第39話 人形と ”月光の騎士たち”

 満ち月が煌々こうこうと照らす、蒼い夜。

 廃屋の朽ちかけたドアが、きしんだ音を立てた。

 破れ壁の隙間から覗くと、隠れ家を出て周囲に広がる森に向うアスタロテの背中が見えた。

 手には一振りの剣。


 机に立てかけてあった剣を取ると、俺も母屋を出た。

 彼女のことだから心配はいらないだろうが、それでも今はお互いに目の届く距離にいるべきだった。


 虫の音の大合唱に包まれながら、アスタロテを追って森に入る。

 明々とした月の光も、森の中までは届かない。

 樹間に分け入るといきなり闇が視界を遮り、アスタロテの姿を見失った。


 でも大丈夫。

 彼女の行き先は分かっている。

 案の定、ほんの少し手探りで進んだだけで、鋭い剣風の音が聞こえてきた。

 樹林にポツンと存在する小さな広場で、アスタロテが剣の稽古をしていた。

 頭上をさえぎる枝々が払われ、再び蒼月の輝きが彼女を照らしている。


 美しかった。


 気魂が充実し、心と気と力が一致した見事な太刀筋。

 無駄な動きは一切なく、無駄な力も一切ない。

 流水のように、剣が自らの意思で踊るように、アスタロテは優美だった。


 そして唐突に理解した。


(ああ、そうか。彼女は今自由なんだ)


 と。


 騎士としての厳しい自己抑制も、直面する過酷な現実も、生真面目すぎる性格も、今のアスタロテにはない。

 月光に残映を描く剣筋が、彼女の喜びを表してるようだった。


 俺は我に帰ると、まるで剣舞を演じているような彼女に背を向けた。

 これはアスタロテのアスタロテだけの時間だ。


「――せっかく剣を持ってきているのに、そのまま帰ることはないだろう」


 その声に俺は立ち止まり、振り返った。


「邪魔をしちゃ悪いと思って」


 悪戯を見つかった子供のようにバツの悪げに、アスタロテに微笑む。


「よくよく考えてみれば、おまえと稽古をしたことはなかったな」


「そういう間柄じゃなかったからね」


「今は……どうだ?」


 俺は広場に進み出ると、剣の鞘を払って顔前に掲げた。

 アスタロテも刀礼を返す。


 そしてふたりの初めての稽古が始まった。

 一角ひとかどの騎士なら稽古に、刃引きされた剣などは使わない。

 実戦さながらに真剣を使ってこそ、技も胆力も錬れるというものだ。


 アスタロテの清冽なまでに清々しい太刀筋に、口元がほころぶのを抑えきれない。

 まるで心が洗われるようじゃないか。


 それから俺たちは、一心不乱に撃ち合った。

 息は弾むも乱れはせず、心地良い汗が肌を伝う。

 一〇〇時間話すよりも、俺とアスタロテは沢山の会話を交わしていた。

 夢中になって自分を解放し、お互いにさらけ出していた。


 どれくらいそうしていただろうか。

 やがて忘れていた時間の感覚が戻ってきた。

 再び刀礼する、俺とアスタロテ。


「ふふっ」


「ははっ」


 納剣すると思わず笑ってしまった。

 森の夜気が、火照った肌に心地いい。


「よい稽古だった。久々に気が晴れた心持ちだ」


「俺もだよ」


「わたしはおまえを見誤っていたのかもしれないな」


 アスタロテは微笑んだ。


「剣を交えれば、その相手の人となりが分かる。今交わしたおまえの剣には、邪気や卑しさがなかった」


 そして表情を改め、


「おまえは変わったのか、マキシマム・サーク。わたしが知っていたおまえの剣は、鋭く強靱だが、無機質で感情がなく不気味だった。今のおまえとはまるで別人の剣だった」


「そうかもしれないね」


 俺は苦笑するしかない。

 鬼畜騎士マキシマム・サークの中の人が、異世界人と入れ替わってるなんて言ったら、彼女はどんな顔をするかな。

 とても信じてはもらえないだろうな。

 いや、これまでとのギャップで逆に信じてもらえるかも。

 ちょっと仄めかしてみようか。


「――ねえ、アスタ」


「ア、アスタ、言うな。それはわたしが認めたごく親しい人間だけの呼び方だ」


「ご、ごめん」


 ごめんなさい、調子に乗りました。


「ち、違う、そうではない! そうではないのだ! そういう意味で言ったのではない!」


 盛大に傷ついた顔をした俺に、アスタロテが狼狽する。


「お、おまえにアスタと呼ばれると、なぜかわたしはドキッ! としてしまうのだ! 心の不意を衝かれるのだ!」


 つまり、え~と……。


「ごめん、言ってる意味がわからない」


「よ、要するに、要するにだ――マキシマム・サーク!」


「は、はい」


「おまえを、わたしのごく親しい人間に認定する!」


「はい?」


「どうだ、これでわたしを誰にはばかることなくアスタと呼べるぞ! わたしも不意を衝かれて動揺することもなくなる!」


 顔を真っ赤にして説明する、アスタロテ――アスタ。

 ディーヴァだけでなく、このもこの娘で、なかなかに難儀な性格をしていらっしゃる。


「な、なんだ、嬉しくはないのか?」


「そんなことないよ。とても嬉しいし光栄だよ」


 急に怯えた顔になったアスタを安心させる。


「そ、そうか!」


「お礼というのもなんだけど、俺のこともマックスって呼んでいいよ」


「えっ?」


「俺たちは共に死線を潜り抜けた戦友で、同じ目的のために協力し合う仲間でしょ。ざっくばらんに行こうよ」


「そ、そうか。そうだな。おまえの言葉はもっともだ――ではわたしもこれからは、おまえをマックスと呼ばせてもらう」


「アスタ」


「な、なんだ、マッ……クス」


「改めて、これからよろしく」


「う、うむ、よろしく」


 月光の下。

 ふたりの騎士は友情の握手を交わした。


「そ、それにしてもあれだ、今夜は月がきれいだな、マックス」


◆◇◆


 その頃、帝都の内郭を内から外へ越える人影があった。

 目的を達し、皇城から撤収したディーヴァである。

 任務は果たせた。

 目標は確認できた。

 ディーヴァは主の元へ帰還すべく、音もなく闇に紛れた。


 トーナメント本戦を翌日に控えた、美しい月夜のことである。


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