第1話 『出会いはあの時』

 授業中に碧依というS級美少女から切端てがみをもらった後の休み時間。


 青空広場のベンチに座って、ソレを両手に持ちながら空を眺めて思うのは――


「(今日も今日であの子に見つめられたんだよなぁ……)」


 ということ。


 その間に、碧依の表情や見つめてきた時の仕草、何故か顔を紅くして黒板を見つめていた時のシーン等、頭の中で鮮明に映像として流れていた。


 それからは何かを思う訳でも、何かを考えるわけでもなく、ただただ無心でそよ風に吹かれながら空だけを眺め続けていく――


「あっいた――」


 とは、いかなかった。


 頭だけを声が聞こえた方へ向いてみると、閉まろうとしているドアに優しく手で抑えながら笑顔でこちらを見る美少女がいた。


 言わずもがな、小桜碧依である。


 改めて見て――いや、改めて見なくても整い過ぎている容姿なので一際、軍を抜いているのは当然なのだが、距離的な問題で彼女の身体全体を必然的に見てしまうと、出るところは出て引っ込むところは引っ込んでいる――いわゆるボン・キュッ・ボンな綺麗なスタイルだった。


 断然、別次元の女子生徒なので、俺とは似通わないんだよなぁ、なんて思う。


「――ここで何してるー?」

「まぁ、一人で時間潰しているだけ……かな?」

「へぇ、私の書いた紙を持ちながら?そうなんだー」


 手元を見られながらいたずらっぽく言われて気付き「あ……」と言葉が出て、慌ててズボンのポッケにしまいこむ。


「ふぅーん……」

「いや、なんでもないよ?」

「ほんとかなぁー?」


 なんて言いながら、目を潜めて『怪しんでます』と言わんばかりの目線をこちらに送りつけて「えー?」と言うと、すぐさま表情を戻してニコッとしてくれる。


 そういう時の表情ほど整った容姿が相まって可愛いしズルいので、不意にドキッと心臓がダンスをしてしまった。


「あはは、冗談だよ冗談」

「まったく……」

「そんな怒んないでって!あ、そうだ一つ聞きたいことあるんだけど、いい?」

「ん?いいけど?」


 すると、そよ風に乗った碧依のサラサラとした髪が乱れて、その乱れた髪をかき上げながら発した彼女の言葉は――


の拓海君だよね?」


 と、言う。


 それは――陸上部として最後の大会でのことだった――。



           ◇



「~~男子百メートル決勝、第二組であります」

「オン・ユア・マークス」


 これから走るであろう八人の選手たちが会釈程度に頭を下げてスタブロに近寄り、各々で身体を伸ばした後、スタブロに足をかけてクラウチングスタートの体勢になると思いきや、胸のあたりに手をあててリラックスする選手もいれば、そのまま白線より内側のところで手を置いて体勢を取るなどして、静止する。


 その時の競技場には、何か音を立てれば迷惑になるほどの静けさが全体を包み込み、その中で拓海は、二レーンの走者として次の合図を待っていた。


 正直言って、負けるわけにいかない……いや、負けるはずがない!と、その時までは確信していた自分……。


 係員の一人がきちんと静止して白線より内側に手を置いているか等のチェックした後に、少し離れてバサッと旗を上げ――


「セット」


 …………


 ッパァァアアァァン……


 競技場の外にまで響き渡るような雷管の音のあと、八人の選手が飛び出すように走り始め、観客席から無数に聞こえる応援の声と風を切る音、アスファルトのような地面——タータンをスパイクが踏みつけるやわらかい音の両方が、その耳を振動させる。


 二十、三十、四十メートルと走っていき、正面・横から前を走る選手がいないのが分かり、一位は確信!とした六十メートル付近——


「(あっ!」」


 と、気づいた時にはすでに遅し。


 右の太ももにものすごい激痛が走り、痛みに堪えながらも徐々にスピードを落としてその場で倒れ込む。


 中学三年生として最後の出場となる陸上の大会で、しかも百メートル決勝という一番注目される種目で――肉離れを起こした。


 当然、観客や選手たち、職員までもが騒然としているが、その太ももを手でおさえながらなんとかゴールしようと四つん這いになってレーンを進もうとする。


 ゴールラインのほうへ振り向けば、さっきまで競争していた選手たちはとっくにゴールしていて、不安そうにこちらを見つめていた。


 痛い――悔しい――自分へのムカつき――


 いろんな感情が入れ混じって訳分からなくなりそうだが、「せめて今はゴールだけしたいっ‼」その一心でゆっくりと足を引きずりながら這いつくばるようにして進んでいると――


「肩、貸しますよ?」


 と、左腕を引っ張られるようにして自分の首の後ろに置き、立たせてくれた女子選手がいた。

 しかも、汗をポタポタと垂らしていたことさえ、気にしてないかのように……。


「……あ、はぁはぁ……すいません、ありがとうございます」

「いえいえ、お気になさらず。頑張って一緒にゴールしましょう!」

「はい……」


 その光景を観客席から見ていた選手の一人が「頑張れぇぇ」と大きな声が上がると、徐々にしてそういう声が増えてくる。


 ――最後まで諦めるなぁぁっ!

 ――もう少し、もう少しだから!

 ――ファイトォォ!


 その時間だけ、競技場にいる全員が一丸となっているような気がした。


 それから助けてくれた女子選手の肩に寄りかかりながらも、七十、八十、九十メートルと進んでゴールラインに近づき、そして、ラインを超えると一斉に拍手が舞い起こった。


「本当にありがとうございます……本当助かりました」

「気にしないでいいって言ったじゃないですか!そんなことより、よく頑張りましたね!」

「いえ、肩を貸してくれたおかげですよ、なんとお詫びしたらいいのか……」


 本気で情けなくて、ダサくて、申し訳なさすぎて……なんとしてもお詫びをしなければならない、そう思っていた――なのだが


「いえ、大丈夫です。あなたとはまた会いそうな気がしますし、これは一つの『仮』ということにしときますね」


 と、満面な笑みでそう言う女子選手の服には、拓海の汗が染みこんで色が濃くなっていた。


 それからまもなく、顧問の先生が来たので色々と事情やけがの具合などを説明をしてたら、さっきまで近くにいたはずの例の子が見当たらないので、探してみると――


 帰ろうとしている女子選手がこちらを向いて、べーと舌を出して微笑んでいた。


 一生あの子には感謝し続ければならない――そう思ったきっかけの大会。



           ◇



「え?んじゃあ、あの時に肩を貸してくれたのって……?」

「それ、私だよ」


えへへ、と笑う碧依の表情は、少し照れ臭そうにしていた。

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