第1話 我が天命に殉ぜよ屍人1


 固く閉ざした目蓋の裏に、願い描かぬよう心掻き消し。

 死んだように息はせず、ならば当然鼓動もめて。

 訪れる筈の無い終わりの足音が此処へ辿り着くのを、わたしはずっと待ち続けている。


 獰猛な獣ですら足音を殺し歩く禁足地・昏き森の最奥の、打ち捨てられた教会傍。

 どこまでも続いた無明の闇の中不意に木々のざわめく音を聞いた気がして、わたしはからびた瞳を開き、水面を薄く覗き込んだ。

 キラキラとやかましい星晴れの夜を映し出す鏡のような泉には、醜い化け物の影がある。

 黒づくめのローブを纏い、魔女のような帽子を被った、醜く濁った瞳を持つ、どこか人間の少女にも似たその化け物は、わたしの耳にそっと囁く。


 ――もう決して忘れてはならない。

 ――お前は昏き森の主。この静寂を守る魔女。

 ――ならば教えてやらねばなるまい。愚かで騒がしい人間共に、死者の安息を乱す者がどのような目を見るか。……場合によっては、その命まで代償として。


 響く幻聴に密かな相槌を返してから、背後の闇にわたしは問うた。

「……昏き森を騒がせる愚かな生者よ、あなたは何を望みここへ辿り着いたのです」

 随分と久しぶりに発した自分の声はまるで隙間風のように微かだったが、傍の茂みに潜む侵入者の許まで、確かに届いたようだった。

 バサリと外套を翻す音を聞き、わたしは体を振り返らせる。朗々とした男の声が暗中を木霊する。


「人に非ざる化け物の、その息の根を止めに参った」


 闇に浮かぶ不気味な鉄仮面は、まるで死霊のようだった。……がしかしそれは良く見れば、ただの人間風情である。仮面の下にある貧相な体はぜぇぜぇと肩で息をしていて、身に纏う汚らしい襤褸布をせわしなく揺らしている。

 奇妙な仮面を被った汗臭そうな人間。

 大して面白いものでもない上に、どうにも期待外れのように見えた。

 何よりその男の声は無遠慮に大きくて、森の主の機嫌を損ねるのに十分だった。

 森の魔女は生者を嫌う。騒々しい者は、特にである。


「殺せるものなら殺してみなさい。……ただし、その願いが叶わなかった時には、」


 言葉を紡ぐのも億劫になって、わたしは闇に杖を掲げた。言葉ではなく力で以て、その先を教示してやろうとした。

 指揮者のようにそれを振るえば、掻き雑ざるよう闇が蠢く。理知を超えた魔法の力が、静かに渦巻き顕現される。

 星々の瞬きはいつか消え去り、墓穴のような漆黒が訪れていた。

 鉄仮面の男はその面妖な光景に動揺したよう体を震わせ、しかしすぐに武器を構えた。

 剣か槍か弓か斧か。……それともそれは本当にわたしを殺してくれる『何か』なのだろうか。かすかな期待を込め見定めていると、男は突如怒号を発し、その手に握るを振り上げた。

「我が名は英雄アルフレイン! 昏き森の眠らぬ魔女よ! 永遠の安息を願うのならば、我が栄光の旅路に加わるが良い!」

 叫びながら愚直に突進してくる鉄仮面は、どうやらただの狂人である。

 わたしはそれを哀れみの気持ちで眺めながら、ただ静かに闇を手繰った。この体にたかる羽虫でも叩くよう簡単に、黙らせ静かにしようとした。


「弱く儚い虫けらよ。死者の安息を妨げた罰、その心深くに刻んでさしあグああああああああああああああああああああああああああっ!?」


 しかして一体なぜなのか。

 これまで永く守り続けた我が静寂の城・昏き森をざわめかせたのは、わたし自身の発した情けない悲鳴であった。


「グ!? グあああああああああああああああああああああああっ!?」



 斯くして自らの驕り昂り・一切の慢心をへし折られたわたしは現在、真っ暗の箱に詰め込まれ、馬車にゴトゴト揺られている。

 認め難いことではあるが、たった一人の人間風情に、手も足も出せなかった。前代未聞のことだった。

 野蛮で未熟なこの世界に、敗者の権利などありはしない。そんなことは分かっていると、敗北も知らぬまま思っていた。

 しかしてわたしを待ち受けていたのは、想像を絶す地獄である。


「テレレレッテ・テッテー! おめでとう、アルフレインはレベルが399に上がった! 新たなチートスキル『鬼族殺し』を習得した! ……テレレレッテ・テッテー! おめでとう、アルフレインはレベルが400に上がった! ……テレレッテ・テッテー! おめでとう、アルフレインはレベルが401に」


 わたしを詰め込む箱に腰掛け、もう半日以上も同じような言葉だけを繰り返し続ける男の名は、彼が言うにはアルフレイン。不気味な鉄仮面で素顔を隠す、紛うことなき狂人である。

 森の奥深くに籠もっていたわたしを木の枝でボコボコに叩きのめして以来彼は「アルフレインはレベルが上がった」と、ただずっとそれだけ喚き続けている。話など通じはしないし、終わりが見えぬのが何より怖い。それでも止まない雨はないと、自分に言い聞かせるより術はない。アルフレインのレベルとやらは、いつまでも上がり続ける。


「テレレレッテ・テッテー! おめでとう、アルフレインはレベルが546に上がった! ……。おぉ、ようやく我の成長が止まったようだ」


 狭苦しい闇の中。不意に雨上がりの虹を見たわたしは、これまで一向に会話の成り立たなかった男へ向かい声をかけた。無論怒りに身を任せるまま、堅い木蓋を叩きながらだ。

「わたしをここから出しなさいっ、狂った人間っ」

「それはならん。御者が怯えてしまうだろう」

「一人でわけの分からないことを喚き続けるあなたの方がよほど恐ろしいでしょうっ。……あなたは一体何者なのです」

「我が名は英雄アルフレイン。深き闇の中に差し込む一筋の光。……昏き森の眠らぬ魔女よ。永遠とわの眠りを願うのならば、黙って我が栄光の旅路に同行するが良い」

「栄光の旅路……? この馬車は一体どこへ向かっているのですか……?」

「とりあえず西の方だ」

「……向かう先を決めていないのですか?」

「我が名はアルフレイン、まことの英雄である。英雄とはつまり運命さだめに突き動かされ進む者。どこへ行けど自ずと事件に巻き込まれる者。……そうつまり、今はフラグを立てている段階と言える」

「……先程からあなたが何を言っているのか、わたしには理解できません」

「いずれ分かるとも。英雄の偉大さというものは、その軌跡を振り返り初めて理解できるものなのだから」

「……」

 だめだ、彼は完全に壊れている。


 要領を得ない会話に絶望してから数刻も経たぬ内、外から馬の嘶きが響き渡った。

 同時に馬車は大きく揺れて、かと思うとどこかにぶつけたようにして、強い衝撃と共に動きを止めた。

 外から響く男達の怒号。御者らしき人間の悲鳴が遠くなる。

 野盗か何かに引っ掛けられたのだろうか。それにしたってなんというタイミングだろう。随分と久しぶりに出た森の外は相変わらず騒々しく、ため息を漏らさずにはいられない。

「……フッ、どうやら運命の歯車が回り始めたようだな?」

 アルフレインが静かに囁く。声音を変えて、かっこいいと思っているのだろうか、狂人のくせに。

 荒々しい足音が馬車へ近付いて、すぐさま扉は蹴破られる。「命以外置いて出ていけ、暴れるなら殺す」。その言葉から察するに、やはり馬車強盗の類に襲われたらしい。

 自称英雄のアルフレインは、一体この状況をどう切り抜けるのだろう。

 狭苦しい闇の中そう考えたのと同じくして、アルフレインは高らかな叫びを上げ、そしてそのまま息絶えた。


「憐れな悪党共に告ぐ! 我が名は英雄アルフレイン! この馬車に我が居合わせた不運、獄の中で後悔するグあああああああああああああああああッ!?」


 アルフレインが呆気なく殺されたらしい派手な物音を聞いて、安堵と憂いが交じり合う。

 せっかく彼が死んだのなら、永遠にこの闇の中に篭っていたい。……そんな願いは勿論叶わず、馬車の中を物色し始めた野盗達はすぐに、そこに横たわる不気味な棺桶の存在に気が付いた。

「……なんで馬車にこんなもんが」

「葬式に向かう途中だったか?」

「それにしたって、不気味だ」

 囁きながらも彼らはやがて、黒い棺桶に手をかける。

「慎重に開け。……なにか嫌な予感がする」

 頭らしき者の号令と共に、棺の蓋は開かれた。

 詰められた白花が一つ零れ、そこに閉じ篭る化け物の瞳が二つ、松明に赤く照らされる。恐怖に息を呑む音は一つ二つ三つ、荒らされた馬車の中に響く。……わたしは観念した気持ちで、棺の中から這いずり起きる。ギシギシと不気味に軋みながら闇の中を見渡すと、恐怖に見開かれた男たちの目と、目が合った。

「アンデッド……!」

 不躾に刺さる視線に耐えきれなくて、わたしは目深に帽子を被った。

 死を想起させる青白い肌をローブで隠し、醜い継ぎ接ぎ痕が見えないよう顔を覆い、凍った枯れ枝のような指を背に回した。

 ――これで少しは人間らしく見えないだろうか。

 帽子の奥からそう問うと、否定の答えは矢文で届く。

 野盗の放ったボウガンの矢はわたしの左胸を貫いて、しかし痛みは与えてくれない。それでもヒュウヒュウと隙間風のような音を立てる自分の胸に違和感はあって、矢を抜こうと少し足掻いた。が、返しが食い込み抜けはしない。人の作る武器という物は、つくづく残酷に出来ている。

 刺されたのが、屍人わたしで良かった。

「首だ! 首を刎ねろ!」

 ボウガン男の指示を聞いて、部下らしき二人が剣を構える。

 手入れ不足の錆び痕が残る二つの刃を見上げてから、わたしは物の散乱した車内へ目をやった。

 掲げられた松明によって描き出される野盗達の影が、わたしにはそれぞれ違った色に見える。

 臓物のように渦を巻き、或いはマグマのように沸騰する三対の影を眺めていると、これから彼らをそこへ突き落とすのに、少しだけ躊躇が生まれてしまう。

「……逃げなさい、きっと後悔することになりますよ」

 善意の警告をはねのけて、男達はジリジリとこちらへにじり寄る。あまりに見慣れたその光景に、少なからず辟易する。

 どうして彼らには分からないのだろう。死んだ者をもう一度殺すことなど、人間には不可能だということくらい。

「怯えるな! ……三人一斉にかかるぞ」

 雄たけびが響き渡り、男達の体が俊敏に迫り来る。

 その足元から伸びる三つの影を、わたしはそっと手繰り寄せた。糸で繋いだよう自在に操り、踊るように抱擁させて、その持ち主を闇の中へと引き摺り込ませた。

 赤々と燃えていた松明は音も無く掻き消えて、車内は漆黒に閉ざされる。



 灯りの消えた馬車の中には、膝をつき項垂れる三人の野盗達が居た。その顔は一様に涙と涎に塗れ、恐怖に歪みきっている。

 彼らは自らの足元に落ちる暗い影に囚われていた。

 誰もが抱える恐怖の記憶を呼び起こし、その内へ閉じ込める。それが死と眠りを失う代わりわたしに与えられた、忌まわしい魔法の力だった。


 闇を見透かす化け物の目は、彼らが囚われている恐怖を鮮明に覗き見ることが出来る。

 一人はかつて裏切った仲間への罪悪感に苛まれ、自分もいつか同じように殺されることを怖れている。

 一人は大男に組み敷かれ、おぞましい交わりにじっと耐えている。幼い頃の記憶だろうか。だから逃げろと言ったのに。

 自らの影に囚われた、かくも愚かな人間達。

 その中でも一際色濃く巨大な影に包まれた男……この胸に矢を撃ち込んだ頭領らしき者の前で、わたしはふと足を止めた。

 渦巻く影の中映り込む、怖ろしい大鬼の凶相。止めどなく垂れ落ちる血の赤黒さ。人の体が燃え焦げる、耐えがたく不快な臭い。そして、押し殺すような子供の泣き声。

 彼の影に映し出される恐怖の記憶に興味を持って、わたしはそっとそれに触れた。男の見る悪夢の中へ、忍び足に入り込んだ。

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