第四章 町成翼編 日陰者の奇跡

4-1 鬼才OBがやってくる

 十月に入ってもうすぐ一週間。そろそろ夏服でいるのも寒くなってきた今日この頃。

 来週からテスト勉強期間に入るため、今日が実質上テスト前最後の部活になる。

 まあだからって感慨深いとかそういうんじゃないけど。とか思ってたら、

「明日の土曜、部活出られるか?」

 部活の時間が始まって間もなく、そう切り出したのは顧問の国木田くにきだ先生だった。

「え? 来週からテスト前ですけど」

 すかさず副部長の道ノ倉みちのくら先輩が切り返す。

「いや、部活と言っても別に強制じゃないし、遊びに来る感覚でいいんだ」

「と言いますと?」

 今度は横にいた二年生の山県やまがた先輩が聞き返した。

「明日、ここのOBが来る」

「え?」

 部員全員がきょとんとした顔で先生の方を見た。

 OB。つまりこの美術部出身の卒業生。当然一年生である俺にとっては知らない人。

「先生、OBってどんな人?」

「俺も実は会ったことがない。どうやら俺がここに赴任する直前に卒業したらしくてな。卒業して二年経つらしいから多分ここにいる人間は誰も知らないんじゃないかな」

 それって顔出す意味あるのだろうか? 部員はもちろん顧問も変わってちゃ当時の面影も何も残っていないだろうに。

「ただ他の先生から聞いたところによると、絵自体本格的にやったのは高校に入ってからにも拘らず全国レベルの洋画コンクールで賞を取ったほどの実力で、高校卒業後は海外留学。今も海外に住んでいるらしい」

「ちょ、めちゃくちゃハイスペックじゃないっすか!」

 道ノ倉先輩がガタっと立ち上がった。

 他の人たちも、まさかそんなすごい人がOBだなんて思っていなかったようで驚きの表情になっている。

 大体うちの部は、全国レベルで賞を取る名誉とか海外へ出るとかそういう次元とは程遠い集団だ。俺だって入部当初は初心者だったし、最近になってようやく絵らしい絵が描けるようになったくらいである。

「で、その若き鬼才が日本に里帰りするついでに懐かしき学び舎を見たいんだと」

「いい話ですねー」

「うむ、そういうことなら是非会ってみたいものだ」

 二年生の甲府こうふ先輩と、部長のみやこ先輩がOBの話題に食いついてきた。まあ確かにそんなすごい人なら人目会ってみたい気もするので気持ちは分からなくはない。

「二年前に卒業ってことは歳は大体二十歳くらいか。名前は京極きょうごく、下の名前は……忘れた」

「京極!?」

 突然、斜め後ろに座っていた同級生の志村しむら 沙輝さきが素っ頓狂な声を上げた。

「な、なんだ? 志村の知り合いか?」

「ううん。顔もどんな人かも全然知らないけど」

「けど、なんだ?」

「わたしが美術部に入ったのは、その人がきっかけだったんです!」




 別に嫌いではないのだが、俺は美術部の同級生である志村 沙輝が苦手だった。言動がとにかくバカっぽいから。

 そう言うと俺が酷い人間だと思われそうだから補足しておくと、とにかく志村は考えなしで行動することが多いからである。

 挨拶がてらに背中を引っ叩こうとするのは日常茶飯事だし(もちろん避けるけど)、所構わず大声で喋るし、そのくせ人の話は聞かないし。あと一番気に食わないのは、同級生なのに俺の事を弟とか後輩のような年下扱いをしてくることだ。

 確かに俺は喋らないし、そもそも口下手ですぐどもったりする。それは認める。

 だから昔からそのせいで損をしたことも多々ある。それも認める。

 だが、「ナリ君って喋らないし大人しいから、気が弱くてみんなに苛められそう」と言われるのはかなり納得がいかない。

 大体「喋らない」と「大人しい」と「気が弱い」と「苛められる」に何の因果関係もないのにどうして全部イコールで繋げたがるのか。そもそも俺は今の今までニュースでよく見る胸糞悪くなるようなレベルの苛めに巻き込まれたことなど一度もない。余計なお世話にも程がある。

あおい、ナリ君、これだよ、これ!」

 部活終了後、帰ろうとしたところで志村に捕まり、同じく捕まった一年生部員の市原いちはら 藍と一緒に食堂の前に連れていかれたのが今の状況。

 そこにあったのは、壁に掛けられた大きな抽象画だった。そういやこんなのあったっけな、といった感じの。見た感じ水彩絵の具で描いたっぽい。

「この絵がどうかしたの?」

 市原さんが不思議そうに聞いた。

「ほらここ! この隅っこのところ見て!」

 言われた場所を見ると、小さな字で「kyogoku」と言うサインと、今から四年前の日付が書いてあった。

「もしかしてこの絵って」

「そう! 先生の言っていた京極って人はきっとこの絵の作者だよ!」

 興奮気味に大声を上げる志村。

 確かに京極と言う苗字はそうそうないし、サインが描かれた日付も年齢的に在学中に描いたものだとすると納得がいく。納得はしてやるからもう少し落ち着いて喋ってほしい。

「でも沙輝、よく知ってたね。私、よくここを通るけど全然気にもかけなかった」

「えー? こんなにきれいな絵なのに? ていうかわたし、この絵を見て美術部に入ろうと思ったんだよね」

 何という短絡的な。ある意味「らしい」けど。

「やっぱ何かを惹きつけるって言うの? そういうのを自分で作れたら最高だよねー。藍もナリ君もそう思うでしょ?」

「確かにね」

 市原さんに合わせて俺も頷いて同意する。

「あー、土曜日楽しみだなー! 鬼才ってどんな人かめちゃくちゃ気になる―! めっちゃオーラありすぎて直視できなかったらどうしよう!?」

 現実で人体が発光するわけないだろ。だから落ち着いてほしい。




 土曜日。結局この日は部員全員が集合した。

 早めに集合して美術室を掃除したり片づけたりと大忙しだ。都先輩だけはまだ作業したいとのことだったので、油絵具一式は出しっぱなしにしてあったが。

「せんせー、お菓子はここに置いておいていいですかー?」

「甲府、お前部室には菓子を持ち込むなと何度言ったら」

「作業中に食べないってのはきっちり守ってますから大丈夫ですよ。今日はせっかくの歓迎なのにお茶菓子が一切ないのは寂しいですし」

 そう言いながら甲府先輩は持ってきた大きな箱を机に乗せる。

「これは?」

「昨日作ったマシュマロクッキーです。一部焦げたり一部砂糖の塊が偏って激甘になっちゃったりしてるけどイケるはず」

「それを茶菓子に出すんかい!」

 国木田先生の歯切れ良いツッコミが飛んだ。

「えー、せっかく作ったのに」

「いや、失敗作を堂々と持ってくるのはさすがの僕もどうかと」

「ミッチーは黙ってて! ねえ、先生どうしてもだめ? 美味しい部分はちゃんと美味しいし、せっかく持ってきたのを誰も手を付けずに帰るのすっごく惨めなんだけど。家族で食べるにはちょっと多いし」

「あー、もう、分かった分かった」

 国木田先生が降参するように頭を掻いた。それから周りを少し見回してから、

「じゃ、志村と町成まちなり。コンビニ行って渋めのお茶を買ってきてくれ。でかいペットボトルの奴な。あと紙コップも忘れなよ」

「え? なんでわたしとナリ君?」

「何となく目が合ったから」

 俺としては合わせた覚えが全くありませんが。てか普通女子にお使いに行かせるなら、付き添いも女子じゃないのか。

「ほら、財布は渡しておくから行って来い。町成は荷物持ちな」

 ああ、そういうこと。荷物持ちは不本意だが、志村も市川さんも肉体労働はそんなに向いてなさそうだし、特に志村はうっかり荷物落としそうなのが怖い。

「じゃ、志村。財布ネコババするなよ」

「ちょ、先生ひどっ! ほら、行くよナリ君!」

 いきなり志村に腕を掴まれ、俺は連行されるかのように美術室を退室した。




 学校から少し歩いた所にあるコンビニで目当ての品を買うと、俺と志村は来た道を戻った。もちろん荷物持ちは俺である。

 横を歩く志村はこれから会えるという憧れのOBが楽しみで仕方がないらしく、クルクルと回りながらスキップしてはしゃいで、あ、一つ訂正。横を歩いてなんかいなかった。いつの間にか自動車数台分も前に進んじゃっているし、しかもどんどん先に行っちゃうし。

 まあ、そんな挙動不審な動きをしているやつと同類と思われるのも嫌なので、離れてくれた方がありがたいんだけども。

 俺は俺で、マイペースに歩く。しかし今日は肌寒い。もう来週から絶対冬服で行こう。

 などと考えながら角を曲がったところで、地面に尻餅をついている志村と、俺より明らかに歳も背も高い青年が荷物をぶちまけてひっくり返っていた。

「痛ったー。はっ! ご、ごめんなさい、前を良く見てなくて!」

 何があったかはなんとなく想像できた。

「ほ、ほらナリ君! あの人の荷物拾うの手伝ってあげて!」

 そして思いっきり俺を巻き込んでるし。

 仕方なく散らばった荷物を志村と一緒に拾い集める。まあ荷物って言ってもハンカチとかケータイとか手帳とかの何処にでもありふれた私物だけど。

「あー!!」

 いきなり志村が素っ頓狂な声を上げた。

「ちょ、こ、これ! これあなたの名前ですよね!」

 志村は、見知らぬ青年に今拾ったものらしいプラスチックの小さな板、いや、よく見るとネームプレートをずずいと差し出す。

 気になってそっと横から覗いてみると、ネームプレートには「京極 一高」と刻まれていた。

「もしかして、京極先輩ですか? 陸高美術部OBの!」

「え? ああ、そうだけど、どうしてそれを」

「ようこそおいで下さいましたっ!」

 青年の言葉を遮るように志村の声が響いた。

 十人に三、四人くらいは可愛いと言ってもらえるかもしれない、満面の笑みを浮かべながら。

 もちろん俺はそれに含まれない。含まれてたまるか。

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