第23話:着実

 優子の理想は徐々に現実されていた。

 これまでは余り守られていなかった、冠婚葬祭時に座頭に寄付する行為が厳格に守られるようになった。


 これにはお伊勢様の外宮と内宮が、行事ごとにまとまった金を寄付して率先垂範した事が大きかった。


 外宮と内宮が公式に行っている事を、神職の御師が無視できないのは当然だが、それ以上にお伊勢様の寵愛を受けている優子の考えを無視できなかった。


 それに、まったく今まで通りというわけでもない。

 これまでは当道座所属の盲人だけが寄付を受けていたが、檜垣屋が支配下に置く体の不自由な者全てに公平に分配されるようになった。


 これまでも当道座で高位を得るような者は、金貸しや歌舞音曲で多くの収入があり、妻を迎える事ができた。

 だがそのような才がない者は、とても妻を迎える事ができなかった。


 だが優子が公平な仕組みを作った事と、門前での稼ぎや座敷の稼ぎを格段に増やした事で、多くの者が所帯を持てるようになった。


 後の話にはなるが、男性盲人の座頭だけでなく、女性盲人の瞽女も、その気なら所帯を持てるようになった。


 髪結いの亭主ではないが、芸が達者で収入の多い瞽女の中には、若い亭主を養う者まで現れるのだ。


 だがそのような者は少数派で、多くの者は身体に不自由を持つ者同士が所帯を持ち、助け合って生きていく事が多かった。


 だがこれらは後々の話で、今は地固めの時だった。

 始まったばかりの、体の不自由な者達のための新たな座に対する寄付や興行、勧進を確実な権利として定着させなければいけない。


 恥をかかされたと逆恨みしている京の職屋敷はもちろん、金のなる木となったお伊勢様での勧進や興行を狙う、江戸の惣録屋敷や穢多弾左衛門に対抗しなければいけなかったのだ。


「優子さん、どうか私の宿にもあいさんを派遣してください。

 あいさんが来てくれない宿は、お伊勢様から忌み嫌われているという噂が広まってしまっていて、御師を変える檀家衆が増えているのです」


「その通りではありませんか。

 間違った事など1つもないではありませんか」


「なっ、何を言っているんだい!

 お伊勢様の寵愛を受けているといっても、言っていい事と悪い事があるぞ!」


「あら、私を脅かすんですか?

 それは命知らずですね。

 私が貴男の立場なら、そんな言葉、恐ろしくてとても口にできませんよ」


「思い上がりやがって、小娘の分際で!」


「だったらそんな小娘を脅かしていないで、自分で何とかすればいいのですよ。

 本当に心からお伊勢様を信心しているのなら、私の事など頼らなくても、檀家衆が離れたりしませんよ」


「糞、だったらはっきりと言わせてもらおう!

 家の檀家を引き抜くのは止めてもらおうか!

 これ以上家の檀家を引き抜くようなら、こちらにも覚悟があるからな!」


「覚悟など、とうの昔にしています。

 今更あなたに脅かされた程度で変わるような軽い覚悟ではありません。

 どうぞご自身の信心で檀家衆を確保してください」


「この小娘が!」


 形だけ頭を下げて檀家を取り戻そうとしていた、内宮世襲禰宜家、世木一族の御師宿亭主が優子に掴みかかろうとしたが、そんな事ができるはずがなかった。


 優子の周りには式神達が飛びまわっているのだ。

 自分達以外は誰もいない部屋で、優子を脅すか口の利けない体にして、好き勝手しようとしていた亭主はその報いを受けた。


 亭主は目には見えない鬼神の手にがっちりと頭を掴まれ、頭蓋骨が握り潰されるかと思うほどの激痛を味合わされていた。


 座敷から廊下に引きずり出され、鼻の骨はもちろん前歯が砕けるほどの勢いで、廊下の下にある沓脱石に顔面を叩きつけられた。


「お嬢様、何事でございますか?!」


 血相を変えた筆頭番頭の角兵衛が騒ぎを聞きつけてやってきた。


「この男が私を襲おうとしたのだけれど、お伊勢様の神使が護ってくださったわ」


「ですから私が2人きりで会ってはいけないと申し上げたのです」


「でも、2人きりで会ったから、この男の本性が分かったのよ。

 こいつを強姦未遂で奉行所に突き出してちょうだい」


「そんな事をして、お嬢様に変な噂が流れたりするのではありませんか?」


「どのような噂が流れようと、気にする私ではないわ」


「ですが、お嬢様の婿取りに悪い影響があるかもしれません」


「噂程度に惑わされるような者を婿にする気はないわ。

 私の婿に成れるほどの男がいなければ、檜垣屋を背負って立てるような男を養子に向かえればいいだけの話よ」


「そんな、お嬢様の子を残さないなんてありえません」


「そんな心配は、私が行き遅れと言われる歳になってからにしてちょうだい。

 まだ私は15でしかないのよ」


「そうでした、ついお嬢様の歳を忘れてしまっていました」


「分かってくれたのなら、奉行所に突き出してちょうだい。

 もう二度とこのような愚かな事をする者がでないように、隠す事なくきっちりと罪に問うた方がいいのよ」


「……分かりました。

 お嬢様がそこまで言われるのでしたら、厳罰に処せられるように、お奉行様と話を付けて参ります」


「頼んだわよ、角兵衛さん」


 お伊勢様のお膝元で、お伊勢様の寵愛を受けている優子を襲うなど、愚かとしか言いようのない行いだった。


 依田奉行は厳格な性格で、罪を重くするような事はしないが、同時にどれほど金を積まれても罪を軽くする事もなかった。


 江戸時代強姦罪は重追放か手鎖が御定法だったが、尊属や師匠への傷害は重いとされ、死罪が適用されていた。


 今回凶行に及んだ御師宿の亭主は、平師職の御師に過ぎない。

 だが優子は、新たな仕組みを作って両非人頭や座頭座や瞽女座を支配した事で、外宮地下権禰宜を拝命していたのだ。


 従五位の官職まで頂くとなれば、朝廷との関係もあってややこしいが、外宮の世襲禰宜全員が認めた事で、無位ではあるが地下権禰宜となっていた。


 つまり尊属に対する殺人未遂事件と言う事だ。

 当然凶行に及んだ亭主は死罪となり、付加刑として闕所処分となった。

 競売にかけられた御師宿は檜垣屋が最低価格で手に入れた。


 問題は一族から優子を襲う者を出した内宮の世木禰宜だった。

 家から内宮に行こうとした世木禰宜は、神鶏に襲われて半死半生で神域から逃げ出す羽目になってしまった。


 それどころか、世木の一族は誰1人神域に入る事ができなくなり、神職どころか御師の役目もできなくなってしまった。


 他の御師宿の神職が檀家衆をお伊勢様に案内する中で、世木の一族だけが案内する事ができず、面目が丸潰れとなってしまった。

 この状態で檀家衆を引き留め、伊勢講を維持する事など不可能だった。

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