02 ぶぁけーしょん

 帰省二日目、十時過ぎ。

「おはよ」

 高架下で畳んだパラソルを持ったはるかが、肘を曲げて手を振っていた。

「ございます」

 それに応えるように、あらたは軽く手を上げた。


 顔を合わせて数秒。彼女のコーディネートを目にし、新はひどく目を見張ってしまった。なにせ昨日までの個性的なファッションとはまるで異なり、肩が隠れたフレンチスリーブ、ロングスカート、オープントウのサンダル――全体はペールトーンで整っており、黒のマスクも外して素顔を晒していたのだから。

 それこそ都内を歩いているウィメンと遜色ない様相で、『量産型』とか『地雷系』とか呼ばれている人種とはまったく別人になっていた。

 髪色と、ピアスの数だけは変わっていなかったが。

「どう? 年相応の恰好よ」

「昨日とのギャップに驚いたけど、素敵だと思います」

「ありがと。気に入ってくれて嬉しい」

 気に入ったというよりも、昨日の服装がだっただけであるが。

「さ、行きましょ」

 彼女の声は瞬く間に全身へと浸透し、乾ききった心を潤すとともに、苦手な夏空の下を歩く原動力になった。

 けれど案の定、田舎町を探索する新を待っていたのは、十年以上も変わらない大自然で、【都会人が抱く理想】と『片田舎の現実』を如実に感じるばかりだった。


【石段を上がった先にあるのは、可愛い巫女が居る幻想的な神社】

『荒廃しきった、誰も居ない神社。もれなく虫の大群』


【塀の上を歩く、かわいいノラネコちゃんの写真を撮っちゃった】

『目ヤニがついた顔で睨みつけてくるドラネコ。近づくと逃げる』


【蛙が『ケロケロ♪』と鳴く、情緒あふれる畦道あぜみち

『ガッゲッゲロゲロゲロガガッガゲゲッ――! という蛙の騒音まみれの狭い道』


【涼やかな夏の風】

『生暖かい変なニオイ』


 要するに、フィクションに対するリアリティの落差である。

 アニメやドラマのせいで美化された田舎の風景は、いつ見ても悲哀しかない。声の大きい都会人がほざいている憧憬しょうけいは、しょせん脳内にしか存在しない幻想なのだ。

 なにも新しい発見がないまま午後に差しかかると、ランチがてら東側の繁華街へと足を運び、レストランに入った。

「なにか思い出せた?」

 席につくなり、遥がストレートに尋ねてきたので、

「田舎が嫌いだったことくらいしか思い出せないです」

 倣うように、新も忌憚きたんのない返答をした。

「ふふっ、都会のほうが住みやすいよね」

 ふたりの会話には、徐々に笑みが増えてきた。

 記憶を取り戻すなんてていの良いことを言っているが、実際にやっているのは、ありふれたデートである。ただ駄弁って、あちこち歩いて、過去の話にほとんど触れないまま、夕日がビルの輪郭を黒くしていった。

「――ふぅ、子供の頃みたいで楽しかった。あのね……」

 茜に染まった遥はわずかにうつむいて語尾を濁すと、

「また、あすも会お?」

 すぐに顔を上げ、次の約束を取りつけてきた。

 新は素直に嬉しかったのに、なぜだか返答を躊躇していた。彼女が口にするグイグイ系の誘いは、恋慕や親密を度外視し、夏真っ盛りボーイが口にする、

『またあしたもあそぼーぜ!』

 という口約と同等に思え、その心の中がよく見えなかったからだ。

「喜んで。俺はヒマですから」

 けれど、口にした答えは単純だった。

 遥のことは思い出せないが、それで良いのかもしれない。今こうして構築されている記憶こそ、過去があろうがなかろうが大事な思い出になっているのだから。新は遅れてやってきた青春を噛みしめるように、遥に対して感謝を覚え始めていた。


 帰省三日目。

「東京に住んでたら車なんて使わないんじゃない?」

「都心から地味に外れてるんで、まあまあ使いますよ」

 愛車の助手席に他人を乗せるのは初めてだった。ハンドルを握る新の横に座っているのは、ランチボックスを携えた遥である。

 いわく、「おべんと作ってきた」だそうだ。

 もはや記憶調査の『き』の字すら感じられない本日の目的地は、山を越えた先にある有名な渓谷だ。観光地としても名が知られているが、オンシーズンを外しているので人気ひとけは少なかった。

 無料駐車場に車を停めたあと、手頃な清流のほとりに下りてゆくと、新は年老いたサラリーマンのように「よっこいせ」と声を上げ、大きめの岩に腰を下ろした。すぐ近くには、小さな滝が見える。

 遥はサンダルを脱いだ素足を川に浸し、ロングスカートの裾が濡れないように、両脇を少しつまみながら、静かに――それでもどこか無邪気に微笑を浮べている。

「気をつけてくださいね」

「問題ナシ。それよりトヨダくん、いつまで居るの?」

 新が自然音に負けないように、やや大きな声で注意を促すと、遥から不意に質問が投げられた。清涼を全身で感じながらも、気持ちが現実に引き戻される。

明々後日しあさっての朝に帰ります」

 楽しい時間があっという間に過ぎてゆくのは、子供も大人も同じなのだろう。

「わたしたちの夏休みはもうすぐ終わりか」

 そのうち、水と戯れていた遥はぴたりと足を止め、

「ねえ、川の水ってどこから来ると思う?」

 その流れに目を落とした。

「空じゃないですかね」

 新は彼女の雰囲気に呑まれながら真面目に答えると、

「じゃあ滝の水は?」

 遥はくすっと頬を緩めて、ほぼ同じ質問を重ねてきた。

「それも空だと思います」

「……名前は違っても同じモノなのね」

 彼女がぼそっとつぶやいた言葉は、水にかき消されるほどの音量で、新の耳には届かなかった。聞き直そうとしたが行動には移さず、なぜだか気まずくなって、ふたりは目線を大自然に移してしまった。

「――ねえ、少し早いけどお弁当食べましょ」と、話を切り替えた十一時過ぎ。遥は足も拭かずに、一足のサンダルを片手に提げてほとりを歩き、新の隣に座ると、両足を伸ばしてランチボックスを開けた。

「駐車場の近くにイートインスペースありましたけど」

「ここで良いわ。それよりわたしの手、絆創膏ばんそうこうだらけのほうが良かった?」

 ほどなく遥は自分の指をまじまじと見つめ、独特な照れ隠しを発する。

「そんな鉄分満点のお弁当は勘弁してください」

「残念ながら料理は得意なの」

 遥の感性に心が惹かれてゆく。

 胸奥きょうおうおぼろげなモヤモヤによって食事が喉を通りにくかったが、それは決して不快ではなく、弁当を平らげながら新は気づき始めていた。

 ――この女性に対する気持ち。

 思い出せようが、思い出せまいが、もう本懐は別のところにあるのだと。

「ごちそうさま」

「おそまつさま」


 帰りの国道。様々なテールランプが、数キロ先まで続いている。

で帰れば良かったな」

「ううん、問題ない。わたしはキミと話せる時間が増えて嬉しい」

 そう言っている割に、シートに上体を預けた遥のまぶたは閉じかけ、舟を漕いでいた。新は「寝てて良いですよ」と気遣ったが、遥は「やだ、話すの」とかたくなに目を開こうとする。

 ほどなく、「あの……」と一拍置いた新。

「実は俺、もう思い出せなくても良いかなって思ってるんです」

「どうして?」

「こうして新しい思い出が作られてるから」

 本音をつぶやいてから、ブレーキを踏む足に不思議と力が入っていった。

「そっか、ふふっ。あのね、わたし疲れすぎて家に帰れない。きっと運転してくれてるトヨダくんはもっと疲れてるから、きっと事故を起こすわね。うん、絶対そう」

「人生で二度も事故なんて起こしたくないっす」

「それじゃあ休んでいきましょ?」

 遥はにんまりと頬を緩めて、閉じかけていたまぶたを開くと、スマートフォンを操作し、ダッシュボードのホルダーにセットした。画面いっぱいに開かれた地図アプリが、新たな目的地へ誘おうとしている。

「つまりってことですか?」

宿よ。名前は違っても同じモノね」

 新はそれ以上なにも聞かず、なにも否定せず、なにも拒まず――

 ふたりが乗った車は国道から横道に外れ、場末のホテル街にゆっくりとフェードアウトしていった。

 これからが本当の【Vacationぶぁけーしょん】である。

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