戦場の魔術師シャンタル・ドゥシエラ

@OkuboStack345

プロローグ 第一話 過日の残滓/シャンタル・ドゥシエラ 七年前 時の残滓

 「シャン~?!お父さんと畑、行ってくるから。出掛ける時は表の扉は閉めていくんだよ、いいかい?」


 「はーい、わかった~」

 母親の声が聞こえてから、擦り切れたベージュ色のシーツが掛けられた子供用ベッドから起き上がると、シャンタル・ドゥシエラは手許に有った浅葱色のチュニックワンピース一枚だけを素肌に直接、頭から被る。

 それから祖母から貰った古びた、けれども随分と凝った意匠の金銀の模様が丹念に施されたのが、今は霞んでいるけれども、その痕跡が分かる、深い赤色のブラシで肩まで伸びた髪の毛を念入りに梳かす。


 窓から外を見ると丁度、粗末な身なりの両親が仲睦まじく微笑み合いながら、両肩に鋤と鍬を抱えて畑の方に出て行くところだった。

 周囲から数人の、両親より若い村人や随分とお年寄りも加わり、ざっと見て二十人くらいの、同じような身なりの集団がゾロゾロと、その奥の畑に向かって歩いて行くのが見て取れる。


 少し前に、ささやかではあるが、十三歳のお誕生日パーティを両親が開いてくれた、その時の両親からのプレゼント、真っ青な色した貝殻のロケットペンダントを身に付けると、シャンタルのお出かけ準備は整う。


 シャンタルは自分の部屋を出て、少し離れた食堂に行くと、酷く錆び付いた、しかしお洒落な曲線を描く金属製の足が付いた十二人掛けの大きなテーブルが直ぐに目に飛び込んでくる。

 その上には、子供の指の太さぐらいに薄くスライスした食パンが一枚載ったお皿、そしてサラダと言えば確かにサラダなのだろうが、要は昨日収穫した野菜を細かく切って小綺麗に盛り付けただけのお皿、そして此方も昨夜収穫した野菜の絞り汁が陶器のコップ、其れ等一式が並べて置いてある。


 背もたれに小洒落た意匠の彫刻が為された、頑丈な創りの木製の椅子に座ると、シャンタルは急いで其れ等を口に頬張り、大急ぎで苦くて苦くて、とても苦い野菜汁を、鼻を摘まみながら無理矢理、喉に流し込む。


 因みに、十二人掛けテーブルに備え付けられた椅子は二脚だけであり、元々有った十二脚の内の十脚はとうとう去年の冬、暖を取るため、暖炉の薪として燃やされてしまっていた。


 食堂の片隅で粗末なズック靴を履くと、シャンタルは表の扉から外に出る。

 何度も扉を揺すり、鍵が掛かった事を確かめて、そしてシャンタルは出発する。


 彼女の背後に聳え立つ三階建ての石造りの頑丈そうな建物は、かつては丹念に磨き上げられ、白亜の御殿に相違なかったのだが、今や手入れする者も居らず、かと言って手入れを依頼するに足るお金も無く、今や壁面や屋根には雑草が生い茂り、壁面が薄汚れ、一部の壁材が剥がれ落ちて無残な姿を晒している。



 いつも行く、シャンタルがお気に入りの場所は、家から北東の方角、歩いて一時間ほどの場所に拡がる、鬱蒼とした森の中。


 森の入り口から少し入ったところに、其れほど広くはないが、綺麗な水を湛えた、淡い水色をした湖があり、その湖畔から湖に向かって倒れ込んだ巨木の幹の上に座り、持ってきた本を読む、そして日が傾いた頃に家に帰る、それが彼女、シャンタルの最近のお気に入りの日課となっている。


 今日も手慣れた所作で倒木の上に登り、一番座り心地の良い場所に座り、一冊だけ持ってきた分厚めの本を膝の上で開いて読み始める。

 湖面から流れてくる風が涼しく、とても心地よい。


 そしてその時、いつもとは違う、とても強い、そしてとても冷たい一陣の風がシャンタルに向かって吹き付けられ、風に煽られて本に挟んでいた栞があっという間に吹き飛ばされる。


 「あぁっ」

 シャンタルは慌てて手を伸ばすがもう間に合わない。

 栞は遙か向こうで湖の水面に落下しようとしていた。


 この栞はシャンタルが『ケン兄さん』と呼び慕っている、少し年上の、とても親切で優しくて背が高く格好良い『お兄さん』から貰った大切なモノだけに、残念な気持ちになり、大粒の涙が後から後から溢れ出てくる。


 「おっとこれは失礼!」

 聞き慣れない声がシャンタルの背後でしたかと思うと、今まさに水面に着水しようかという栞は何故かシャンタルの手許、本の上に舞い戻ってくる。


 シャンタルは彼女の左側、少し離れた場所に座った、背の高い男性の気配に気づき、本を読む手を止めて、左の方を向く。


 「誰?」

 しかし、彼の姿を、シャンタルはハッキリと見ることが出来ない。

 その姿はまるで、ご本に出でてくるような、知らないお伽の国から来たのかも知れない、妖精のように透き通って見えた。


 その時、再び辺り一面に、この暑い季節には絶対に吹かない、とても冷たい風が、しかし今度は緩やかに、穏やかに流れる。


 「僕のことが視えるのかい?ほぉ」

 そう告げた優しげな声の主は、今度はハッキリと、其処にはシャンタルのお父さんと同じくらいの年齢の、若い男性の姿をして、立っていた。


 背がとても高く、折り目正しい純白のシャツをお洒落に着こなし、首には蝶ネクタイ、細身の純白のスラックスを履き、そして濡烏色のスエード調のトレンチコートを羽織った男性。


 「おじさん・・・夏なのにコート着て、暑くないの?」

 栞を挟んで本を閉じると、シャンタルはチキンとその男性の方に向き直る。


 「おじさん・・・か。そうだよね。まあ良いよ。僕は鴻星の神、そう呼ばれてる」

 鴻星の神、と名乗った男性は両膝を付いて、目線をシャンタルの其れと合わせてから、そう言った。


 「お嬢ちゃんの読んでるご本は、その昔・・・」

 其処まで言ったところで、シャンタルは大きめの声で其れを遮る。


 「私はシャンタル、お名前があるの。シャンと呼んで?」


 「分かったシャン。ねえシャン、読んでいるご本はその昔、この地にも大きな龍が棲んでる、そう言うお話しだったよね?」


 「そう。でもお話しの結果を言っちゃダメだよ。其れは凄く嫌な事、マナー違反」

 そう言うと、シャンタルは少し膨れっ面をして不機嫌そうになる。


 「ゴメン。でもそういうつもりじゃなかったけどね」

 鴻星の神、は丁寧に頭を下げる。


 「お詫びに僕がいろんなお話をしてあげよう。僕が今日は”一冊の本”になってあげる」

 そう告げた鴻星の神、の言葉にシャンタルは表情をほころばせる。


 「聴きたい!」


 鴻星の神、の話しはそれはそれはシャンタルの好奇心を満たすには充分だった。


 遙か北の方には大きな山がたくさん並んでいて、その山の一つには、千年に一度火を噴く火龍が棲んでいる事、此処から南の方に見える、たくさんの山の向こうには大勢の人が住んでいる事、夜になったら観える”魔月”には、凄くたくさんの人が棲んでいる事、それからそれから・・・。


 「おや、寝てしまいましたか、シャンタルお嬢様」

 太陽が西の空にいよいよその姿を隠そうとし始めた頃、シャンタルは鴻星の神、その腕の中でスヤスヤと寝息を立てていた。


 「これはお詫びの印だ、お嬢様」

 そう言って鴻星の神が右手を空中で規則正しく振らすと、目映いばかりの光の球が空中に顕現し、程なくしてその光球はシャンタルの胸の中に溶け込むように消える。


 「覚えておいて欲しい、否、決して君は其れを忘れる事が出来ない、お嬢様。僕はヴァルドゥル・ホイアー、君の執事だ。そして君が二十歳になればきっと迎えに行く、僕たちはそう言う運命だ」

 そう言いながら鴻星の神、ヴァルドゥル・ホイアーはシャンタル・ドゥシエラの身体を空中にゆっくりと浮かべる。


 「もうおうちに帰る時間だよ、お嬢様」

 ヴァルドゥル・ホイアーがそう告げると、シャンタル・ドゥシエラの身体はふんわりと音もなく、その場から消える。


 追い掛けるように、ヴァルドゥル・ホイアーもまた姿を消す。


 間もなく、シャンタル・ドゥシエラの身体は、いつも使い慣れた彼女のベッドの上で、幸せそうな表情で、静かに寝息を立てていた。


 ◇ ◇ ◇


 「ねえコンラ、今すぐシャンのお部屋来てくれるかしら?」

 シャンタルの母、ルフィーヌが一階シャンタルの部屋の窓を開け、庭で花の手入れをしているシャンタルの父、コンラートに話し掛ける。


 「シャンが入っても良いって言ってるのかい?また怒ら・・・」

 そう言うコンラートの言葉を遮り、ルフィーヌが少し大きな声を出す。

 「そのシャンが少し変なのよ、と言うか直ぐに・・・今すぐ来て頂戴」

 ここまで言ってからルフィーヌは冷静さを取り戻す。

 「ごめんなさい。大きな声を出して・・・とにかく直ぐ来て欲しいの」


 「分かった、直ぐ行く」

 そう言うと手に持っていた小さな鍬を放り出してコンラートは娘、シャンタルの部屋に小走りに駆け込む。


 コンラートが其処で観たモノは、およそ彼の三十一年、決して短くはない人生の中で得た経験とか常識等を照らし合わせてみても、とても信じられるモノではなかった。


 シャンタルが立ち上がって、虚ろな目をしたその様子から、殆ど無意識のうちに発しているであろう、不思議な言葉の羅列、そしてシャンタルが彼女の胸の前に差し出した、両手で水を掬うような仕草、そして何よりも、その彼女が差し出した手の平から少し上に離れた場所に、水遣りバケツ一杯分くらいの水量、体積の水で出来た球、水球がフワリフワリと浮かんでいるという現実。


 そして、彼はしかし、直ぐに気付く。


 「そう言う事かルフィーヌ、大変な事になってしまったぞコレは!村長に報告に行ってくる」

 そう言い残すとコンラートは、妻ルフィーヌが返事するのさえも待たず、着の身着のままで家から駆け出していく。


 走りながらコンラートは、有る事に気付く。

 愛娘シャンタルとの別れの日、其れが彼女の十五の誕生日に来るという事を覚悟しなければならない、という事実に。


 「しかし何故、今更・・・もう三百年以上、当家から魔術師は生まれて来なかったというのに。何故に俺の大切な娘の代で!?」

 そう言ってコンラートは、苦虫を噛み潰したような表情のまま、村長の住む家に飛び込んでいく。

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