第2話 電脳砕片

 本屋がその男に初めて出会った日の【Book】も、天蓋ドームにノイズの散らばるこんな天気だったように記憶している。あの時の空には鳥ではなく、白と黒に塗り分けられた気球が浮かんでいたっけ。


 いつもなら本屋よりも先に来客に気づいて大騒ぎをはじめる金物屋が店先で眠りこけていたので、男がやってきたことに気づいたのは男が店先で足を止めたときだった。そんなことは珍しく、本屋もよく覚えていた――。


☆☆☆


「こんにちは」

「……こんにちは」


 長い間この商店街で商売をしてきたが、本屋は男のような人間にはこのときまで会ったことがなかった。書店に入ってきたのは暗い表情の若い男は、背負ってきたリュックを店内の整理机の上に下ろすと、本屋の目の前にいくつかのファイルを取り出してみせた。これを本にして欲しいのだという。


「本に?」

「そうだ。あなたは本屋ではないのか」

「確かに私は本屋だが……」


 私の仕事は本を作り、書店の本棚に並べ、売ることだ。そのことに間違いないが、問題は整理机の上に取り出されたファイルで、それはどこにでも転がっているデブリファイルに見えた。


 どこにも関連づけられていない孤立したファイル。世界のゴミ。【Book】が更新されるたびに、そのネットワークから切り離されてゆくファイルがある。長期間アクセスがないため、不要と判断され、廃棄されたファイルだ。そんなデブリファイルがどの【Page】にも、何年、何十年にもわたって降り積もり、デブリの山を築いている。いまも書店の軒先から遠くに眺めることのできる黒い山は、そんなデブリファイルが【Page188】の周縁に積み上ってできた山なのである。


「あんた、こりゃデブリだよね」


 昼寝から目を覚ました金物屋が、私の肩越しに整理机を覗き込んで言った。男が持ち込んだファイルは、ひと目見てわかるほど煤ぼけており、長い間、山に埋もれていたデブリであることは明らかだった。


「わざわざこんなものを持ち込んでくるなんて、なにを考えているだい、まったく。役に立たないからこそデブリの山に埋もれていたんだろうに。そもそも、【Book】はとうの昔に陳腐化してしまっていて、小手先のバージョンアップだけじゃなくて、根本的なオーバーホールが必要なんだよ。そのためにはね――」


 私は手で口を塞ぐようにして、金物屋のおしゃべりを遮った。


「金物屋の言うとおり。これは役に立たなくなったファイルだ。こんなものを本にする値打ちがあるのかね?」

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