【発売記念！大量試し読み】傲慢王女でしたが心を入れ替えたのでもう悪い事はしません、たぶん／葵 れん

プロローグ

「ユスティネ・デ・エルメリンス・ラウチェス王女。貴方（あなた）との婚（こん）約（やく）の話は白紙に戻（もど）させて頂く」

　当主の間の中央の椅（い）子（す）に、きらめく銀（ぎん）髪（ぱつ）と凍（こお）りつくようなアイスブルーの瞳（ひとみ）をした青年が不（ふ）機（き）嫌（げん）そうに座っていた。まだ十九歳という異例の若さだが、幼い頃（ころ）からの教育の賜（たま）物（もの）なのか有（う）無（む）を言わせぬ迫（はく）力（りよく）がある。

　あまりの冷（れい）徹（てつ）さで氷の辺境伯（はく）とあだ名されるリューク・バルテリンク辺境伯。

　その端（たん）整（せい）な面（おも）差（ざ）しは冷たく蔑（さげす）むようにユスティネ王女……つまりわたしを睨（にら）みつけていた。

　彼の怒（いか）りの原因は、若すぎる辺境伯への箔（はく）づけとして嫁（とつ）ぐことになった第四王女（しつこいようだがわたし）がとんでもない娘（むすめ）だったからだろう。

　顔だけは評判通りに美しいが高（こう）慢（まん）で無（む）慈（じ）悲（ひ）な性格で、贅（ぜい）沢（たく）がなにより大好きというわがまま娘。最初は慣れない生活に気が立っているのだろうと大目にみていた堪（かん）忍（にん）袋（ぶくろ）の緒（お）も、用意された紅茶の温度が気に入らずポットのお湯をぶちまけメイドに大（おお）火傷（やけど）を負わせたという話についに切れたらしい。

　もちろんそんな事はしていない！　何故（なぜ）なのかは知らないけれどわたしの振（ふ）る舞（ま）いはひたすら大（おお）袈（げ）裟（さ）に、時に根も葉もないでたらめで噂（うわさ）されていた。その事実には気づいていたけれど、これまではわたしも知らないフリを決め込んでいた。

　だってこの目の前にいる氷の辺境伯と婚約なんてしたくなかったから。

　早く王都に帰りたかったわたしが、嫌（きら）われるような噂をわざわざ消す必要なんてないと放置し続けたため、みんなの中のユスティネ王女はとんでもない悪女になってしまっていたようだ。

　その結果が現在の婚約破（は）棄（き）騒（そう）動（どう）に至った。

　……そう、『前回』のわたしは願い通りこの後すぐに王都に突（つ）き返された。

　今、周囲には当主に立ち会いのため呼び出された貴族や有力者達が立ち並んでいて、失望した顔でわたしを見ている。

　壁（かべ）や床（ゆか）が暗めの色でまとめられ重いカーテンがかかるこの部屋は、まるで葬（そう）式（しき）のように静まり返っていた。

　この先の未来を何も知らなかった『前回』のわたしはそんな重苦しい空気などかまわず大喜びしてますます白い眼（め）で見られたっけ。あの時はそうする事こそが最善だと信じていたから。

「一応聞きますが貴方も異存はないですね？」

　リュークの問いかけに、『前回』は何もないと答えた。

　身に覚えのない非難も捻じ曲げられた事実もどうでも良かった。ただ王都に帰る事が出来るのならそれでいい、今まで通りの生活が待っているのだと信じていたから。

　だけど正解はそうじゃない。

　この婚約を破棄されては絶対に駄（だ）目（め）なのだ。

（この一（いつ）瞬（しゆん）で、全（すべ）てが決まる！）

　大勢からの注目を一身に集めていたわたしはガバリと床に膝（ひざ）をつき、頭（こうべ）を垂れた。

　これぞ、遥（はる）か東の国で最上級の謝罪といわれるドゲザスタイル！

「じ……慈悲深いリューク・バルテリンク様！　どうか今一度だけ、愚（おろ）かなわたしにチャンスを下さいませ！　もし温情頂けましたら誠心誠意！　いえ、粉（ふん）骨（こつ）砕（さい）身（しん）！　バルテリンク領のために忠誠をつくす所存でございます！　今までのご無礼は全て謝罪致（いた）しますので、どうか、どうか婚約破棄だけはご勘（かん）弁（べん）いただけないでしょうかぁ！！！」

　……先（さき）程（ほど）以上に静まり返った当主の間に、わたしの叫（さけ）び声の余（よ）韻（いん）だけが響（ひび）く。

（や……）

　わたしは思わずブルリと身を震（ふる）わせた。

（やったあぁ！　やり切ったわ！　良くできた！　今までの人生で下手に出るだなんて一度もした事がなかったけれど、我ながら上手（うま）く言えたのではないかしら？）

　得意満面に顔を上げはじめてリュークと目が合う。その呆（あつ）気（け）にとられた顔をわたしは生（しよう）涯（がい）忘れないだろう。

　さて、吟（ぎん）遊（ゆう）詩人に語り継（つ）がれてもおかしくないほどの華（か）麗（れい）なる謝罪を披（ひ）露（ろう）したわたしだが何故そこまでして婚約破棄を回（かい）避（ひ）しようとしたのか。

　それは婚約破棄が原因で死んでしまう自分の未来を知っているからに他（ほか）ならない。

　──死んで、時が巻き戻り、気づけばここに立っていた。

　実際に体験した自分でも信じられないけれど夢や幻（まぼろし）なんかじゃない。死んだその瞬（しゆん）間（かん）の後（こう）悔（かい）まで全部覚えている。

『あの時もし婚約破棄をしなかったなら』

　そんな想いをこの世の何処（どこ）かにいる神様が聞いていたのだろうか。気がついた時には再びこの場に立っていたのだ。

　それにしても、いくら婚約破棄を思いとどまってもらうためとはいえ、一国の王女がここまで下手に出るというのは異常な状（じよう）況（きよう）だろう。

（……せめて、あと一日、前に戻れていたならば……！）

　そう、普（ふ）通（つう）ならばわたしだってここまではしない。

（昨日『貴方とだけは絶対結（けつ）婚（こん）しない、どうしてもというならドゲザでもして頭をこすりつけてお願いすればいい』などと喧（けん）嘩（か）を売ってさえいなければっ……！）

　お分かりいただけるだろうか。

　彼の呆（あき）れかえった表情は単に奇（き）行（こう）に走った事に対してだけではない。

『は？　これまで散々拒（きよ）否（ひ）してきたあげく絶対に結婚はないって言い切っておきながら、舌の根も乾（かわ）かないうちに何言ってるんだこいつ？　まさか自分が何を言ったか忘れてるのか？　馬（ば）鹿（か）なのか？』

　……とでも思っているのではないだろうか。

　いや、絶対思ってる。

（ええまあ、そうですよね……）

　だけどわたしはどうしても婚約破棄を撤（てつ）回（かい）させなければならない。

　だって死にたくないし不幸にもなりたくない。

　誰（だれ）にも言えない未来を知っているわたしは、それを説明できないままなんとかこの局面を乗り切らなければならないのだ。

　だけど勝算は、ある。

　彼はとても慎（しん）重（ちよう）な性格で、特にわたしと表立って対立する事は避（さ）けていた。ましてやこんな公衆の面前でここまでお願いをしているのに断るなんてしないはず。

　いや、絶対出来ない。

（だってわたしは国王陛下の娘だもの。そうでしょう？　リューク）

　本来ならば氷の辺境伯が一度決断した事をやすやすと撤回するなどあり得ないけれど、確信があったわたしは思わず不敵に微笑（ほほえ）んだ。

　わたしの悪役然とした笑（え）みを目にした氷の辺境伯は苦々しげに溜（ため）息（いき）をつく。その唇（くちびる）は「傲（ごう）慢（まん）王女」と音にならない呟（つぶや）きを漏（も）らした。