剣聖の弟子、騎士学院で無双する~東洋の剣技を修めた刀使いは学院の序列を駆け上がる~

夜見真音

第1話 未だ刀は抜かれない

 大陸の南部に位置する田舎村でシロウ・ムラクモは妹と共に暮らしていた。

 幼くして両親を亡くしたシロウは、妹のユズリハを守るために剣技を習い始めた。村には東洋剣術の一派である桜花一刀流を教える道場があり、厳しい師範代のもとにシロウは剣の修業に明け暮れた。


 生きることは戦いだ。苦難や逆境を打ち破れるのは、いつだって自分の力だけである。


 だからこそシロウは強くあらねばならなかった。

 大切な妹を守るために。いつか彼女に苦難や逆境が立ちはだかった時に身を挺して刀を抜けるように。


「いてぇ……ちくしょう、あのジジイ……竹刀で思いっきり叩きやがって」

「大丈夫ですか、兄さん。打たれたところを見せてください」


 家の前でうずくまっていたところをユズリハに見つかり、シロウは介抱される。竹刀で強く打ち抜かれた左腕は赤く腫れていた。ユズリハは慣れた手つきで兄の腕に包帯を巻き、優しく包帯部分を撫でる。


「兄さんは頑張りすぎです。毎日のように師範代に挑んで傷を増やして……少しは休んだって良いんですよ」

「休んでいる暇なんてないさ。俺は強くならないといけないんだ」

「それは、どうしてですか?」

「お前には言えない」


 シロウは気恥ずかしくなり、心配げに見つめてくるユズリハから視線を逸らした。大切な妹に危険が迫った時に庇えるように、など本人に面と向かって言うのは恥ずかしい。


 そもそもユズリハが庇ってほしいと言ったことは一度もないのだ。

 自分が勝手に決意したことを押し付けがましく口にしたくない。

 だから声にして伝えることはせず、いつか行動で示せるようになろうとシロウは心に決めていた。


 ユズリハは形の良い眉を下げ、どこか悲しそうに俯いた。

 日々を修練に費やし生傷の絶えない兄を心配に思っているのだろうか。

 シロウはユズリハの艶やかな濡羽色の髪を撫でた。


「心配しなくても大丈夫だ。俺だって自分の限界ぐらい知ってる。本当に疲れ果てた時は、ちゃんと休むよ」

「絶対ですよ? 無茶はしないでくださいね」

「ああ、約束する」


 妹を悲しませたくないシロウは、安心させるためにユズリハと約束の指切りを交わした。


 時が経ち、シロウは十四歳になった。

 その日は桜花一刀流の初伝を師範代に伝授されるはずだった。

 しかしシロウが道場に至る道を歩いていた時、それは突如として現れた。


 村人たちの悲鳴が聴こえたかと思えば、目の前に黒い巨大な魔獣が飛び込んできた。四足の獣の胴体は筋肉が隆起しており、犬のような頭が二つある。見たこともない魔獣は双頭の顎門に人を咥えていた。見知った村人の身体を容易に噛み砕いた魔獣が、赤い瞳でシロウを睥睨する。


「なんだ、こいつ……」


 未知の魔獣に恐怖を覚え、背筋が凍る。

 全身が震えて上手く呼吸ができない。魔獣は矮小な獲物を飲み込むために鋭い牙の生え揃った大口を開けた。


「兄さん!」


 凛とした少女の声が聴こえた。咄嗟に振り返ると、必死な形相で走ってくるユズリハの姿が見えた。ユズリハは足元の小石を拾い上げると、魔獣に向けて投げつける。


「兄さんの前から消えてください!」


 彼女だって怖いはずなのに、気丈にも小石を投げ続ける姿を見てシロウは自分の左腕を殴りつけて震えを抑える。怖気づいている場合ではない。今こそ妹を守る時だ。


 シロウは刀を鞘から抜こうとした。

 しかし手元が刀の柄に触れる前に、魔獣の前足で薙ぎ払われる。


「か、はッ!」

「兄さん!」


 巨体の強力な一撃に吹き飛び身体を地面に打ち付けたシロウは、駆け寄ってくるユズリハを手で制する。


「来るな、逃げろ!」

「兄さんを置いて逃げるなんて嫌です!」


 涙目で強く見返すユズリハは、傷を負った兄を肩で背負い上げる。

 小柄な身体に力を入れ、懸命に自分を逃がそうとしてくれる妹。

 魔獣の意識は救援に駆けつけた自警団に向いている。


 シロウは情けなさと申し訳なさで歯噛みした。

 本当は俺がお前を守らなければならないのに……守るどころか妹に助けられている始末だ。鍛えた剣技も見せられず、ただ妹の肩を借りているだけの情けない自分を殴りつけたかった。


「兄さん、大丈夫ですから」

「ユズリハ……」

「きっと大丈夫です。自警団の人たちが怪物を倒してくれます」


 希望を絶やさないように何度も大丈夫と声にするユズリハ。

 これ以上は彼女の負担になりたくない。村の入口を抜けた先の小道でシロウはユズリハの肩から抜け出して己の足で地面を踏みしめた。


「音が止んだ。魔獣が倒されたのか?」


 シロウは村のほうに振り返った。

 その瞬間、数多の突風がシロウたちの周囲を斬り裂いた。

 まるで刃の如き鋭さを有した風は周囲の草花を細切れに刈り取る。


 樹の幹すら抉り取る強烈な風に襲われて尻もちをついたシロウの目に、何か細長いものが飛散するのが見えた。


「あ――」


 目の前に落ちて転がったものがユズリハの腕だということに気がつくまで、しばらくの時間がかかった。


 横を向けば、右肩から先を喪失したユズリハが倒れていた。

 

「ユズリハ!」

「ああ、ぐう……っ!」


 肩口の切断面から血を噴出させたユズリハは苦痛で身体を震わせている。いつも微笑を湛えていた綺麗な顔が痛みで歪んでいる様を見たシロウは、ユズリハを抱き起こそうとした。


「ユズリハ、立つんだ!」

「兄さん……ダメ……」


 ユズリハの視線は村のほうから悠然と歩いてくる魔獣に向けられる。

 あの魔獣が風を巻き起こしたに違いない。そしてユズリハの右腕を斬り飛ばしたのだ。大切な妹を傷つけられて怒りでどうにかなりそうだった。


「兄さん……逃げて」

「逃げられるわけないだろう! あいつはお前の腕を――」

「一生のお願いです」

「っ!」


 静謐な瞳と声音にシロウは二の句を継げなくなる。

 片腕を失い絶体絶命の窮地にあってもなお、妹は希望を失ってはいなかった。慈愛に満ちた優しい微笑を浮かべながら、ユズリハは小さな手で兄の頬を撫でた。


「私のためを想うなら、逃げてください」

「ダメだ。それだけはダメなんだ。いいかユズリハ、俺はお前を――」

「私は、兄さんの重荷になりたくない……」


 魔獣はもう目の前まで近づいている。

 奴が走れば振り切れない。二人まとめて噛み砕かれてしまう光景が脳裏に浮かび上がる。


「大丈夫です、兄さん」

「ユズリハ……」

「きっと大丈夫。どんな時でも私は兄さんと一緒です」


 さあ、早く――そう呟いて微笑むユズリハにシロウは頷いた。

 横たわる妹に背中を向けて走る。

 がむしゃらに走って走って走って……涙が止まらなかった。


 あれだけ振ってきた刀を、いざという瞬間に抜けなかったこと。世界で一番大切な妹を置き去りにして逃げ出したこと。悔しくて悔しくて、気が狂いそうなほどに自分が恨めしい。


「クソ……クソぉ……!」


 すまない、すまないと何度も妹に懺悔しながら走る。

 あてもなく走り続けて足が限界になった。もう一歩も進めないほどに気力を使い果たした身体が前に倒れる。


 いつしか雨が降り始めており、地面に伏した惨めな男を濡らしていた。

 

「あなた、大丈夫ですか?」


 声が聴こえた。静かな女性の声だった。

 シロウが顔を上げれば、妹と同じ濡羽色の髪を雨で濡らす女性が立っている。くびれた腰のベルトに差された刀が、いやに目についた。


「随分と消耗しているようですね。この先で何かあったのですか?」

「俺、は――」


 縋り付くようにシロウは無念を吐き出す。


「妹を守れなくて……大切だったのに……ずっと一緒にいるって、そう想ってたのに」

「そうですか」


 女性は無表情のまま、シロウが腰に差していた刀の鞘に指を添える。


「刀を抜けなかったのですね」


 静かな声にシロウは頷いた。

 女性の指が優しく頬を撫でる。妹がしてくれたように、慈愛に満ちた手つきだった。


「私と共に行きましょう。いつしか、あなたの胸に巣食う無念を晴らすために」


 そうしてシロウ・ムラクモはリンカ・キリサメの手を取った。

 彼女が東洋剣術の三大流派、霧雨一刀流の皆伝に至った剣聖であることをシロウが知るのは、もう少し先の話である。

 

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