第6話 夜雨花想

「あら、珍しい。書店で働いているくせに読書が嫌いなあなたが、よりにもよって本を読んでいるなんて、雨でも降るんじゃないかしら」


 本屋がファイルから目を上げると、暗い通りに面した戸口から花屋が顔をのぞかせていた。新幸町商店街の通りをはさんでちょうど向かい側にある生花店の主人である。


「入ってくる時は、声をかけろっていつも言っているだろう。いつになったら覚えてくれるんだ、きみは。それからこれは本じゃないよ。ファイルだ。見ての通り、擦り切れたデブリファイルさ」

「あらそう、わたしとしたことがうっかりしてたわ。そうして何か読んでいるから、てっきり本を読んでいるんだと思ってた」


 花屋はそう言いながら幻想書店へ入ってくる。勝手をしった様子で奥に入ると、しばらけして二人分のコーヒーを持って現れた。コーヒーを机の上に置くと、本屋の向かい側のソファにゆっくりと腰をおろした。


「ねえ。どうして本を読まなくなっちゃったの。あんなに好きだったじゃないの」

「仕事だよ。山師の男が持ち込んできてね。このデブリを本にしてほしいだとさ。まったく、迷惑な話だよ」

「嫌いだけど仕事だから読むってわけ。変わっちゃったのね。むかしのあなたは本の虫だったじゃない。忘れちゃった?」

「覚えてないよ、むかしのことなんて」


 本屋と花屋とが会話をすると、よくこんなふうに言葉がすれ違ってしまう。本屋はまるで気づかないが、そんな時の花屋はいつも寂しそうに目を伏せている。このときもそうしてコーヒーに口をつけた。


「むかしのあなたは素敵だったのよ」

「なんだい」

「なんでもない」


 いつも本屋を見ている。

 花屋は不思議な女だった。


「あら、雨が降ってきたみたい」


 事前の気象予定にない雨が降ってきようだ。やはりこのところの気象制御システムはおかしい。商店街の石畳を打つ雨音が、書店の戸口から忍び込んできた。


「ほんとうに雨になっちゃった――雨が止むまでここでこうしていていい?」

「きみの好きにするといい。私にはすることがあるからね」

「ありがとう」


 本屋は古いファイルを手に取るといっそう深くソファに身を沈め、花屋はコーヒーをすすりながらそんなそんな本屋を眺めている。夜の闇と雨音に包まれた幻想書店に、静かな時間が積もっていった。

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