……生きるために生きる……」


「そう。幸せになるためでも、楽しむためでもない。そんな贅沢は許されない。ただ生きるために日々を生きる。それが多くの人間にとっての人生――現実なんだ」


 目の前にある生まれたばかりの無垢な魂。

 歪めてはいけない。

 くすませてはいけない。

 もし俺の人生に遅れてきた希望があるとするなら、それは……。

 

「マスターナイトは時々とても厳しいことを言うな。普段はとても優しい人なのに」


「まぁ……ね」


 俺はさすがに面映ゆくなって、ポリポリと頬を掻いた。

 父親ぶりたいお年頃……なのかもね、多分


「わかった。どうやらわたしは動揺していたようだ。でも回復した。マスターナイトのメンテナンスのお陰だ」


「よし、それじゃ逃げよう!」


「逃げるのか!? 一致団結して奴らに立ち向かうんじゃないのか!?」


 話の流れからそうとばかり思ってた――みたいな顔で、脳筋アスタが言った。


「まずは君とパティを安全な場所に移さないと。ここに置いたままでは戦えないよ。俺が加速形態ブーステッド・エディションで運ぶから――がっ!?」


 後頭部に走る衝撃……。

 重力がなくなって……石造りの巨大な日除けに倒れ込む。


「なっ!? ディーヴァ、なんの――ぐっ!!」


(……ディーヴァ……なぜ……)


「……すまない、マスターナイト。アスタロテ」


 不意の当て身を喰らわせたディーヴァが謝った。


「……マスターナイト。いくらマスターナイトとわたしが死力を尽くしても、わたしたちだけでは奴らを駆逐することはできない。新しい世代として甦った奴らの数は、何千、何万、いや何十万にも達するはず。どんなに計算を繰り返してもわたしたちは敗れ、ハイセリアが滅びる未来しか見えない」


 薄れる意識に響く、ディーヴァの声。


「だからわたしはせめて、マスターナイトたち三人だけは逃したいと思う。助けたいと思う」


(……何をする……つもり……だ……)


「これから三人の ”想い” を他の次元に飛ばす。そこで新たな人生を生きてほしい。希望があって楽しむために生きる、幸福な人生を」


(……やめろ……そんなの……駄目だ……)


「これはわたしのエゴだ。エゴなど持たないはずのわたしがエゴを持ってしまった。わたしは壊れている。できることならわたしも最後までマスターナイトと戦いたい。でもわたしのこの胸の痛みが、それを許してくれないのだ」


(……君は……壊れてなんて……いない……)


「壊れているとも。拡張記憶領域の大半にアクセスできず、”感情プラグイン” も使えない。こんなポンコツが最高の量子オートマトンだなんて、まったく聞いて呆れる」


(…… ”感情プラグイン” が……使えない……?)


「そうだ。本当はマスターナイトにもっといろいろなわたしを見てもらいたかった。だから何度も試してみた。でも駄目だった。ひとつ足りとて使えなかった。わたしは感情を持てないのだ。ポンコツなのだ」


(……でも……それならなぜ今、君は泣いてるの……?)


「泣いている? わたしが? あれ? あれれ?」


 自分が泣いていることに気づき、掌を濡らす涙を見て、ディーヴァが狼狽えた。


「どうして? どうして?」


(……ディーヴァ……君は……)


「駄目だ、わたしは本当に壊れてしまった。これ以上壊れる前に――マスターナイトお別れだ」


(……やめろ……やめてくれ……!)


 ディーヴァは俺の懇願には耳を貸さずに ”ブリンガー” の助けを借りて、俺たちの ”想い精神” を重力子に変換し、ワームホールに送り込んだ。

 いつか見た荒ぶる量子の世界が出現した。


『マスターナイト』


 極彩色の波打つ世界。

 観測できないはずのその世界に、ディーヴァがいた。


『……ディーヴァ』


『この隧道ワームホールを抜ければ、新たな時空に出られる』


『君は……どうなるの?』


『わたしは元の時空に残る。あの時空がわたしに与えられた使命の場だから』


『そんなの酷すぎる! これじゃ君が――君が可哀想だ!』


『でもわたしの人生は価値を得た』


『……ディーヴァ』


『マスターナイトは言っただろう? 自己犠牲サクリファイスは自分の人生に価値を得たい者がする行いだと』


『違う、あれはそういう意味で言ったんじゃない! あれは……あれは……!』


『そしてわたしも言った。マスターナイトは必ず守ると』


『……くっ!』


『泣かないでくれ、マスターナイト。自分を責めないでくれ、マスターナイト。そんなマスターナイトを見ると、わたしはもっと壊れてしまう。もっと胸が痛くなってしまう』


『……それは壊れてるんじゃないよ。だって俺も胸が張り裂けそうなんだから……』


『マスターナイトも同じなのか? でもどうして?』


『……それは俺がディーヴァと同じ気持ちだから……』


『わたしと同じ気持ち……?』


『ディーヴァが好きだから! ディーヴァに恋をしているから! だから君と別れるのが辛いんだ! 辛くて、辛くて――だから胸が張り裂けそうなんだよ!』


『――!』


 見開かれるディーヴァの両目。


『…………そう……か……そうか、そうか、そうか、そうか! そうだったのか! わたしはマスターナイトが好きだったのか! マスターナイトに恋をしていたのか! あはははは! そうか! そうだったのか!」


 ポロポロと涙を零しながら、破顔するディーヴァ。

 その笑顔が、初めて見せたディーヴァの笑顔が、サラサラと消えていく。


『駄目だ、ディーヴァ! 行っちゃ駄目だ! 俺を置いて行くな!』


『ありがとう、マスターナイト。あなたに出会えて、わたしの人生は価値を得た。あなたに出会えて、わたしは幸せだった』


『ディーヴァ、行くなぁああああぁぁぁ!!!』




”生きて岳斗――わたしにすべてをもたらしてくれた、ナイツ・デストロイヤーブリンガー



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