監禁

 監禁されて早三ヶ月。俺は何不自由のない生活をしていた。

 一日三食の食事と適度な運動を繰り返し、規則正しい生活をしている。娯楽は通信手段以外の物であればなんでも用意してくれた。監禁開始時、猜疑心の塊だったころは殺傷の恐れがあるものは許されなかったが、今ではビリヤードやらテニスやらもできるようになった。いつの間にか絆されてしまった。

 ときに、なぜ監禁するのか尋ねたりもした。しかし、そのたびに優しく微笑まれ「あなたのためですから」と言われるきりだった。


 ある日、俺が連れていかれた先は、こぢんまりとした檻が並ぶ部屋だった。

 俺の居住区画より大分不衛生だ。檻に入れられ周りを見渡す。天井で瞬く蛍光灯は片方が完全に切れている。その横には電動式であろう滑車。さび付いた蝶番とコンクリート打ち放しの床と壁。床に何かこぼしたのか大きなシミが広がっている。空気もなんだか湿っぽいし黴臭さを感じる。

 顔をしかめていると隣の房の扉が開けられ、部屋にもう一人連れてこられた。

 ふうふうと苦しそうに呼吸するそいつは俺と同じ服を着ていた。手術着のようなワンピースだ。しかし、大分小さいのか今にもはち切れそうな具合だ。首周りには脂汗が滲み、べったりと黒光りする頭髪はまばらで額に貼り付いている。そして、何よりもここの監獄にお似合いだと思った。

「おい、あんた。いつ風呂に入ったんだ」

 思わず鼻を押さえながら訊ねる。

 そいつはふらふらとした様子で床に座り込むと、俺を仰ぎ見た。

「風呂? 風呂ってなんだよ」

 肩を震わせ、ひんひんと情けない鼻息を上げながらべそをかいている。いい大人がなんてざまだ、と俺は一歩下がった。よく見てみれば、そいつの肌は黄土色をしているし、はち切れそうな体はしているがハリ艶のない肌をしている。目はうつろだし呼吸は荒い。

「あんた、病気なのか」と心配して声をかけようとすると、とたんにそいつは嘔吐した。部屋中に独特の酸っぱい臭いが立ち込める。むわっと生暖かい空気がせりあがってきた。

 吐しゃ物にまみれながら、とうとう泣き出したそいつはもうぼろぼろだった。

「狭い檻に閉じ込められて、一日中ずっと食べ詰めで、『体調が悪いから医者に連れて行ってくれ』って言ってもにこにこ笑ってるだけで何もしてくれやしなかった。無理だって言ってるのに食べ物を持ってくるし、吐いたら吐いた分だけ食べさせられる。いつの間にか体はこんなに太っちまった」

 うなだれながら言った言葉に俺は絶句した。まるで拷問じゃないか。すると、男は視線だけよこして「あんたはどうだったんだ」と訊ねた。

 どうするべきか考え言いあぐねていると、部屋に給仕が入ってきた。盆にはグラスが二つ。俺たち二人分なのだろう。配られたそれは無色透明、無臭かどうかは鼻が利かずわからなかった。

「最後の晩餐です」

 給仕はにこにこと穏やかな表情で言う。

「ちょっと待てよ」

 俺たちは同時に喋りだした。最後の晩餐がこんな水一杯なのか、というのが俺の主張。これを飲んだらここから解放されるのか、というのが隣の主張。

 そして、給仕はにこりと微笑み「あなたのためですから」と耳障りのいい言葉を残した。

 帰りたいばかりの奴はグラスごと飲み込むのではないだろうかというくらいの勢いで水を嚥下した。納得のいかない俺は怒り任せにグラスを投げつけた。鉄格子に当たりグラスが割れ、水があたり一面に飛び散った。しかし、給仕は表情一つ変えない。

「どういうつもりだ! 散々いい気にさせておいて、最後の晩餐が水一杯ってどういうことだ! だいたい、いつもの料理だってキノコやナッツばかりでまともな食事だったことなんてないじゃないか」

「おい! 飲んだぞ! 出してくれ!」

 しかし、給仕は動かない。それどころか俺の方を向き「本当によろしいのですね」といつもの表情で言いのけた。

「また『あなたのためですから』だろう。なにが俺のためだ。三か月も監禁しやがって」

「ええ、三か月待ったかいがありました。ストレスなく健康的な体を作るために適度な運動を心掛け質のいい睡眠を促した」

 隣の檻からあえぐ声が聞こえた。口から泡を吹きぐうぐうと苦しそうな声を漏らしている。黄土色の顔色は青くなったり赤くなったり目まぐるしく変化している。

「良質な肉体を作るためにも、食事には細心の注意を払いました」

 ぐらぐらと体を揺らしていたが、とうとう力尽き、吐しゃ物の上に倒れこんだ。べちん、と肉をたたきつける音がした。俺の方まで吐しゃ物が飛んできたがそれどころではない。巨体をくねらせながら吐しゃ物にまみれもがく様がこんなにも恐ろしいと思ったことはない。足がすくみ、眼が離せなかった。

 ガチャリ。扉が開く音に体が跳ね上がった。ころころとカートを押すなめらかな音がする。食事が始まる前と後に散々聞いた音だ。しかし、カートに乗っているものはナイフやのこぎりといった見慣れないものばかり。もうここまでくると俺の思考は全く働かなくなっていた。

 隣の房の扉が開かれる。すでに奴は事切れていた。仰向けに転がされると、着ているものをはぎ取られる。体中どす黒く、ひどい湿疹で赤くただれているところもあり、とても健康体とは言えない。脚に鎖を付けられると天井の滑車が起動し奴を吊り上げる。

「な……、なにを」

「狸やハクビシンはおいしいらしく、猟師にとっては希少価値が高いそうです」

 奴の首にナイフが突き立てられ、どろりと血があふれ出す。湧き出た泉のように一気に床に広がって、あっという間に俺のつま先を濡らした。

「イベリコ豚も同様に癖のない良質な肉が人気ですね」

 もう給仕の話なんて聞いている余裕はなかった。俺は檻の一番端まで逃げ、浅い呼吸で情けなくひいひいとあえぐしかできなかった。

「何を食べているかご存知ですか?」

 俺の房の扉がゆっくり開かれた。

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