第二章 市原藍編 フラストレーション・ハレーション

2-1 未成年の一方的主張

 一体誰が言い出したのか。女は陰口をたたく生き物だ、と。

 友達同士の会話とかでも、何の前振りもなく「あの人ムカつくよねー」と言い出して、一方的に一人で盛り上がっちゃって、気が済むまで愚痴を吐いた後、「あなたもそう思うでしょ?」と強引に同意を求めてくる。特に中学時代、よく遭った災難だった。

 その点、男はそういう事がないのでいい。人間関係とかさっぱりしているし、そもそも陰口そのものが男らしくない、という一種の美学にもなっているし。


 ……だなんて、誰がそんな適当な事を言い出したのか。


 まあ、高校に上がるまで男子とあまり会話したことがなかったから、その説が大嘘なんだということを思い知ったのは最近の事だけど。

 つまり、結論だけ言うと、悪口や陰口を言う行為に男女の差などないということである。




「あの野郎、いつかシメ上げる」

 文化祭実行委員の打ち合わせ終了後、何の前振りもなく物騒な事を呟いたのは実行委員長を務めている2年の区賀くが 周一しゅういち先輩だった。

「まったく奴ときたらどこまで非協力的かつ反抗的なんだ。皆が一丸となっている時に一人だけサボるとか神経が腐っているとしか思えん」

 本人は独り言をつぶやいているつもりなんだろうけど、声が大きすぎて丸聞こえだ。

「これだから芸術系気取りの奴は。自由気ままとか適当な事を言っておいて現実では自己中でわがままで、しかもそれを正当化しようとするただのカスだ。そもそも協調性がない時点で社会にとっても害悪だ」

 ああ、なんだか本人以外にも色々敵に回しそうな事まで語り出した。と、思ったところで先輩と目が合った。

「ああ、すまん、市原いちはらさん。別に君のことを言っているわけじゃないんだ」

「え、ええ、分かってます」

「しかし君も部活であんな奴が先輩だと苦労するだろう。心底同情するよ」

「い、いえ、うちは部長がしっかりしているので」

 愚痴に同意を求められた時の対応ほど面倒な物はない。肯定しても否定しても後々が怖いし。

「ああ、みやこさんが部長だっけか。あの人はなんだかんだでしっかりしているからな」

 そして区賀先輩は大きなため息をついた。

「それに引き換え奴ときたら。もはや一回死んで来いと言いたくなるレベルだな。むしろ存在自体を否定したくなる。本当、市原さんは気の毒だよ」

 再び愚痴の続きが始まった。

 しまった。退出のタイミングを失くした。これだと区賀先輩の愚痴が終わるまで部活に行けないじゃない。

 そして、先輩の愚痴が長々と続く。というより、先輩の気が晴れるまで同じ話題がひたすらループしている。

 というか先輩は、いや、人の悪口を言う人は気づいているのだろうか。


 他人の悪口を言う人間は、大抵その相手からも同じことを言われているという現実に。




「あいつくたばればいいのに」

 部活中、何の前振りもなく物騒な事を言い出したのは副部長である道ノ倉みちのくら 橙也とうや先輩だった。

「また唐突に何を言い出すんだ」

 半分呆れ顔で突っ込みを入れたのは山県やまがた 公斗きみと先輩。

「あ、悪い、つい口に出しちゃった」

 はははと笑いながら道ノ倉先輩が、自分が今描いているデッサンから目を離し、山県先輩の方を見る。

「いやさ、ムカつく奴が一人いるだけで空気悪くなるって話よ。あ、部活じゃなくてクラスの話だからな。僕、部活ラヴだから」

 そして、道ノ倉先輩は誰も頼んでもないのに一方的に話し始める。

「大体世の中の体育会系はバカなくせに権力持ちたがるのが始末悪い。器小っちゃいのに偉そうにしてさ、自分の考えを他人に無理強いさせるような奴が社会を駄目にしてるんだ」

 なんかついさっきも似たような愚痴を別の先輩から聞かされた気がするのは、どう考えても気のせいではない。

「そう思うだろ?あおいちゃん」

「へ? えっ?」

 てか、いきなりなんで私に振るんですか。

「市原、スルーしていいぞ。こいつは甘やかすとろくな事にならないから」

 すかさず山県先輩のフォローが入る。

「けど藍ちゃんって文化祭の実行委員だろ? あんな奴が先輩だったら大変だよなー。何かあったら言いなよ?」

 なんかついさっきも似たような以下省略。

「あー、マジ本当死ねばいいのに、あの野郎」

 途端、べしっという音がして道ノ倉先輩が頭を抱えてうずくまった。

 何事かと思いきや、いつの間にか部長のみやこ 喜衣乃きいの先輩が、音もなく道ノ倉先輩の背後に回ってチョップをかましていた。

「軽々しく人に対して死ねとか言うもんじゃない」

「た、大将」

 どういう由来なのかは知らないけど、喜衣乃先輩は一部の男子生徒から『大将』と呼ばれている。女の子らしくないあだ名なのに妙に似合っているのが不思議だ。

「というかお前だけだぞ、デッサンの課題終わっていないのは」

 喜衣乃先輩は特徴的な長いポニーテールを揺らしながら道ノ倉先輩を睨み付ける。それだけでピリリと空気が張り詰められるような迫力だった。

「全く。小学校で習っただろう、死ねとか軽々しく言うなって」

「いや、だけどさ」

「つべこべ言うな! 先生に言われたことくらいあるだろう。「死ねって言った奴が死ね」って」

「え」

 私と道ノ倉先輩、そして山県先輩が同時にそう反応した。怪訝そうな顔をする喜衣乃先輩。

「いやいや大将、「バカと言った奴がバカ」ならわかるけど、「死ねと言ったら死ね」って言うか普通!?」

「え? 違うのか?」

「全否定はしないけど何か違う!」




 十月に入ってからめちゃくちゃ忙しくなってきた。

 まず十一月頭の文化祭に向けて、クラスの出し物と部活の出し物の準備。クラスの方は協力し合ってどうにかなりそうなのだが、問題は部活の出し物である。

 私の場合、最初はコミックアート(まあ簡単に言えば漫画絵)を何枚か描いて展示する、という予定だったのだが、顧問の国木田先生が私の描きかけのネーム(漫画の下書きメモみたいなやつ)を見つけて、「いっそ漫画一本描いて発表しよう。その方が絶対インパクトあるし、いい記念にもなる」の一言によって、私の出展物はストーリー漫画に変更された。

 まあ、何も考えずそれに乗っかった私が悪いんだけど、何せ描きたい題材を詰め込んだせいでページ数が五十を余裕で越えてしまったのだ。単純に言ってしまえば五十枚絵を描くのと同等なのである。労力が半端ない。夏休みと九月いっぱいをかけてどうにか三十ページ分は仕上がったのだが、手直しも色々あるのでスケジュール的にもあまり余裕がない。

 そして、文化祭の前に中間テストという大きな難題が待ち構えている。最近授業難しくなってきたし、それに伴って課題の量も増えてきた。考えるだけで頭が痛い。

 文化祭準備と課題。優先順位が拮抗しているこの二つを同時進行でこなしていかなければならないというきつい状態の中、これまた面倒くさい厄介事を持ち込んでくる人間がいるっていうわけで。

「藍ー。この間の無事入稿できたよー。これで次のオンリーイベントに出せるわ」

 クラスメイトの郷田ごうだ 小春こはる。彼女とは、入学当初同じ漫画やアニメが好きというきっかけで友達になったのだが、正直今では若干後悔している。

 いや趣味は同じなんだけど、その趣味の捉え方が全然違うというのがちょっと。けして悪い子ではないのだが、やや空気が読めないのが難点で。

 ちなみに小春の言う「入稿」というのは分かる人には分かるけど、同人誌の事である。それも二次創作の。

「けど欲を言えばもっと絡みのある絵の方がよかったんだけどね。直接的なエロはさすがにアウトだけど、妄想掻き立てる要素がもっとほしいというか」

 小春の言わんとしている事は分かる人には分かるだろうけど、正直私の口から説明したくない。精神衛生上口にするのも辛い。

「ごめん、そういう絵はちょっと描けないから」

「えー、藍、美術部じゃん」

 多分部の誰も描けないと思う。むしろ注文受けた時点でドン引きだよ。

「小春、もしかして今更描き直せって言わないよね?」

 そうだったら冗談じゃない。こっちは散々渋ったのに、小春が「イラストカット一枚だけでいいからー」としつこく食い下がるので仕方なくカツカツのスケジュールの中、夜更かしして描き上げたのだ。文句を言われる筋合いはこれっぽっちもないと思う。多分。

「大丈夫、もう入稿したって言ったじゃん。その代わり年末に出す本でよろしく!」

 私が描くのはもう決定事項なのか。私はあんたの便利屋じゃないのに。

そもそも何が悲しくてあんたの妄想に付き合わなきゃならないのか。原作設定を捻じ曲げ、あるはずのない人間関係を生み出し、ありえない恋愛妄想を形にして何が楽しいのかさっぱり分からない。

 それで面白いものができるのなら文句はないんだけど、小春が作ったものはいつも偽物感と違和感だらけの産物だった。

「あ、今度は違うカプに挑戦するつもりー。本誌でも新キャラ出てきたし」

 いや、新キャラ出てきたからって挑戦するな。

「相手は王子とか似合いそうなんだけど。絵的に」

 絵で決まるな。というか、その基準が意味不明だし。

「いっそR16くらいにしようとしてるんだけどー」

 いや、あんた早生まれで誕生日まだ先じゃん! 作り手が年齢制限引っかかってどうする。

「まあ予定は予定だから考えといてよ、構図」

 言いたい放題言うと、小春は手をひらひら振りながら自分の席へ戻っていった。

 もう、いろいろ突っ込みたい。

 何がって、何一つ小春に言い返せない、突っ込めない自分自身に。

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