第21話 林の中の


 三谷を家まで送って行きながら、俺は三谷が話した事をずっと考えていた。


――『ワシは、雫山村の大人が怖い。どうしてあんなむごい事ができるんだと心底思っていたのに、それでも結局ワシはこの村で死んでいく。お前は大人になる前にこの村を出て行け。絶対に神子と神事には関わるな』


 三谷の祖父は自分がこの村を出て行く事が出来なかったから、孫の三谷に出て行けと言った。『大人になる前に』というのは何か大切な意味があるのだろう。何故か『大人』という単語が妙に引っかかる。

 この村には、大人だけが知っている事があって、それはとても恐ろしいことなのか? 三谷の祖父が死ぬ間際に正気に戻るほど。


 それが『神子』と『神事』に関わる事なら、今の神子であるさやも深く関係がある。さやと紗陽はそれを知っているのかな?


 あれから現れなくなってしまったさや。紗陽本人に聞くわけにはいかないし、話を聞いたばかりの頭ではぐちゃぐちゃになってなかなか整理できない。


「三谷くん、神事は十日後だっけ?」

「そう、十日後だよ」


 二人とも口数少なく人通りのない田舎道を歩いていた。この辺りは民家が密集して建っている地域だ。ブロック塀や生垣の前を二人でトボトボと俯き加減で歩く。足が錘をつけたようにひどく重い。


「とにかく、この事は二人の秘密だ。三谷くんはもし調子が悪ければ学校を休んだりしてもいいと思う。無理は良くないから。今日の事は丸本くんに上手く伝えとくよ」

「うん、明日も行けそうになかったら休むよ。けど、天野くんに話せて随分も楽になった。ありがとう」

「あ……、下痢って思われてたらごめん」


 本当に悪いと思って謝ったのに、三谷はふふっと笑った。少しまだ元気のない顔だけど、笑ってくれて安心する。


「いいよ、僕ってどうみても身体弱そうだし。そういう事もありそうだしね。ありがとう」

「ごめん。じゃあまた」

「うん、ありがとう。天野くん」


 古民家っぽい建物で、立派に手入れされた広い庭が特徴の三谷家の前で手を振って別れる。こんなに立派な家に住んでいる三谷は、家族がもうだいぶ前からバラバラなのだと言っていた。悲しげに笑う三谷の表情を思い出して鼻の奥がツンとした。


 これからまた一人坂を登って神社の方へと向かわなければならない。だけどもう少しも歩きたくないくらいに足取りは重い。

 だけど三谷の話を聞いた今の俺に出来ることがあるのか、どうしたら良いのか考えなきゃ。さやと話せたらいいんだけど。さや、どうして現れてくれないんだろう。


「……やめてよ!」


 さっき三谷を連れて皆と別れた場所を通り過ぎて、前にカモと遭遇した交差点の少し手前あたりで声が聞こえた気がした。

 ドキッとして足を止め、耳を澄ませてみる。ガサガサという葉っぱか枯れ枝のようなものが擦れるような乾いた音と、斜面になった土の上を滑った時のようなザザザッという音が聞こえる。


「変態! やめて!」


 紗陽の声が聞こえた気がして、急いで声のする方角を探る。声よりもガサガサという物音の方がよく聞こえたから、その物音のする方へと早足で近づいた。どうやら道路脇の林の中から音が聞こえて来るみたいだけど、次に聞こえた声に足が勝手に止まった。


「この! クソガキ! 静かにしろ!」


 カモだ! なんで⁉︎ カモが、紗陽に何かしている?


 勝手に足が震えた。情けないけど、あの時の恐怖が蘇って全身が硬直してしまう。でも、紗陽を助けないと……!


 音を立てないように林の中を進んだ。ぼうぼうに生えた背の高い下草の陰からカモの白いTシャツ姿の背中が見えた。その向かいに立つ泣きそうな顔の紗陽が「やめて」と声を上げて抗っているのが見える。どうやら紗陽はカモに腕を掴まれているみたいだ。どうしよう、どうしたら?


 足元に折れた木の棒が落ちていた。子どもの腕くらいの太さと長さの棒を選んでそっと握る。ささくれた木の表面にある棘が指に刺さったけれど、気にしていられない。思ったよりも重い木の棒は攻撃力もありそうだ。隙を見てカモを攻撃しないと紗陽が危ない。


 そろそろと二人に近づいていくうちに、背の高い下草で隠れていた紗陽とカモの姿がしっかりと目に入った。二人は向き合って言い合いをしている。やはりカモは紗陽の腕を掴んでいた。


「お前、雫山の神子なんだろ! 村を助ける役目だろうが! それなら俺も助けてみろよ! おい! どうにかしろよ!」

「やめてよ! 痛い!」

「ほらな、何にもできねぇじゃねぇか! お前みたいな子どもに何が出来るんだよ! クソガキ! お前らのせいで、俺は……!」

「訳わかんないこと言わないで! 離して!」


 よほど暴れたのだろう。紗陽の着ていたブラウスの前ボタンは飛び散って、開いた胸元から肌着が見えている。袖は千切れて肩と肘が丸出しになっていた。髪を振り乱して泣き顔を見せる紗陽が可哀想で、早く助けてあげなければと焦ったけれど、下手に動けば紗陽が俺に気づき、その視線でカモにも気づかれてしまうだろう。


 紗陽から死角になる場所からカモの背中を攻撃しようと決めた。早足で、けれど音を立てて気づかれないように慎重に移動する。木の葉を踏み鳴らす音は二人の声の方がよほどうるさいから気づかれないはずだ。


「キャッ、や、やめて!」


 ガサササッ! と一際大きな音がして、紗陽が尻餅をついたのが見えた。カモは紗陽の上にのしかかるようにして押さえつけている。早く、早く助けなきゃ!


「父さんは俺より神子の方が大事なんだってさ! 笑えるよな! 狂ってるよ! この村は狂ってる!」


 カモの嘆くような声が響く。奴がこんなに大声を出してるのに、何で誰も助けに来てくれないんだろう。こんな民家もない田舎道で、林の奥で子どもが……紗陽が襲われている。俺だって……子どもなのに! この村の大人達はどこだ⁉︎ あぁ、だめだ……もう……もう俺がやるしかない……!


 ドガッ! ドガッ! という鈍くて嫌な音が響いた。耳を塞ぎたくなるような、嫌な嫌な音だった。


 

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