第4話 我が天命に殉ぜよ屍人4


「人は夢を見て、いずれ死ぬものだ」

 西の都へ続く街道。馬具で繋いだ棺桶を引き摺りながら、アルフレインは時折そう呟いた。

 眠れず死ねない屍人のわたしは棺の中、口に出さずに言い返す。

 全く以て余計な世話だと。そんな無駄口聞いてるくらいならもっと早く歩いてみろと。


 自称英雄のアルフレイン氏に連行されてから、もう数日が過ぎようとしていた。

 その道中棺桶の中から彼を観察して分かったのは、アルフレインという男はあまりに非力で、特に人より優れているところのない、それなのに出しゃばりの、全く尊敬に値しない者だということだけだ。

 かの英雄気取りは道中で揉め事を見つければその間に割って入り、無様に殴られ地に這いつく。救いを求める村あれば、「助けてやる」と勇み立ち、しかしなんの役にも立ちはしない。

 彼は助けに行った人々にむしろ憐れまれ、水や食料を恵んでもらう。「もう良いから旅を続けろよ」。施しというより最早手切れ金である。

 かつて異形の仲間達と歩んだ邪竜征伐までの旅路。アルフレインもそれと同じ夜の下を進んでいる筈なのに、その道筋はえらく違う。

 なんというか、冴えず、輝かしくない。くすんでいる。


「何か困りごとか?」

 ずりずりと引き摺られる棺桶の音が不意にやんで、代わりに聞き飽きた台詞が聞こえた。……これで今日何度目だ、アルフレイン。

 わたしはついに堪り兼ね、沸々と湧き出る怒りの感情に身を任せ、棺の外へと這いずり出た。

 相も変わらぬ星晴れの夜が、屍人の醜さを残酷に照らし出した。

 怪しげな鉄仮面の背後に突如現れた化け物の姿を見た人間共は、無論悲痛な叫びを上げる。全く以て無礼である。がしかし今はそんな事どうでも良い。もう我慢ならなかった。

「これでは一向に西の都へ着かないでしょう……っ」

「しかし、そこに救いを求める人々が居る」

「だからなんだと言うのですっ。……いい加減気付いてください、あなたは誰の役にも立っていない、どころか他人の足を引っ張って邪魔をしている。だったら大人しく最初から何もせず、黙々とわたしを運んでいれば良いんですっ」

「落ち着け魔女よ。……村人が怖がっている」

 月明かりに染まる小さな村の中を、人々が散り散りに逃げてゆく。中には途中で腰を抜かし、小便まで垂らす者も居る。

 少し冷静になってその光景を眺めたわたしは、……別に嫌な気分になったりしない。化け物であるわたしにとって、こんな光景は慣れっこだ。が、一応棺桶の中に手を突っ込み、魔女の帽子で顔を隠した。無礼で臆病な人間共に、わたしの方が気を遣ってやった。なんて優しい化け物だろう、わたしは。

「……ふん。彼らの抱える問題は所詮その程度の事なのですよ。溺れる者は藁にも縋る。本当に困窮しているのなら、死人の手だって借りたいはずです」

「彼らは単に分からぬ者を怖れているだけだ。そしてそれこそが人間にとって最大の悲劇となり得るのだ」

 また大袈裟な物言いを。

 ため息ついてる間にも、彼は朗々とした声で叫び、逃げ去った村人へ向かい手を振り始める。

「おうい! 驚かせてすまなかった! これは我の妹だ! 事故でひどい傷を負い、身も心も弱り切っている! あまり怖がらないでやって欲しい!」

「……要りませんよ、そんな気遣いは。怖がられるのには慣れていますから、」

 そんな事より早く先へ進んでほしいのです、わたしは。

 そう続くはずだった言葉を掌で遮り、アルフレインはわたしの黒衣を腕まくりし、あまつさえそこに張り巡る醜い継ぎ接ぎの痕を指差して、

「我が妹は街へ婿を探しに行く途中なのだ! 刮目して見よ、天の戯れでこのような体にされ、身も心も弱り果て、血の色まで青褪めて、それでもなお乙女としての心を守り抜く気高き者の姿を! そしてどうか村の人々よ、先刻の非礼を詫びてほしい!」

 大嘘をつきやがった。



「ごめんな御嬢ちゃん、なんも知らんと」

「街に良い男がおると良いなぁ」

「おらなかったらうちへ来なさい、うちには息子が5人もおる」


 かくして愚かな人間共は、まんまとアルフレインに騙された。

 一体どうなっているのだろう、この人間共の視力と脳は。どう見ても病気とか怪我じゃなく死んでるだろう、わたしは。すぐにでも「うがあ」と叫びを上げながらこのお人よし共に噛みついて、その目を覚ましてやった方が良いのでは無かろうか。

「……ごめんね、悲しくさせて」

 不意にわたしの目の前に、花の冠が突き付けられた。

 まだ小さな子供が差し出すそのゴミを受け取るか突っ返すか噛みつくか迷っていると、傍に立つアルフレインが勝手にそれを受け取った。

「かたじけない、わざわざ編んでくれたのか」

 目深に被った帽子を剥ぎ取られ、代わりに花輪を被せられる。自分で自分は見えないが、絶対に似合ってはいない事だけは良く分かる。

「……うん、よくにあってる。お姉ちゃん、かわいいよ」

 そう言う子供の目は明らかに恐怖の海を泳いでいて、見る間にわたしから逸れていく。他の村人も同様である。アルフレインのイカれた目だけが、青褪めたわたしの顔をじっと見つめている。なんなのだ、この、晒し者みたいな状態。

「ところで村の方々よ、何か困りごとがあるようだが。我になにか手助けできることはないだろうか?」



 棺桶に取り付けられた小さな車輪がカラカラと音を立て、夜も更けきった街道を進む。


「うむ、人を助けるのは実に気分が良い。おかげで随分、お前を運ぶのも楽になった」

「あの程度で人を助けたなど。……本当に能天気ですね、アルフレインとかいう英雄は」

「一大事だろうッ! 牛はッ!」

「……」


 アルフレインのお節介が軽く引き受けたのは、柵から逃げた牛の捕獲だった。

 角も牙も生えていないただ一頭の雌牛に悪戦苦闘するアルフレインに苛立って、つい魔法を使ってしまった。後は造作もない事だった。

 それなのに、たったそれだけのことであの村の人間達は、小さな台車の車輪を二つ、わたしを運ぶ棺桶に取り着けた。

 つまるところ憐れまれたのだ。怖ろしくも醜いわたしと、愚鈍で間抜けなアルフレインは。

「……全く嫌になりますよ、人間という生き物は。あんなに小さな子供ですら、息をするよう嘘を吐く。怖れるか憐れむか、それしか出来ないのでしょうかね」

 花冠を指先でいじっていると、それを作った子供の引き攣った笑みを思い出す。

 あのような愚かな子供にまで気遣われる自分が、心の底から嫌になる。だから出向きたくなかったのだ、森の外人の世界になど。

「人は己のためだけには生きられぬ。いつだって手を差し伸べる相手を探し、自分の存在する意味を確認したがるものだ」

「……」

 そうならなんと希薄な存在意義を求めているのだろう、人間という生き物は。

 そのような些事に苦心して生きるのなら、動物らしく考えることを辞めるか、もしくは生きる事をやめれば良い。わたしと違って生きる者には、いつだってそれが出来るのだから。

「お前にだって本当はその気持ちが分かるのだろう。終わりを奪われ屍人となった、元人間のお前には」

「……あなたはわたしの何を知っているのです、どうしてわたしを連れ回すのです」

「案ずるな屍人の魔女よ。我と進む栄光の旅路の果て、お前はきっと人に戻り、安らかな眠りを手に入れる事だろう」

 頭のおかしい大嘘つき・愚図・偽善者の言葉に苛立ちながら、わたしは綴じ込む棺を開いた。

 やはり、外は夜。相も変わらぬ星晴れだった。

 きらきらと無垢な輝きで醜さを照らし出す天上の瞬きはやはり大変うっとうしく、わたしはやがてまたすぐに、暗闇の中へと潜り込む。

 そうしてずっと内側の闇を見詰めていると、棺桶を引くアルフレインが、性懲りもなく口を開く。

「ところで生ける屍よ、昏き森の眠らぬ魔女よ、影と恐怖の異形の英雄よ。お前の本当の名はなんと言うのだ」

 わたしはそれに頑として答えを返さず、ただ胸の内に思い出した。

 自分がまだ弱く儚い人間だった頃、わたしの名を呼んだ人の声を。

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