第2話 少年期

 俺が中学生の頃、母は7人目の子どもを妊娠していた。年齢は38歳だった。いつもお腹が大きくて、その体で畑をやったり、家事をしたり、客を取るのが大変そうだった。父親は相変わらず寝てばかり。

 俺も学校から家に帰ってからは、寝るまで家事をやらされていた。正確に覚えているわけじゃないけど、気が付いたら女の子はみんないなくなって、いるのは男の子だけが2人。かわいそうだから、文字を教えたりしてやりたかったけど、忙しいし、面倒で、あまり世話をしてやれなかった。


 臨月になると、母は産気づいて、俺が産婆さんを呼びに行った。出産の時、俺はいつも細々したことを手伝わされていた。お湯を沸かしたりする役目なんかだ。シーツと毛布を準備して、傍に座ってるだけだけど。出産の場面っていうのは、毎回地獄絵図のようだったし、今もトラウマになっている。母親は胸は隠してるけど、下半身は丸出し。蜘蛛のように丸い腹を上に向けて、股を開いて寝ていると、陣痛で苦しむことによって、まるで自分の犯した罪を償わされているかのようだった。


 その時も母は出産の時「痛い!痛い!」と半狂乱で叫んでいた。いつもの男さんとは違っていた。「ギャー」と悲鳴を上げていた。産婆さんは、母さんの股の間に手を突っ込んで「逆子だ」と叫んだ。「早く!医者呼んで来て」と、俺に言った。俺は全速力で走った。

 隣の家に行って救急車呼んでもらって。


 村には一応、救急車はあったけど、病院がなかった。だから、救急搬送する意味なんかなかった。やっぱり、救急車が来た時には、母は亡くなっていた。


 どれほど苦しかったかと思うと、いたたまれないが、そんな場所で出産していたせいでそういう結果になってしまったのだから、自業自得だ。母親は子どもを売るために、自宅出産していたからだ。


 母が亡くなって、残されたのは、2人の幼い弟と飲んだくれの父。

 父はもう働く気がなかったようで、弟たちを安値で売り飛ばしたらしい。女の子はともかく、男の子の使い道は思いつかなかった。奴隷?臓器?


 しかし、俺には関係ないことだ。俺は俺で大変だった。俺は働かない父親の代わりに、中学の頃から村で農作業や雑用を手伝ってわずかな収入を得て、何とか暮らしていた。村には高校がなくて、家から自転車で1時間もかかるところにしかない。だから、俺たちは引越した。高校は定時制に通って、昼は働いて、勉強も頑張った。なぜそこまでできたかというと、村の役場に勤めたかったからだ。役場は公務員だけどコネだった。俺は引越した後も、村の行事とかにはできるだけ顔を出して、積極的に手伝って、地元の人に顔を売った。そのおかげで、高校を卒業した後、無事に役場に勤めることができた。役場に勤めたかった理由は、あの家に住んでいれば、また公子に会えるかもしれないからだ。


 俺が役場に勤めた19歳の時、公子は12歳くらいにはなっていたと思う。子どもの頃の写真なんて1枚もないけど、他では見たこともないくらい美少女だったから、きっとキレイになっているだろう。とにかく彼女が恋しかった。自分を慕ってくれて、愛してくれた。連れて逃げてやれなかったことが悔やまれた。今、どうしているんだろうか。その思いは、ずっと持ち続けていた。


 俺は一度も女と付き合ったことがなかった。いつも人を寄せ付けないタイプだと言われるが、公子以外の女に興味が持てなかった。その原因は、母親が家に男を連れ込んでいたことや、出産に立ち会わされたせいだろうと思う。女の浅ましさと、醜さを嫌と言うほど見せつけられていたから。


 俺の理想は公子で、その存在は永遠だ。夢の中にはよく公子が出て来て、その頃には中学生の姿になっていた。セーラー服を着ていて、すらっと背が高くて、胸が膨らんでてアイドルみたいなルックスだった。俺は役場に勤めてるからスーツ姿で、デートしている。手をつないだり、木陰でキスしたりする。恋人どうしみたいだ。


「お兄ちゃん、いつ迎えに来てくれるの?」

「もう少し」

 俺はごまかす。

「私、待てない。もうすぐ結婚させられるの」

「え?」

「私、家主の息子と結婚させられる」

「断れば?」

 公子は首をふる。こんな夢を繰り返し見た。


 公子は今どこにいるんだろう?全然、わからない・・・あ、そうだ・・・親父が何か覚えているかもしれない。


 俺は初めて親父に尋ねた。親父は町で一人で住んでいた。糖尿病で働けなくなり生活保護を受けていた。親父は嫌いだが、他に身寄りがないから月に1回は様子を見に行っていた。


「公子はどこにやったんだ?」

「わからん。斡旋してくれた人がいたからな」

「斡旋してくれた人って誰だ?」

「役場の人だ」

「え?まさか・・・」

「ほんとに役場の人だ」

「何て人?」

「角田さん」

「え?あの人が・・・?」

 角田さんは、今も役場にいる人だった。それまで気さくでいい人だと思っていたが、人身売買に携わっていたなんて、想像もしなかった。もしかしたら、裏社会とつながりのある人かもしれない。安易に聞き出したりしたら、危険な目にあうかもしれなかった。


 夢のなかで、公子が言っていた「結婚させられる」ということ。女は16から結婚できる。だから、公子はあと3年くらいで、誰かの嫁になるかもしれない。それまでにどうしても見付けたかった。他の男に取られたくない。


 取り合えず、角田さんをマークすることにした。角田さんの家は、〇〇地区と言うところだった。地元ではかなり大きな農家だった。山間部だが、もともとは農家が多くて、水田もあったが1970年代にはかなり衰退していた。減収した分を、人身売買の斡旋で埋めようとしたのだろうか。


 父も1年くらい働かずに暮らせるくらいの収入を受け取れたのだから、角田さんにもかなり斡旋料が入ったんじゃないかと思う。俺は角田さんの所有する農地を見ていた。耕作放棄地もあったが、タバコなんかを栽培していた。


 角田さんの農地はやはり広くて、その辺の平地一面が彼の土地だった。そこにいるのを見られたら、なんて言い訳しようか。その先にある、〇〇さんという人の家を訪ねると言おう。お年寄りだけで住んでいて、気がかりだったということにするんだ。


 俺はゆっきりそのタバコ畑の中を歩いていた。腰まであってかなり背丈が大きい。タバコは儲かる作物として、栽培してる農家が増えていた。カサカサ音がした。風がタバコの大きな葉を揺らしていた。角田さんなら、公務員の収入とタバコ栽培でも十分暮らせるだろうに、なぜ人身売買の斡旋などをしていたんだろう。不思議でたまらなかった。


 角田さんには、息子が2人いる。どちらも不良で出来が悪いけど、そのうち役場に入ると言われていた。角田さんは村長になるだろうと言われていたから、その圧力で誰も断れないのだ。今高校生で、街の高校に行くために下宿しているはずだ。家にいるのは角田の夫婦とその親たち。


 俺は恵まれた環境の角田ファミリーを羨んだ。子供の頃から働き詰めで、公務員になって一人暮らしをしてから、初めて自分の時間が持てるようになっていた。一人の時に思い出すのは公子のことだけだった。


 その白い肌と、サクランボのように光沢のある唇。今は胸も膨らんでいるはずだ。夢の中だけでなく、現実でも自分の物にしたかった。彼女も俺を愛してくれているはずだ。今でも・・・。


 タバコ畑を歩いていると、何となく人の目線を感じた。何かが俺を見ている。なぜだろうか。第六感が俺に危険を知らせているんだろうか。角田さんはやっぱり怖い・・・。あの人に近づいちゃいけないんだ。俺がここで殺されても、誰も気が付かない。警察だってあの人の味方だ。

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