第2話


 彼女は全くピンと来ていないのか、ピンと来ていないのに二つ返事で了承するのは別にいいのか、兎に角間の抜けた顔になる。


「いつの話だ?」


「入部して部長に十連敗した時に、部長から切り出しました」


 彼女の気の抜けた顔は止まらない。


「はあ……。今まで君を負かした総計ぐらい覚えてない」


 俺はその言葉に胸を刺される。


 途端に彼女は嫌そうな顔になる。


「……その顔はやめてくれよ。胸が痛む。何で事実を言っただけで責められなきゃならないんだ。……いや駄目だ。お腹が空いて上手く思い出せない。後日にしないか? 何か食べないと頭が動かない」


「駄目です」


「いや何でだよ」


「鞄に入ってる菓子パンあげますから」


 彼女は不満そうに黙るが、すぐに口を開く。


「……まあ、それならいいけれど……」


「ふっ」


 単純過ぎてつい笑ってしまった。


 彼女は案の定噛み付いて来る。


「おい何で笑ったんだ今。馬鹿にしただろう。お腹が空くのは生物として当然の……」


「どうぞ」


 彼女の手を離すと足元に置いていた鞄から、パンを取り出して渡した。


 彼女は受け取るなり顔を顰める。


「……何やこのけったいなん……」


 嫌悪感の余り低音になり過ぎてイケボになった声で吐き捨てられた。常にその調子で喋る配信者になれば、男女問わずファンを抱える事間違い無しの。そして試合中のポーカーフェイスからは信じられない、超嫌そうな顔をしている。


 彼女は今更無駄だと気付かないのか、それとも普段はどれだけ表情豊かなのか自覚していないのか、幾分かその表情を抑えると俺を見た。


「君、何だいこのお好み焼きパンって。惣菜パンじゃないか。話が違うし見るだけで不快な味だろう。パンとお好み焼き両方に対する侮辱だこいつは。別々に食べた方が絶対に美味い」


 そんなに気に入らないなら食べないかと、回収しようと手を差し伸べる。


 だが彼女はお好み焼きパンを両手で胸に抱えると、俺から庇うように身を捻じった。


「嫌だ返さない。やると言ったのは君だし、これしか無いなら仕方無いだろう。私はお腹が空いたんだ」


 子供っぽいと言ったら怒るだろうから黙っておく。


 彼女は早速封を切ると、お好み焼きパンを齧った。女子としても一口が小さい。ほんの数回咀嚼すると、虫でも食べさせられたような顔になって停止する。


「……マッズほんま……」


 忙しい人である。


 かと思えば、目が覚めたような顔になる。


「……ああ頭は回って来たぞ。十連敗という事は、去年の春か。君には毎日挑戦されていたし、きっとまだ四月中の事だな……。……あー、そう言えばあったなあそんな事。コテンパンにされ続けてるのに全く懲りないのが面白くて、いつまで続くんだろうと賞品をチラつかせてみたんだよ。ああそうだったそうだった。思い出した。ふふ。だって君、面白いぐらい目の色を変えたから。そうあからさまに拗ねるなよ。それよりこのマッズいパン一旦脇に置いていいか……。一口齧っただけで性に合わない味だ。鞄に入れてるお茶を飲むから、待ってくれ」


 彼女は難しい顔をしたり笑ったり、最後は青い顔になると、足元に置いていた鞄から直飲みタイプの水筒を取り出した。ペットボトルで紅茶でも飲んでいそうな彼女のイメージとは裏腹なデザインのその水筒を、これまた意外に景気よく呷る。剥き出しになった彼女の白い喉が、セーラー服の紺と黒髪に際立つ。


 彼女はさっぱりしたのか、水筒をしまうと爽やかに告げた。


「うん。準備万端だ。さて、君のお願いを言ってくれ。約束は守るよ。私に出来る事なら、何でも叶えるさ。顧問がいつ来てもおかしくない部室なんだし、君が度を越した事を言わない奴だとは分かってるしね。それに私は、君の先輩かつ部長だ」


「…………」


 信用されているのは嬉しいが、相手がいつもその通りに動いてくれるとは限らないとは考えないのだろうか。盤上での読み合いのように。


 じっと視線を投げる俺に、彼女は少し不安げに目を丸くする。


「何で黙るんだよ? え?」



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