第8話 いきなり ”良い人”

 洞窟は湿度が高く、ヒンヤリと冷たかった。


「………………味方は、逃げ延びられただろうか……」


 硬くゴツゴツとした床に横たわるアスタロテが、誰に言うとでもなく呟いた。

 結露した床は彼女の身体から体温を奪い、もともと白かった肌が今では屍蝋しろうのようだった。


「……半分は」


 それも希望的観測で。


「……」


 アスタロテも、それがわかっているのだろう。

 俺の答えに水滴の垂れる天井を見つめたまま、再び押し黙った。


 洞窟の入り口は、起伏に富んだ太古の樹海の斜面にあった。

 周囲にはブナの大木が暗鬱あんうつに生い茂り、遠目どころか近づいてさえ、そこに洞穴ほらあながあるとは気づかない。

 入り口は大人の男が頭を下げなければ通れなかったが、すぐに広がって内部には俺とアスタロテ、そしてふたりの ”騎士の鎧ナイト・メイル” が十分に身を隠せる空間があった。


 俺は接続した自分の ”鎧” マーサに外を見張らせつつ、傷を負ったアスタロテを介抱していた。


「………………まさか、おまえに助けられることになるとはな」


 少ししてから、アスタロテが口元を自嘲じちょうに歪めた。

 アスタロテは捨て石にされた四人の下級騎士の中でも、特にマキシマム・サークを嫌っていた。


(マキシマムの素行を思えば、それも当然といえば当然なんだけど……)


「騎士学校でも、君とはほとんど話したことはなかった――なぜそこまで俺を嫌うんだ?」


 単純な好奇心で訊ねた。

 俺の中にあるマキシマムの記憶では、過去に彼とアスタロテの接点は数えるほどしかない。

 それも軽く言葉を交わす程度のもので、ここまで嫌われるのも釈然としなかった。


「………………テニア・テイタニアを覚えているだろう。忘れたとはいわさんぞ」


「……テニア・テイタニア」


 突然アスタロテの口を衝いた名前に、慌ててマキシマムの記憶を検索する。

 語彙列がヒットするのに、少し時間が掛かった。


「彼女か……マキシマムが騎士学校時代に付き合っていた」


「………………テニアは、わたしの親友だ」


 そうか……そうだった。

 マキシマムはまるで気にもとめていなかったが、確かにそのとおりだ。


 テニアという女性は俺たちの同窓で、やはり下級騎士の出だった。

 騎士見習いとして帝都の騎士学校に入学し、そこでマキシマムと知り合って、一年ほど密かに交際していた。

 秘密にしていたのは、校内での恋愛が禁止されていたためだ。

 仮にも修行中の身でありながら――というわけである。

 しかし結局マキシマムは別の問題で退学になってしまい、テニアとはそれっきりに……。


「………………わたしがおまえたちの交際を知ったのは、おまえが放校になったあとだった。あの後、テニアはどうしたと思う? ずっとおまえから連絡を待っていたのだぞ」


「……」


 だけどマキシマムは息苦しい騎士学校から解放された喜びで、恋人のことなんか忘れてしまった……。


「……それでテニアは」


「………………知りたいか? ならば教えてやる。何日待っても知らせがないことで、ようやくテニアは自分が捨てられたことに気づいた。可哀想に。ショックのあまり、あの娘は心を病んでしまったんだぞ」


「それは…………酷い」


「そうだ、おまえは酷い奴だ! 鬼畜だ! 女の敵だ! だが、わたしもわたしだ! なぜもっと早く気づいてやれなかったのだ! わたしがもっと早くに――ゴホッ! ゴホッ! ゴホッ!」


 横たわったまま激高したせいで、アスタロテは激しくせた。

 背中をさすってやりたかったが、俺が触れればますます興奮するだろう。

 傍観するしかなかった。


「………………わたしはいつか貴様と再会したときに、テニアの苦しみを思い知らせてやろうと思っていたのだ。それが……まさかその貴様に助けらるなど」


「……ごめん」


「馬鹿者、謝るな! ますますわたしが惨めになるではないか!」


「……」


 俺は何も言えず、アスタロテも息を整えるために何度目かの沈黙をした。


「……短剣を貸してほしい」


 やがてアスタロテが頼んだ。


「……なんのために?」


「……騎士の矜持を守りたい」


 天井を見つめたまま、アスタロテが答える。

 重い武具を身につけて原生林を逃げることはできない。

 身につけていた甲冑などは、逃亡の途中で打ち捨ててしまっていた。

 今あるのは身を守るための最低限の武器だけだ。


「……ライオネルが死んだ以上、わたしも死なねばならない。”鎧” を失った領主など領民たちも迷惑だしな」


 俺は洞窟の壁に背を預ける、紅い装甲を見た。

 もう動くことはない、アスタロテの ”騎士の鎧ナイト・メイル” 。

 騎士は有事の際に所有する ”鎧” と、皇帝旗の下に参集するのが務めだ。

 だからこそ帝国の庇護の元、領地を安堵されている。

 ”鎧” を失った以上、テレシア家の治めるソファイア領は早晩召し上げられ、他の騎士に与えられるだろう。


「死んでは駄目だよ」


 俺は拒絶した。


「”鎧” をなくしたからって君が変わったわけじゃない。君はみんなから好かれている。ソファイアの人たちだって君が生きて還っただけで喜んでくれるはずだよ」


「いきなり良い奴になるな!」


「ごめん」


「だから謝るな、馬鹿者!」


「……」


「アスタロテ?」


「………………嫌だ……」


「え?」


「……領民に失望されるのも……このままヒューベルムの手に落ちて、慰み者にされるのも……嫌だ……怖い……」


「……アスタロテ」


「…………たのむ、マキシマム……おまえにも一片の慈悲があるなら、わたしを辱めないでくれ……」


「……」


 その時、マーサの視界を通して異変が伝わった。

 すぐ近くにまで、ヒューベルムの追っ手が迫っていた。


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