第13話:恐怖

 優子の行いが朝廷と幕府を動かした事に、内宮も外宮も恐れおののいていた。

 特に内宮禰宜の家族は、何時奉行所の役人が捕らえに来るかと恐怖していた。

 夜も眠れないほど戦々恐々とした日々を送っていた。


 優子は幕府が別格の扱いをしたきっかけになった相手だ。

 幕府が極力避けていた連座縁座を適用させたのだ。

 その優子を殺そうといた者の家族となれば……


「母上、ここは父上の罪を奉行所に訴え出るべきでございます」


「何を馬鹿な事を言っているのですか?!

 そのような事をすれば藤波家は破滅してしまいます!」


「いえ、親よりも主を、お伊勢様と幕府に忠誠を尽くしたと言う事で、特別な温情をかけていただけるかもしれません」


「お前は父親を売って自分の身の安泰を図ると言うのですか!

 恥を知りなさい、恥を!」


「恥を知るのは父上です!

 内宮の禰宜ともあろう者が、同じお伊勢様にお仕えする外宮の御師に刺客を送るなど、神を畏れぬ恥知らずな行為です!」


「お前は何を言っているのです!

 父上が刺客を放つはずがありません!

 全ては優子と言う恥知らずな淫売の大嘘です!」


「……母上も父上と同じ、恥知らずな大馬鹿なのですね。

 このままでは藤波家が滅ぶ現実も見えていない。

 ならばしかたありません、母上も父上と一緒に処刑されればいい」


「両親を幕府に売ると言うのですか?

 この親不孝者が!」


「親不孝など些細な事です。

 父上と母上の愚かさで藤波家を滅ぼすわけにはいきません!

 藤波家累代の御先祖様に申し訳が立ちません!」


「何と情けない、自分一人の力で大きくなったとでも思っているのですか?!」


「母上こそ他所から嫁入りした身でこれ以上藤波家の事に口を出さないでください!

 私には藤波家の長男に生まれた者の責任があるのです!

 おめおめと藤波家を潰すわけにはいかないのです!」


「やらせません、絶対にそのような事はやらせません!」


「そこまで申されるのなら、私はこの家を出ます。

 逆縁を切る事になりますが、貴方達のような愚か者に連座させられるのは真っ平御免です」


 藤波禰宜の息子はそう言って家を飛び出した。

 そのまま伊勢山田奉行所に駆けこもうとした。

 

 だがそうはさせまいと母親が追いかけてきた。

 半錯乱状態で、台所にあった包丁を振り回して追いかけてきた。


 現役の禰宜である父親は血を吐いたまま床に臥せっている。

 本来なら禰宜を世襲する家から後継者が立つのだが、神域に入った途端神鶏に追い回されるので、仕方なく権禰宜が禰宜を代行している状況なのだ。


 そのような状況だからこそ、世襲禰宜家の後継者候補は焦っていたのだ。

 その禰宜の息子を母親が包丁を振りまわして追いかけている。

 痛いほど現実を知っている息子にすれば、腹立たしい限りであった。


「殺してやる、お前のような親不孝者は殺してやる!」


「おめおめと殺されると思うな!」


 ★★★★★★


「お奉行、いかがいたしましょうか?」


「愚か者どもが!

 やっと愚かな商人の処分が終わったと思ったら、今度は禰宜か?!」


「しかしながら、いずれは白黒つけなければいけなかった事です」


「それくらい分かっておるわ!

 だが、ここまで表沙汰にならなければ、檜垣屋の優子と話し合って、もう少し穏便に済ませられたのだ」


「それは、確かに、その通りではありますが……」


「それで、母子の言い分はどうなっているのだ?」


「母親は錯乱していて、とてもまともな会話ができません」


「全く分からないのか?

 裁く上で参考にできる事は何も口にしていないのか?」


「おおよその所は、親不孝な息子を殺すと言っております。

 所々ですが、親を奉行所に売るような息子は許せないと言っております」


「それは、息子がここに訴えようとしていたという事か?」


「はい、それは息子の証言で間違いありません」


「息子は父親が優子に刺客を送った事を認めているのだな?」


「はい、同じお伊勢様に仕える者として、神職に刺客を送るなど、父親であろうと許されぬ事だと申しております」


「息子の訴えだけで、藤波禰宜を死罪にはできない」


「はい、公事方御定書に従えば、実際に襲われてもおりませんから、目上の者でもない限り、軽追放が妥当かと思われます」


「ふむ、軽追放となれば、伊勢と江戸十里四方、京と大坂、東海道筋と日光、日光街道から追放される事になるな」


「はい、しかも禰宜は神職です。

 晒し者にして神職を剥奪する、追院とする事もできます」


「軽追放なら闕所や身代限りにもできるが、今回は息子が殊勝に訴え出てきているし、当てはめない方が好さそうだな」


「はい、そうしておけば、他の禰宜の家族も証言してくれるかもしれません」


「そうなると、妻の方には厳罰を与えた方が好さそうだな」


「はい、当主の妻とは言え、次期当主となる息子を殺そうとしたのです。

 尊属に対する殺人未遂として、厳罰に処すべきです」


「尊属に対する殺人未遂となれば、死罪や遠島もありえるところだが、女という点を考慮して、伊勢、武蔵、山城、摂津、和泉、大和、肥前、東海道筋、木曽路筋、下野、日光道中、甲府、駿河、相模、上野、安房、下総、常陸から追放する、重追放とするのが妥当か?

 息子に禰宜を続けさせるのなら、ここでも闕所は当てはめない方がいいな」


「お奉行、後で調べておきますが、母親が御師などの神職を得ているようなら、追院か退院も行われるべきです」


「そうだな、式年遷宮を差配する山田奉行として、退院させるべきだな。

 殊勝な息子に免じて、晒だけは許してやろう」


「それが好いと思われます。

 藤波禰宜と妻が厳しい処分を受け、殊勝に訴え出た息子が許されたとなれば、他の世襲禰宜家も追従する事でしょう」


「そうあってくれれば、胸の痞えも取れるのだが……」


 伊勢山田奉行、依田恒信の願いは叶えられた。

 藤波禰宜とその妻が厳罰に処せられた事で、驚き慌てた他の世襲禰宜家の家族が、自分達が処分される前に訴え出ようとしたのだ。


 大きな理由の1つに、藤波の息子が神鶏から許された事がある。

 これまで神鶏に追い回されて神域に入れなくなっていた藤波の息子が、父親を訴え出てから神鶏に追い回されなくなったのだ。


 当然、今神域に入れなくなっている世襲禰宜家の家族は、血を吐いて倒れている当主を訴えて、お伊勢様に許されようとした。

 だが同時に、世襲禰宜家に取って代わろうとする分家も訴え出たのだ。


 世襲禰宜家の者は、父や祖父を訴えて家の存続を図った。

 だが当主の弟や甥は、世襲家に取って代わろうとしたのだ。

 浅ましい本家争い、世襲禰宜職を争いとなった。


 醜い利権争いを持ち込まれた山田奉行所はいい迷惑だった。

 だが、伊勢神宮を所管している手前、いい加減な裁きは絶対にできない。

 それぞれの言い分を聞き、後々問題にならない処分を下さなければいけない。


 だが、そもそも全く証拠のない話しなのだ。

 どちらも、いや、分家の数が多ければそれだけ訴えた者が多いが、その全てが嘘偽りを言っているのだ。


 世襲禰宜の息子や孫でさえ、自分が生き残り禰宜職を世襲するために、嘘の証言をして父親や祖父を斬り捨てようとしているのだ。

 その中の誰かの言葉を真実にしなければいけない奉行所の苦渋はいかばかりか!


 ★★★★★★


「角兵衛さん、頭達の出番はどうなっていますか?」


「休む間もないほど舞台が詰まっております。

 まだ芸の拙い者は、大道で修業を積んでおります」


「元々外宮が抱えていた者達はどうなっていますか?」


「お嬢さんが心配なさっていたような事は起こりませんでした。

 逆らう気配など微塵もなく、お嬢さんのお指図を受ける事を誓っております。

 内宮組と争うことなく、御師宿で芸を披露しております」


「内宮組も外宮組も十分な舞台があるのですか?」


「はい、今まで得ていた利益の10倍は確保できていると申しております」


「芸の拙い者は、大道や外宮門前で修業を積ませていますが、縄張り争いをしたりしていないのですな?」


「お嬢さんの指図に逆らう者は、お伊勢様から追放されます。

 争う者など1人もおりません。

 ご安心ください」


「そうですか、それは何よりです。

 ですが、油断する事なく、よく指導してくださいね」


「お任せください、お嬢さん、

 お嬢様さんの面目を潰すような事は絶対にさせません」


「それと、あいはどうなっていますか?

 巫女舞の修業を始めたと聞いていますが、虐められたりはしていませんか?」


「ご安心ください、お嬢さん。

 体が不自由だったあいが、お伊勢様の奇跡で普通に動けるようになったのです。

 お伊勢様の御意志に逆らうような神職は、もうお伊勢様にはおりません。

 皆知りうる技の全てを包み隠さず伝えてくれます。

 いえ、神職が教えなくても、自然と舞えると聞いております」


「そうですか、それならばいいのです。

 ですが、ある程度動けるようになったとはいえ、まだ耳は聞こえず、言葉も不自由なままです。

 世話役となった者達には、十分気を付けるように伝えてください」


「はい、必ず伝えさせていただきます」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る