第6話 紗江 アイスティー

不思議だぞう屋には毎週土曜日に喫茶材料の配達に来ている。そして休みの木曜日には客として来るのがここ一年ほどの私の楽しみだ。

基本、配達で回るお店は、仕事で行く以外は寄らない。

でも、不思議だぞう屋だけは、仕事ではなく客としてゆっくりしたくて来る。


「疲れた」


このところ口癖のように、気がついたら言っている。


昨日は配達先で、前回より配達時間が20分遅かったと散々嫌味を言われた。

おまけに今月は新商品のドレッシングを売るノルマをかけられていて、上司からは売上が悪いと睨まれている。配達だけでいいと聞いて入ったのに、なんだかどんどん話が違ってきている。仕事のことを考えると気が滅入ってくる。

そしてこんな時に限って義母の体調が悪くて病院に付き添う時間もとられる。こういう時は夫は知らん顔だ。自分の親のことなのに。

ああ、もうっ! 

今日は待ちに待った休みの木曜日。今日ほど不思議だぞう屋に行きたい!と思ったことはないかもしれない。。


お気に入りのチャシャネコのついた看板の下に、新しい寄せ植えの鉢が置かれている。

一鉢増えるだけでも華やかになるものだ。うちにも、小さな花の鉢を飾るといいかなと思いながらドアを開ける。


チリリン


「いらっしゃいませ」


うわっ

カウンターは満席だ。

今日は無理そうだなとがっかりしていると、

アルバートバーの奥から久美子さんが出てきた。

レイキの施術を終えてお客様を送るところだった。

「あらまあ、紗江さん、どうした?疲れた顔してー」

「ちょっと色々あって、、、へとへとですう」

「そかそか。ちょっとやってあげよっか」

「ええーいいんですか?」


アルバートバーの奥に部屋があって時々久美子さんがレイキの施術をしているのは知っていたが、受けたことはなかった。疲れているし、渡りに船とはこのことだ。


部屋は6畳ほどで、部屋の隅にテーブルが置かれていて、あとはゆったりしたリクライニングの椅子があるだけだ。白い珪藻土の壁に、明りとりの窓から入った光が柔らかく反射している。

川のせせらぎのBGMがかかっていて、アロマオイルのいい香りもしている。


「その椅子に座って楽にして」

「これは寝ちゃいそうだわ」

「寝ちゃっていいわよー」

さあっと私の全身をサーチするように見た後、久美子さんはまず肩に手を置いた。

「あったかっ」

「そうなの、氣が出てくると手が熱くなるのよ」

「気持ちいいわあ。

なんだか足まで温かくなってきた」


凝っている所にぴたりと久美子さんの手がくる。じんわりと体中が温かくなってくる。


久美子さんは定年を迎える年に初めてここに来たのだという。

ということは、、、マスターより年上?

え〜っ!!

美魔女を通り越してる!

「妖怪と呼ばれとります」と笑う顔を思わずまじまじ見てしまう。

定年延長して勤め続けるか、趣味でやっていたハンドマッサージを仕事にするか迷っていた時にマスターに出会って、氣がよく出ているからとレイキを伝授されたと言う。

「思いがけない道に進んだけど、この仕事好きだし毎日楽しいの。よかったなと思ってる」


途中ふっと意識が飛んだりしながら、30分ほどの施術が終わった時、お風呂上がりのように体が温かくなっていて、どんよりとした疲れはすっかりとれていた。

「お水多めにとってね。

もうお店空いたんじゃない?何か飲んで行くでしょ?」


カウンターはちょうど2席空いていた。


「ありがとうございました。また時々お願いします」

「はーい。是非是非」


カウンターに並んで座ると、マスターが

「どうだった?」といつもの柔和な笑顔で言う。

「レイキ初めてだったんですけど、久美子さんの手熱いくらいで、気持ちが良かった!おかげで体が軽くなりましたー」

「紗江さんたら、ガッチガチなのよ。そうとう溜め込んでたわね。」


アイスティーに珍しくガムシロップを入れてみた。ここのは粗糖で作った自家製の薄い茶色をしたシロップだ。ほぐれた体に優しい甘さがしみていく。心もふうわりゆるむ。

マスターに、仕事を辞めたいとこぼすと、

独特の首を振る動作をした後、

「紗江さん、あまり合ってないね、今の仕事。他の仕事探してみたら?もっと合う所見つかると思うよ。

とりあえずさ、お客さんや上司に嫌なこと言われたら指をこうするといいよ。」

「こう? あ、こうね?」

「もちろん見えないようにこそっとだよ。そうすると、さーっと聞き流せるからね」


いつもそうだが、ここに来てマスターと話しているだけで、気持ちが楽になる。おまけにこんな魔法⁈も教えてもらったから、なんとか頑張れそうだ。その間に他の仕事を探してみよう。

さっきまでの憂鬱さは少しなくなって、トンネルの先に小さな明かりが見えたような気がした。

「今日来て良かった」

「呼ばれてたね」

久美子さんとマスターがニッコリして頷く。


チリン


二人に手を振って店を出た。足が嘘のように軽くなっていた。


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