第2話 迷い人来たりて

 カエデの着替えを待っている間、ルイはぼんやりと廊下の窓の外を眺める。こっちは闘技場とは反対側で、商店街が一望できるようになっている。商店街の賑わいに耳を傾けてみるも、何を言ってるかは聞き取れない。

 商店街を挟んだ向こう側にはこの国の象徴シンボルである中央セントラル城が異彩を放っている。中央セントラル城のてっぺんには監視塔があり、昼夜問わず監視役が立っているため、事件は滅多に起こらないのがこの国の特徴だ。ルイはこうやって平和なひと時を噛みしめるのが大好きだった。


「なあに見てるの?」


 いつの間にか着替えを終えたカエデが休憩室から出てきていた。

 先ほどまでの戦乙女のようなかっこいい服装から一転、白と水色のふわっとしたワンピースを着こなした華奢な女の子といったところか。さらしでつぶしていた胸もふっくらとしていて、ルイは思わず喉を鳴らした。


「やっぱ胸をつぶしてると窮屈ね。まあ、バトルするには邪魔なものだけど」


 金色の長髪を耳にかけて言うカエデ。ルイは赤くなった顔を隠すように狐面を頭に付け直し、窓の外を見た。

 すると、多くの人で賑わう商店街を走り抜ける一人の少女がいることに気づいた。そしてその少し後ろに彼女の後をつける黒いスーツ姿の男性二人も。気になったルイは身を乗り出し、窓から顔をのぞかせる。


「なにしてんの?」

「あっち側か……。お前はちょっと自分の部屋戻ってろ」


 顔を引っ込めると廊下を走り出したルイ。


「あ、ちょ、ちょっと!」


 しばらく呆然とルイの背中を見つめていたカエデは頬を膨らませる。


「なんなのよ、もう!」


 カエデは地団駄を踏みながらゆっくりと歩き始めた。

 一方で少女はただひたすらに商店街を駆け抜けていた。途中途中に聞こえる「おい!」や「危ないぞ!」などという声など気にしている余裕もない。右も左もわからない彼女には、どう行けば追手から逃れられるかなんて見当もつかなかった。

 突然少女の右手から人が飛び出してきた。避けられないと悟った彼女は思わず目をつむる。


「ぼさっとしてんな! こっちだ!」


 手を掴まれた少女に言葉をかけたのは、狐面をつけた男の子──ルイだった。ルイに引っ張られながら少女は商店街の奥へと消えていく。追っていた黒いスーツ姿の男性二人は見失ったところでお互い見つめあい、うつけたように立ちつくすほかなかった。

 商店街の路地に入った二人は荒い呼吸を整えながら様子を伺う。どうやら追手は来ていないようだ。安心して胸をなでおろす。


「あ、あの……、助けてくれてありがとうございます」


 少女がルイに深々と頭をさげる。

 黒い艶やかな長髪がだらりと垂れ、少女は頭をあげるとそれを耳にかける。白いシャツに赤いワンピースを可愛く着こなし、仕草一つ一つから品の良さを思わせる。

 そんな第一印象とは裏腹に身長はルイより全然低く、前髪を止めている猫のピンがより一層幼さを感じさせる。中学生くらいだろうかとルイは推測した。


「ああ、大丈夫だ。それより急に引っ張って悪かったな」

「いえ……平気です。……あ、では私はこれで……」


 急いでいる様子の少女に疑念を抱いたルイは、背を向けて歩き出した少女を引き留めようと声をかける。


「待って、追手がまだ近くにいるかもしれないから──」

「何やってんの? こんなところで」


 少女の前に立ちふさがったのはカエデだった。仁王立ちし、ルイを睨みつける。


「おまっ、自分の部屋に戻れって言っただろ」

「うちがあんたの命令に従うと思う? それより誰よ、その子──」


 ルイから少女へと視線を移したカエデは訝しむような表情をみせた。少女にグイッと顔を近づけ、匂いを嗅ぐ。


「あ、あの……」

「この匂い……あなた、……?」


 問われた少女はカエデから視線を逸らす。その表情が図星だと言わないのであれば一体なんだと言うのだろうか。ルイは小さくため息をつくと少女の頭をわしゃりと撫でた。


「ま、そうだろうと思ったから助けたんだけどな」

「え……?」

「は? ルイ、あんた何言ってるのかわかってるの?」


 目を丸くさせるカエデに、ルイはにかっと笑う。


「おう、わかってる」


 妖怪の世界に人間が迷い込んだと知られれば大騒ぎになる。妖怪と人間が交わる場合、正当な申請が必要になる。それでも限られたものしか行き来できないという厳重な警備。彼女が正当な申請をしているとは到底思えない。つまり不法侵入ということになるのだ。バレたら処罰が下されることは間違いないだろう。

 少女は目を丸くさせルイを見つめる。


「どうして……」

「だって俺、人間好きだもん」


 ルイは少女の頭から手を放し、優しい笑みをみせる。


「それって、その子を匿うってこと?」

「そうなるな。でも、このままじゃ他の奴らに匂いですぐ人間だってバレるだろうし……。あ、そうだ」


 何かを思いついてにやりと笑うルイ。彼がにやりと笑う時は大抵ロクなことがない。それを知っているカエデは己の金髪をわしゃりと掴み、苛立ちを示すしかなかった。



 戦闘祭バトルフェスの優勝者には多額の賞金とともに専用のプライベートルームが与えられる。自宅とそこを両立させている人もいればプライベートルームで生活する人もいる。もちろん、プライベートルームの使用を拒否することも可能だ。

 祭りは年中行われているが、専用のプライベートルームをかけて戦うのは年に一回、四月の月末のみ。つまり、そこで勝てば一年間は専用のプライベートルームを使えるのだ。

 カエデは十四の時に優勝してからずっと専用のプライベートルームで生活している。賞金で買った服は数えきれないほどあり、全て綺麗にハンガーにかけられている。その中から選んだ服を少女に渡し、更衣室の中に連れ込んだ。


「うん、良いんじゃない?」


 着替えが終わったらしく、更衣室から出てきたカエデ。その背中では少女が恥ずかしそうに隠れていた。ソファに座っていたルイが見つめる中、少女は一歩前に出る。

 美しい膝が顔をのぞかせる茶色と赤のコルセット・ドレスに赤いククルスを羽織った姿は、童話の『マッチ売りの少女』を連想させる人も多いだろう。

 あまりの可愛さにルイは思わず手を叩く。


「似合ってるね、良いじゃん」

「あ、ありがとうございます。こんな豪華な衣装を貸してくださるなんて」

「いいのよ、どうせ洋服なんて有り余ってるんだから」


 カエデは少女の首元で匂いを嗅ぐ。


「うん、良い感じに妖怪の匂いに紛れてるんじゃない? よっぽど近くで嗅がない限りはバレないわね」

「妖怪が作ったものには少なからず妖力が染み込んである。だから妖力がない人間でも妖力があるように見えるんだ。これでしばらく生活してたら完全に溶け込めるんじゃないかな?」


 服を着替えさせるという提案をしたのはルイ。悪く言えばずる賢い性格のルイはこういった知識をたくさん身につけているのだ。珍しく役に立ったルイの知識に、カエデは心の中で小さな拍手を送った。

 ルイの向かいに少女とカエデが座り、ルイは目の前のクッキーをつまみ始めた。


「じゃあまずは簡単に自己紹介から。うちはカエデ」

「俺はルイ。お前は?」


 少女は俯き、静かに答える。


「わ、私、水無月みなづき優雨ゆうといいます。十四歳、中学二年生です」

「どうして妖怪のこの国に?」


 隣で話を聞きながらカエデもクッキーをつまむ。


「えっと……」


 しばらく沈黙した後、意を決したように力強い眼差しをルイに向けた。


「さ、捜しているんです! いなくなった私の父親を!」

「父親?」

「はい、きっとここにいるんです。私の父親はよく妖怪の国に足を運んでいました。それが一昨日に妖怪の国に行ったきり、帰ってこなくて……」


 妖怪の国、特にこの中央セントラル国は歴史ある国として名が知られており、人間も合法的に探索に来ることがある。きっと彼女の父親もそのうちの一人なのだろう。


「じゃあ、とりあえず国王たちに報告して捜索させてもらうように……」

「だめだろうな。少なくともユウは即行、人間の世界に帰されるだろう」


 ルイが冷静にカエデの意見を否定する。


「どうして?」

「部外者だからだ。人間が行ける範囲は限られているはずだ。仮にもしユウの父親が立ち入り禁止区域で見つかったとすれば、父親もろとも処罰は免れない。なんたって、ユウは不法侵入だしな」


 不法侵入であるユウを匿っていることがバレたらルイもカエデもただでは済まない。匿うと決めたからには、逃げ切るしかないのが現状だ。


「ってことは、ユウちゃんを隠しながらうちらだけでお父さんを見つけなきゃいけないの? こんな広い国を?」

「そうなるな。まあ、今日はもう遅いし明日からになるけど」


 ユウとカエデは揃って窓の外を見る。いつの間にか日が落ち始めていた。


「ユウちゃんは、うちと一緒に寝ようか」

「え、でも……」

「どうせ頼れるところもないでしょ。それにいろいろ話聞きたいし」


 ユウの手を取って微笑むカエデ。友達の少ないカエデにとって、ユウは大切にしたい存在なのだ。女子トークに混ざれないルイはおもむろに立ち上がった。


「んじゃ、俺も自分の家に帰るよ。また明日迎えに来るから。ばいばーい」


 ひらひらと手を振りながらカエデの部屋を出たルイは、ドアを閉めるとしばらくドアにもたれてカエデとユウの楽しげな声に耳を傾けながら考える。狐面のふちを軽く持つと小さく呟いた。


「行方不明の人間……ねぇ」


 ルイはふらふらと歩き始め、夜の街に消えていった。

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