第17話 地蔵へのお願い事


 翌日、警戒しながら登校したけれどカモには会わなかった。元々帰宅時間にしか現れない奴だったけど、昨日の今日だから流石にちょっと俺は緊張したのだった。妹は全く気にしてない風で、いつも通りにニコニコしながら自分の教室へと入って行った。


「あ、明日香ちゃんおはよー!」

「おはよう」


 元気な三年生女子の声がして、妹が元気よく答えているのを聞いてホッとする。自分は妹の教室を通り過ぎて、五年生の教室へと向かった。

 クラス名が書かれていない、ただ「五年」とだけ書かれた教室の表示にももう慣れてしまった。


「おはよう」


 いつも通りに挨拶をしながら教室へと足を踏み入れる。既に半分程度のクラスメイトが登校していた。俺の声に反応して皆が挨拶を返す。さやももう登校していた。今日はさやなのか、それとも紗陽なのか……。


「おはよう、きりと」


 今日はさやだ。俺の事をきりとと呼ぶのは月夜に出会った方のさやだ。それだけで嬉しくなって、思わず声が上ずってしまった。


「おはよう、さや」


 いつもはどちらの時も皆に何か言われないように『綾川』って呼ぶのに、今日はこっそりと『さや』と呼んでみた。ちなみに、さやが俺の事を『きりと』と呼んだり『天野くん』と呼ぶ事に関しては『気分屋の綾川さん』だから……と思われている。


「え……どうしたの?」


 俺が名前を呼んだ事をさやが驚いて、ヒソヒソと小さな声で聞いてきた。やっぱり今日は間違いなく『さや』の方だ。


「何となく、今日はあの夜みたいに『さや』って呼んでみたかっただけだよ。ごめん、もういつも通り『綾川さん』って呼ぶから」


 二重人格に関してはさやには紗陽の記憶がないはずだ。それに、さやに向かって『二重人格なの?』なんて聞きたくなかったし、聞いたところで医者でもない俺にはどうする事もできないんだから。


 けれど今日はどうしても『さや』と呼びたかった。二人が違う人格だと俺は分かってるって事を、さやに伝えたかったんだ。


「きりと……」


 しばらくじっと俺の方を見つめていたさやは、俺の名前を呼んで、その続きを言おうとしたところで仲の良い友達に名前を呼ばれて席を立った。何度かこちらを振り返るさやに「またあとで」という意味で手を振った。


 その日は一日中さやと二人で話す機会がなくて、そのまま家に帰った。念の為俺より早く学校が終わった明日香は校庭で友達と遊びながら待っていて、一緒に帰ることにしていた。


「明日香ちゃんのお兄ちゃんだ!」


 丸本と三谷の妹、それに別の女の子三人ほどが一緒におにごっこやかくれんぼをしていたようで、俺と丸本、三谷が校庭に見えると何故か真っ先に俺の周りに全員が近寄ってきた。


「ねぇねえ、島田さんのお兄ちゃんをやっつけちゃったんでしょ?」

「めちゃくちゃ強いヒーローだって明日香ちゃんから聞いたよ」

「うちのお兄ちゃんと交代して欲しいなぁー」


 口々にそう言う三年生の女子達に困っていると、丸本が一人の女子の頭を軽く小突いた。どうやら妹らしいが、よく見ると日焼けした顔と丸顔がそっくりだ。


「なーにが交代して欲しいだよ! こっちこそ、明日香ちゃんと妹交代して欲しいよ」

「あ! お兄ちゃんひどい!」

「はぁ? いつも家では『兄貴』って呼んでる癖に、友達の前では『お兄ちゃん』かよ」

「馬鹿! バカ兄貴!」


 突然言い合いを始めた二人に驚いていると、三谷が近づいてきて首を振った。どうやらこれはいつもの事らしい。兄妹仲がいいんだろう。丸本の家は五人兄弟と言っていた。丸本が長男だけど、まだ下に保育園児までいるらしい。


「兄ちゃん、丸本兄妹はほっといて先に帰ろう」

「そうだな、帰るか。じゃあ天野くん、みんな、さようなら。また明日ね」

「みんな、さようなら。また明日」


 三谷と妹はメガネ姿がそっくりで、冷静なところも似ているようだ。だけど妹の方はわざと兄の真似をしているだけのような感じもする。これもまた微笑ましい。


「ばいばい、またね」

「みんな、気をつけてね」


 三谷兄妹が帰ろうとするのを見て、慌てて丸本兄妹も後を追う。家が隣だから一緒に帰るのが当然のようになってると話していた。やっぱりそういう友達は羨ましいと思った。


「あ……」


 遠くの方にさやが見えた。校庭の端っこを通って飼育小屋のうさぎを覗いている。立ち止まってしばらくうさぎ達を見つめているようだ。そういえばさやは飼育委員だったから、きっと動物が好きなんだろう。


「なぁに? お兄ちゃん何が『あ』なの?」

「別に。さぁ帰るぞ」


 妹に茶化されるのが嫌で、さやの事は気になったけど二人で校門を出た。明日はもしかしたらさやじゃなくて紗陽かも知れないけど明後日はきっとさやだろう。最近は日替わりで現れているから、そうだと思う。


 家の近くまで帰ると、地蔵の前で祖母が手を合わせていた。朝は枯れていた花が新しくなっているから、祖母が供えていたようだ。地蔵に供えられた花も、夏場はすぐに茶色くなってカサカサに枯れてしまう。冬になれば少しは違うのかも知れないけど。


「あらぁ、おかえりぃ」

「おばあちゃん! お参りしてたの? 私もする!」

「あらあら、お地蔵さんも喜ぶわ。桐人ちゃんも一緒にする?」

「うん」


 三人で並んで地蔵に手を合わせる。妹は隣で「テストで百点取れますように」などと願い事を呟いている。祖母はまた目を閉じて、今度は何も言わずに手を合わせていた。


 妹みたいなお願い事をするのはどうかと思ったけれど、俺は「さやと仲良くなれますように」と密かにお願いしてみることにした。


 








 




 


 


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