第44話 人形と ”決戦の日”

「それではこれより、新皇帝ルシウス五世陛下戴冠記念闘技トーナメントの決勝戦を始める!」


 内大臣の高らかな宣言が、一〇万余の大歓声にあっという間に呑み込まれた。

 すり鉢状の闘技場の最底部に拡がる舞台アリーナ

 その真正面に設置された貴賓席の中でも、皇帝だけが立ち入れる専用の閲覧席。

 絢爛けんらんな衣装に身を包んだ皇帝ルシウスが、沸騰する熱気を寄せ付けない冷然とした双眸で、決戦に臨む二騎の ”騎士の鎧ナイト・メイル” を見下ろしている。


 そして玉座の横に座らされた幼い少女。


 舞台を挟んで反対側の操者ブースからも、少女の人形のような表情がわかった。

 マキシマムの記憶にある妹パトリシアは天真爛漫で、周囲からまれている兄にも屈託なく笑いかけてくれる明朗な少女だった。


 それが……。


緋薔薇ひばらの騎士ーーーーーーーっ!」


死神しにがみ騎士ーーーーーーーーっ!」


「帝国最強ーーーーーーーーーっ!」


「ラファエル様ーーーーーーーっ!」


 飛び交う歓声が、俺の意識を引き戻した。

 観客からの声援を一身に受ける緋色の ”騎士の鎧” に、視線を向ける。


 神聖イゼルマ帝国、筆頭近衛騎士。

 黒で統一される近衛騎士たちの ”鎧” の中で唯一、皇帝から特別に独自色の装甲を許された騎士。

 その色は国章である不死鳥フェニックスの色。


 緋薔薇の騎士。

 死神騎士。

 様々な二つ名で呼ばれる、マキシマム・サーク亡き後の帝国最強騎士。

 

 ラファエル・ターク。


 皇帝よりも少し若い三〇代前半の、端麗な容姿をした美丈夫。

 当然、女性ファンも多い。


「……ふっ」


『どうした、マスターナイト?』


 苦笑した俺に、ディーヴァが頭の中で訊ねた。


『いや、なんだか既視感があると思って。前回の決勝も相手はだったから』


『近衛騎士とは技量だけでなく、重要なのだろう。もっともわたしには、あの男のが美しいとは思わないが』


『ディーヴァが美しいと思う男の人って?』


『それはもちろん、マスターナイトだ――それ以外に誰がいるというのだ?』


『うははははっ』


 ブースの中で、ひとり呵々大笑かかたいしょう


『わ、笑うとは酷いではないか!』


『ごめんごめん――でも、すごく嬉しいよ』


 ディーヴァの可愛らしくもいじましい反応に、緊張が解れた。


『ほら聞いてごらん。君にも声援が飛んでるよ』


悪運デビルズ・ラックの ”ディーヴァ” !」


「今日も頼むぜ! 稼がせてくれよ!」


「そうだ! 俺はおまえに銀貨一枚賭けてるんだ!」


「たった一枚かよ!」


「バカ抜かせ、それでも当たれば大金貨一枚だぞ!」


「ははは! ”免罪くじ” を買った方がよっぽどマシだな!」


 ”免罪くじ” とは寺院が定期的に販売する、この世界でいうところの ”宝くじ” だ。

 なんといっても予選・本戦をとおして、まともに戦うことなく勝ち進んでしまった ”ディーヴァ” である。

 観客からは半ば呆れられ、半ば感心されていた。

 だがさすがにその強運も、”緋薔薇の騎士” には通用しないと思われている。


『マスターナイト、作戦は?』


『天国から地獄』


 簡潔な指示をディーヴァが応諾したとき、試合開始を告げる銅鑼タムタムが打ち鳴らされた。


 互いに剣を顔前に掲げる、装甲の剣闘士。

 一方は、目も冴えるような鮮やかな緋色スカーレット天使エンゼル

 一方は、くすんだ濃緑ダークグリーンのくたびれた兵士ソルジャー

 対照的な二騎は刀礼を終えると、距離を詰めることなく様子を見合った。


 ラファエルの ”鎧” は剣をだらりと握ったまま悠然と立っている。

 ”ディーヴァ” はといえば剣を両手で突き出し、お尻をように退いた見事なへっぴり腰を見せていた。


(口ではなんだかんだ言いながら、回を重ねるごとに上手くなってるんだから)


 今回のあのポーズは、市場で見かけた喧嘩を再現したものだ。

 録画しておいた当事者の映像を解析してモーショントレースをしているわけだが、まさに迫真の演技である。

 ディーヴァ自身は不満タラタラで、


『屈辱だ』


『侮辱だ』


『汚辱だ』


 しまいには、


『これは凌辱だ。マスターナイトはわたしを辱めて楽しんでいる性的倒錯者だ。変態さんだ』


 などと、どこで覚えてきたのかわからない刺激的な言葉を並べた立てたが、これが演技だと見抜ける人間はそうはいないだろう。

 はなからこっちを見下している貴族さまなら、なおのことだ。


 やがて ”ディーヴァ”は、ドタドタとラファエルの ”鎧” に向かって走り出した。

 吶喊とっかんでも突進でも突撃でもなく、ただ剣を突き出したまま走り寄ったのである。

 まるで昔のモノクロ時代劇で見た、竹やりを持った農民が恐怖に目を瞑ったまま、略奪者の野武士に突っ込んでいくようだった。


 ラファエルの ”鎧” は憐れみの籠もった動きで、繰り出された切っ先をかわした。

 闘牛士のように華麗に――とは言い過ぎだろう。

 そう表現するには、牛役の ”ディーヴァ” が鈍牛すぎた。


 この決勝でラファエル・タークに求められているのは、ただ勝つことではない。

 試合を盛り上げ、観客を楽しませ、なにより皇帝ルシウスを満足させること。

 特にルシウスはタイベリアルを始めとする五つの騎士領を焼き払い、前日には意識を失った下級騎士を惨殺させている。

 加虐性の強い、残虐な性格であることは間違いない。


 ラファエルは主君と会場の期待に応えなければならない。

 せいぜい ”ディーヴァ” に悪あがきをさせてから、ケレン味たっぷりになぶり殺しにするつもりだろう。

 そういった意味では、まさしく闘牛士エンターテナーだった。


 かわす。

 かわす。

 かわす。


 かわす。

 かわす。

 かわす。


「ほらほらがんばれ、悪運 ”ディーヴァ”!」


「ああ、惜しい! ほら、あと少し! あと少し!」


「あれじゃ、うちの女房の方がよっぽど腰が据わってるぜ!」


 嘲笑で闘技場が沸く。


 いなす。

 いなす。

 いなす。


 いなす。

 いなす。

 いなす。


 受ける。

 受ける。

 受ける。


 受ける……?


 いつしかへっぴり腰だった ”ディーヴァ” の背筋は伸び、踏み込みは鋭く、斬撃は熾烈しれつになっていた。


「「「「「「「「「「…………え?」」」」」」」」」」 ×一〇〇〇〇。


 一〇万の観客の狼狽は、そのままラファエルの狼狽でもあった。

 ついさっきまで余裕をもってかわしていたはずなのに、気がつけば本気の剣戟になっていた。

 それどころか今では、追い立てられるように受けに回っている。

 反対側のブースを見れば、ハッキリと戸惑うラファエルの顔があった。


(それはそうだろうね)


 からくりは簡単だ。

 光学的に偽装しているだけで、ディーヴァの身長は一五〇センチを超える程度。

 ラファエルがニメートル超の ”騎士の鎧ナイト・メイル” だと思って斬り掛かれば、当たるわけがない。

 最初から大幅に目測が狂っているのだから。


 斬ッ!!!


 そしてついに、剣を握る緋色の腕が飛んだ。

 ラファエルが目測よりも五〇センチずれて振り抜かれた ”ディーヴァ” の大剣を、受け損なったのだ。

 ”切断” が間に合わず、反対側のブースから絶叫が響き渡った。


 さらに、斬ッ!!!


 ”ディーヴァ” は容赦しない。

 残るもう一本の腕を、一瞬の間もおかずに斬り飛ばす。

 再び響き渡る、騎士ラファエルの絶叫。

 連続する逆流フィードバックと激痛に、”切断” が間に合わない。

 

 ……ドシャッ、


 左右の腕を失った緋色の ”鎧” が、炎天下に焼けた砂利に両膝を突く。


 ”ディーヴァ” は歩み寄りると、両膝立ちの ”鎧” の顔面をむんずとつかんだ。


『ディーヴァ、外部音声』


『イエス、マスターナイト』


『「ラファエル・タークに告ぐ。三つ数えたらこの ”鎧” を潰す。それまでに ”切断” するように」』


 ”ディーヴァ” の口から闘技場全体に、俺の最後通告が響き渡った。


「ひとつ!」


「ま、待て! ラファエル様は意識を失っておられる! ”切断” は無理だ!」


 ラファエルの従士がブースから叫ぶ。


「ふたつ!」


「やめろーーーーーーーっっっ!!!」


「三つ!」


 グシャッ!!!!!


 一切の躊躇もなく、ラファエル・タークの顔面は握り潰された。



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