第7話


「来ると思ったよその質問! 君のあのッ、忌々しい妄言の所為でッ!」


 彼女は再び、凄まじい勢いで頭を抱えて蹲る。


「部長の指摘を受けて気付きました」


 また眼鏡がずれる程の速度で上体を上げる彼女。


「マジかよ!? 絶対この質問に繋げる為の意地悪い設定だと思ってたのに……!」


「俺とチェスやってる時みたいに先読みし過ぎましたね」


「喧しいぞ! ああそうだよ! 先周りしないと君の攻撃を往なし切れないだろうが! あーあそうだよその所為で今日は読みが空回って、この私が君に負けたんだよッ! 全く単調なんだか嫌らしいんだか、ハッキリしてくれないかい!?」


 すっかり忘れているだろうしそろそろ告げる。


「騒ぐと先生に見つかります」


 彼女は怒りの余り目を見開いたと思いきや、気まずそうにしゅんとした。


「す……すみません……」


 チョロ過ぎる。


「いやつい謝ったけれど、君こそ早く終わらせてくれよ。いつまで続くんだこれ」


「部長のノリがいいので長引いてます」


 散々イジられているとまだ気付いていない彼女は、今度は呆れ果てた顔で俺を見た。


「あのなあ。拒否権が無いんだからそうなるだろ。帰っていいとも言われてないんだし、言う事を何でも聞くって事は、言われてない事は何もするなって事だろ?」


 ……まるで慣れているような口振りが引っ掛かって、尋ねた。


「先輩って、普段からそういう賭けをしてるんですか?」


「だから先輩じゃなくて、今は部長。まあたまーに」


「誰とですか?」


 彼女はあっさり答えたと思いきや、少し面倒そうな顔になる。


「誰って。クラスメイトとか、選択授業が一緒の奴とか、その時々だよ。別に男子ともするし」


「は?」


 彼女にとっては些事なのか、至極面倒そうに睨まれた。


「何だよただれた事なんてしてないよ。ジュース奢るとか、肩揉んで貰うだけ。余り言った事無いけれど毎日君とチェスばっかりだから、首や背中まで結構凝ってるんだよ」


「金輪際しないで下さい」


「は? まあ次に登校するのは卒業式だから、そんな事してる時間無いけれど……。……何怒ってるんだ君?」


「危なっかしいですよ」


 ピンと来ていない彼女は、不思議そうに凝視して来る。


「はあ……。ああそう。覚えとくよ。あーもうハイハイ。睨むなよ。君が言って欲しいんだろう言葉の通りに、私は男らしい奴が好みだよ。だからさっき君を褒める時、ちゃんとそれに即した言葉を用いたじゃないか。うん? 偽り無く私とは、君が好きなんだしさ」


 俺の視線を払うように面倒そうに手を振りながら、余裕綽々に湛えた笑みを向けられ息を呑んだ。黙らせるような蠱惑的なその笑顔に、言葉が出なくなる。

 

 彼女は俺のその様に満足したのか、歯を覗かせてサディスティックに微笑んだ。


「……ふふん。だろ? 今の君こそうるさいんだから、そうやって黙って照れてろよ」


 ……上手く躱されてしまった。


 悔しさを誤魔化そうと、質問を投げる。


「そんなに肩凝りに悩んでるなんて知りませんでした」


 途端に妖しい雰囲気が霧消した彼女は、後輩にも見えそうな程幼い顔になって不満を爆発させた。


「いーいよなあ。君だって毎日私と何時間も対戦して肩バッキバキなのに、肩揉み上手な知り合いがいるお陰で長引かなくて。妬ましいよ。そいつにやり方習って私も揉んでくれよ下手なんだから」


 彼女は言いながら、だらりとテーブルに伏す。


 一旦顔にかかった髪を払ってから脱力し、垂れ下がった腕をぷらぷら揺らしながら恨みがましく俺を見上げた。


「分かるかこの苦しみ。ほら触ってみろこの石のような首、肩、背中、腰……。あァー意識すると本ッ当に辛い……」


 彼女は言いながらそれは自然な動きで俺の手首を掴むと、なんとそのまま挙げたばかりの自身のパーツに這わせようとした。


 当然のように白くて細いうなじを指が滑った感覚が走った瞬間、咄嗟に力んで首の付け根辺りで停止させる。


「いや、そこは骨だから硬くて当たり前」


 俺がそこで止めたのは、頚椎と血行不良によって固まった筋肉を勘違いしたと思ったらしい彼女は、どこまでもズレた能天気さを披露した。長時間の試合の後で疲れて来たのか、眠そうに言葉を継ぐ。


「そんな硬度で凝ってたら最早壊死だし、っくに頭痛で倒れてる……」


 平静を装わなければ。向こうは無意識なんだから動揺を見せるとキモがられる。理不尽過ぎないか。いや今は取り合えず、当たり障りの無い事を喋ろう。


「……痩せ過ぎですよ」


 実際に感じた事だしセクハラには当たらない言葉の筈だ。セクハラという点では今し方の彼女の方が余程危ない橋を無自覚に渡っている。あとこんな所で寝て欲しくない。面倒を見るのが面倒だ。面倒を見るのが面倒って日本語的にどうなんだ俺。


 彼女は俺の言葉に頼るように意識を保とうとしているが、もう明らかに眠そうに答えた。


「そうかなあ……。ん……? そういう言葉が出るって事は君……。最近私と同年代で、標準体重の女性に触れたって事かい? 君に姉妹はいないし、余り古い記憶だと当てにならないだろ?」


 話している内に浮かんだ疑問に覚醒した彼女は身を起こす。


 嫌な予感がする俺は冷や汗が滲む。


 漸く俺の手を離した彼女は乱れた髪を両手で整えると、喋れなくなった俺を睥睨した。


「……何だよその顔。おい、人に散々注意しておいて、君こそ爛れてるんじゃないのか。どういう意味の沈黙だそれは説明しろ。君を次期部長に推薦した、私の面目にも大いに関わる」


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