6:エンカウントしました。

『嘘だろ…たかが素材一つに570万とか、ありえねぇ…』

『そもそも、廃人の皆さんに競り勝とうってのが、無謀な話よね』


 その夜、「私」はホームの一室で両膝を抱えて床に座り込み、膝の上に顔を伏せて蹲っていた。「私」の隣にはガーネットが腰を下ろし、自分の「いべんとり」の整理をしながら「私」マスターを宥めている。私はマスター達の会話を聞き流しながら昼間の出来事を思い出し、悲嘆に暮れていた。


 結局あの後、オークションで競り負けたマスターはその場で即座に「ろぐあうと」し、いつもの支度部屋へと飛ばされた私は急いで着替えを済ませ、繁華街へと駆け付けた。でも其処で目にしたのは、「くえすとくりあ」を諦め、繁華街から立ち去ろうとする赤兎の後姿。私は、「私」自分が仕出かした行為を悔やみ、申し訳なさのあまり彼を追うこともできず、遠ざかっていく赤髪に深く頭を下げる事しかできなかった。


 私はどうしたら、この過ちを償う事ができるのだろう。これが引き金となって、彼のマスターが引退したら、悔やんでも悔やみきれない。


『…にしても、先生、来るの遅いな。もう30分も経っちまった』

『イリス、貴方、自分のパンツに執着しすぎ』


 私の懊悩を余所に「私」マスターが暇そうに呟き、その間、床に体育座りしたままひたすら足を組み替える「私」を見て、ガーネットのマスターが呆れる。こういう時、私のマスターの視点が常にローアングルになっている事は、私は勿論、他のマスター達にも周知の事実だった。自身に注がれる軽蔑の目も気にせず、「私」は性懲りもなくミニスカートのまま開脚して前屈を始め、「私」の背中にガーネットの諦め気味の声が降りかかる。


『多分、クエストの手伝いで時間かかっているんじゃないかな。先生、顔が広いからね』


「先生」とはキャラクター名ではなく、マスター達の間で彼を指すニックネームだ。「先生」の本当のキャラクター名は、「姜尚」という。「りある」では結構有名な名前だそうでトレードマークは釣り竿らしく、先生も持ち歩いていた。ガーネットの発言を受け、ヤマトが言葉を引き継いだ。


『野良を探しても、丁度いいヒーラーが見つからないな…。今日はヒーラー無しで行くか…』

『もう時間ねぇから、それで好いよ。ヒーラー無しだと、何処がある?』

『うーん…レブナントの森、とか?』

『あそこ、ドロップが不味いんだけど、しゃぁねぇか…』


 ガーネット達との会話を受け、「私」マスターが頭を掻きながら渋々立ち上がる。そして「いべんとり」にチラと目を向け、慌ててしゃがみ込んだ。


『あ、やっべぇ!ポーション積んでねぇ!ヤマト、スマン!先行ってて!すぐに合流する!』

『わかった。狩場押さえておくよ』

『まったねぇ』


 ミニスカートのまま床に胡坐をかいた「私」をいて、ヤマトとガーネットが入口の扉を開け、外へと出て行く。「私」が「いべんとり」にポーションを詰め込んでいると、外に出たガーネット達の声が聞こえてきた。


『…あら?貴方、そんな所で何しているの?寝落ちかしら?…あ、動いた』

『オブジェクトに引っ掛かって、脱出できないんじゃないか?ガーネット、間にキャラ割り込ませてみ?』

『こう?…あ、出てきた出てきた。…げ、今度は私が引っ掛かった。ヤマト、私を此処から出してぇー』

『全く、しょうがないなぁ、もう』

『リア充どもがっ!家の前で夫婦めおと漫才やってんじゃねぇよっ!』


 玄関先で立ち昇る桃色の空気に、「私」マスターが「いべんとり」を睨みつけながら怒鳴り返す。外の会話を聞き流し、ポーションを山のように「いべんとり」に詰め込むと「私」は即座に立ち上がり、ホームの外へと飛び出した。


『二人ともお待たせ!さっさと行こうぜ!…ん?何やってんの?二人で』


「私」が目を向けた先には、こちらに振り返っているヤマトとガーネットの二人と、二人と対面する形で棒立ちしている、一人の赤髪のヒューマンの男が居た。硬直する私を余所に、「私」マスターが赤髪の男に訝し気な目を向ける。


『誰?そいつ。二人の知り合い?』

『うぅん、知らない人。初心者かな?何か、上手く操作できないっぽいんだよね。…ねぇ、貴方、私の声聞こえる?』

『もしかしたら、小学生とかで、コンソールの文字配列が分からないのかも。…君、俺達の話、わかる?”あ”とかでも好いから、文字打てる?』

『               あ         』


 ヤマトとガーネットのマスターが交互に赤兎に声を掛けるが、赤兎は相変わらず要領の得ない言葉を返す。彼の存在は「えぬぴーしー」の中では広く知られているが、「ぷれいやー」の間では全く知られておらず、「しんきぷれいやー」と思われているようだ。ちなみに、この「げーむ」の会話は音声入力と文字入力の2種類があり、「私」達三人は音声入力、赤兎だけが文字入力だった。


『…なぁ、狩り、どうすんの?行かんの?』

『ゴメンね、イリス。もう少し待ってもらってもいいかな』


 赤兎を気遣うガーネット達に対し、「私」マスターが眉を顰め、貧乏ゆすりを繰り返して、二人を急き立てた。ガーネットのマスターが振り返り、穏やかな口調で「私」を押し留める。


 お願い、マスター!それ以上、酷い事を言わないでっ!赤兎は、赤兎のマスターは、何か問題があって上手く動けないのっ!


 私は、マスターの放つ心無い発言を聞いてショックを受け、決して届かない事を知りながらも、必死にマスターへと訴える。


 彼は、もうずっと一人で居るんだよ?上手く体も動かず、言葉も話せず、マスター達のような仲間も作れずに、ただひたすら独りぼっちでこの世界を彷徨っている。そんなの、嫌じゃない!彼にもこの世界を楽しんで欲しいじゃない!幸せになって欲しいじゃない!マスター、何であなたは、それに気づいてくれないの!?


『…うーん。貴方、私の所まで移動できる?左手のコントローラの矢印押せば好いだけなんだけど…』

『            d    え       』

『ひょっとしたら、コントローラが壊れているんじゃないか?コレ』


 操作のままならない赤兎に対し、ガーネットとヤマトの二人が思い思いに意見を述べる。そんな三人の姿を「私」が腕を組み、貧乏ゆすりを繰り返しながら睨みつけていると、赤兎が時間を掛けてゆっくり言葉を絞り出した。




『        て              う

             ご

    k   あ          な         』




『…え?貴方、もしかして手が動かないの!?』

『…』

『…』


 ガーネットが驚きの声を上げ、ヤマトが痛まし気に顔を歪める。赤兎が再び動きを止め、硬直している三人の姿を睨みつける「私」の片眉が跳ね上がった。数拍の間を経てガーネットのマスターが我に返り、慌てて取り繕う。


『…ぁ、えっと、ごめんなさいね?変な事聞いちゃって。え、えっと、手が動かないとなると…ええと…』




『 ――― おい』




『…イリス?』


 驚きの表情を浮かべて振り返ったガーネットを押し退け、「私」マスターが赤兎の前に立ちはだかった。「私」は相変わらず体の前で腕を組み、眉間に皴を寄せて、赤兎を見上げるように睨みつける。


『…どっちの手だ?』

『              え        』

『右と左、動かない手がどっちか、聞いてんの』

『       ひ          d         』

『ああ、もういいよ、喋んなくて』

『お、おい、イリス…』


 マスター!お願い、もう喋らないで!


 有無を言わさぬ「私」マスターのあからさまな態度に赤兎のマスターが動揺し、ヤマトが「私」マスターを宥めようとする。私は自分の言うことを利かない体の中でしゃがみ込み、大粒の涙を流して泣きじゃくった。


 マスター!お願い!私に後悔させないで!あなたの下に生まれた事を!あなたがマスターである事を、後悔させないで!私は、マスターと共にこの世界で楽しく暮らしたいの!この世界で幸せになりたいの!だけど、だけど…これ以上マスターの言葉を聞いていたら、私はきっとマスターを嫌いになってしまう。マスターの下に生まれた事を後悔してしまう。…だから、お願い!これ以上、もう喋らないで!


『       ご        め         』

『だから、喋んなって』


 マスターぁぁぁぁっ!


 赤兎が「私」の剣幕に恐れをなし必死に紡ぎ出した言葉を、「私」マスターが遮った。私の悲痛な叫びはマスターに決して届かず、「私」マスターは体の中で泣き喚く私を無視し、赤兎を睨みつけたまま、ぞんざいな言葉を吐きつける。




『――― ”歯車”』




『          え         』


 え?


 突然飛び出してきた脈絡のない単語に、私は勿論の事、赤兎もガーネットもヤマトも静まり返る。硬直する三人を前に、「私」マスターは赤兎を睨みつけたまま、言葉を続ける。


『画面の左下に、”歯車”のマーク、ねぇか?…ああ、喋んなくていいから。はい、か、いいえ、ジェスチャーで構わない』


 …こくこく。


「私」マスターの発言を前に、赤兎は少しの間硬直していたが、やがて二度頷きを返す。彼の返事に「私」マスターは仏頂面のまま、ぶっきらぼうに答える。


『”歯車”のマークを押したら、”設定”が出んだろ?そしたら、”操作”を選んでくれ』


 こくこく。


『下に向かって矢印をずっと動かしていくと、一番下の方に”操作を右コントローラに集約する”、”文字入力を右コントローラに集約する”って、二つのチェック欄があんだろ?それ、両方チェック入れて』


 こくこく。


『そしたら、”更新”を押してみろ。…どうだ?』


 途端、変化は劇的だった。それまで直進と自己回転、不器用な2種類の行動しか取れなかった赤兎の移動が急に滑らかになり、緩やかなカーブを描いて自在に方向転換した。歩きながらジャンプもでき、文字入力の速度も向上し、文章を形作る。


『 す ご い す ご い 。 ち ゃ ん と 動 く 』

『そうか。そりゃ良かったな。右コントローラだけだから操作できるスキルが半減しちまうけど、大分マシになんだろ』

『 う ん 。 あ り が と う 』

『…凄いじゃないの、イリス。驚いたわ。こんな細かい設定、よく知ってたわね?』


 …ぁぁぁ…マスターぁぁ…マスターぁぁぁぁっ!


 私はマスターが示した予想外の気遣いに感極まり、体の中で再び泣き喚いた。後悔の代わりに歓びを籠め、マスターの下に生まれた事に感謝し、とめどもなく涙を流す。ガーネットが感嘆の声を上げ、「私」マスターを褒め称える。


 ガーネットの賞賛に、「私」マスターは三人から視線を外す。そして、そっぽを向いて唇を尖らせ、不貞腐れるように答えた。




『…俺さ、妹が居るんだ。――― 寝たきりの』




『『…え?』』

『 え 』


「私」マスターの突然の告白に、三人は驚きの声を上げる。私も体の中で身を乗り出し、決して声が届かない事を知りながらも、それでもマスターへと詰め寄った。


 え?マスター、私、知らなかったよ?マスターに妹さんが居るだなんて、寝たきりだなんて、一言も聞いた事ないよ?


『…意思疎通は問題ないんだけど、首から下が駄目でさ。いつも暇そうにしているんだよね』

『『『…』』』

『…で、アイツが何か暇潰しできるものがないかって探してて、たまたまこのゲームの事知ってさ。身障者向け機能があるって聞いて、調べたんだ。…結局、最低片手が動かないと無理だってわかったから、意味なかったけどな。…このゲームにハマったのも、それが切っ掛けなんだ』

『…イリス、パンツ見せなくて好いから』


「私」マスターは三人から視線を外してそっぽを向き、ミニスカートの裾を両手で掴んで上げ下げを繰り返しながら、ぶっきらぼうに答える。…あの…マスター、それやっても誰もウケないから。場も和まないから。ただただ、私が悶死するだけだから。驚きと歓びと羞恥に心を掻き乱され、顔から火を噴き上げる私をそのままに、「私」マスターは皆に下着を見せびらかしながら独語する。


『父ちゃんと母ちゃんは仕事と家事と介護に追われててさ、俺も学校から帰ってきたら妹の面倒見て、アイツが寝静まってからこのゲームやってるんだよね。…このゲーム面白いけど、アイツが出来ないと思うと、少し後ろめたくもある』

『…そんな事ないよ、イリス。貴方、十分に頑張ってるし、立派だと思うよ』

『 う ん 。 そ れ に 私 も イ リ ス さ ん に 救 わ れ た 』


 唇を尖らせる「私」マスターにガーネットが笑みを浮かべ、赤兎が告白する。


『 私 、 1 年 近 く 独 り ぼ っ ち だ っ た 。 で も 今 日 イ リ ス さ ん と 出 会 え て 、 こ の ゲ ー ム や っ て い て 良 か っ た と 思 う 。 ――― イ リ ス さ ん 、 私 と 友 達 に な っ て く れ ま せ ん か ? 』




『…別に好いけど…』


 赤兎の告白を受けた「私」マスターはバツの悪そうな表情を浮かべ、そっぽを向いてスカートをたくし上げたまま、渋々了承する。そしてスカートの裾を掴んでいた右手を頭の上に回すと、ガシガシと頭を掻き、御礼を口にしようとする赤兎を遮って、声を荒げた。


『…ああ、もう!ガラじゃねぇんだよ、こういうの!…っと、今日はもう、狩り行ってる時間ねぇな…』


 そう答えながら一瞬明後日の方向を向いた「私」は、再び赤兎へと目を向ける。


『あんた、ええと、…あかうさぎ、って読むのか?』

『 せ き と 』

『赤兎、今レベル幾つだ?』

『 3 』

『低っ!』


「私」マスターは赤兎の答えに無遠慮な反応を示すと、内心傷ついているであろう彼に、手を差し伸べる。


『もう小一時間くらいしか時間ねぇけど、つき合ってやるよ。この辺で行きたいトコ、あるか?』

『 あ り が と う 。 ど こ も 行 っ た 事 な い 』

『どんだけ引き籠もってんだよ』


 赤兎の答えを聞いた「私」マスターは呆れながら、彼が伸ばしてきた右手を取り、そのまま不貞腐れたような表情で彼を引っ張った。背後から、ガーネット達の含み笑いが聞こえてくる。


『声聞こえてんぞっ!リア充どもっ!』

『今日は貴方もリア充しているじゃない』

『俺は男なんだよ!その俺が、何で男と手を繋がなきゃなんねぇんだよ!』

『 イ リ ス 、 私 女 だ よ ? 』

『あら、丁度良かったじゃない、イリス』

『五月蝿ぇ!』


「私」マスターはいつもよりひと際大きな声を上げ、肩を怒らせながら三人を引き連れ、大股で先へと進んで行く。




 ――― マスター、あなたが私のマスターで、本当に良かった。


 ――― ぶっきらぼうだし、助平だし、ところ構わずパンツ見せびらかす変態だけど。


 ――― それでも、私はマスターの事が、大好きです!

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