第14話:夜
「それじゃあ、お邪魔しました」
「ん」
玄関まで見送りに来てくれた由紀さんに手を振って、エレベーターに向かって歩き出す。少しして後ろから玄関の扉が閉まる音。エレベーターのボタンを押すとすぐに扉が開いた。一階を押して、扉が閉まる。
もう一泊してしまおうかぎりぎりまで迷ったけど、結局帰ることにした。
少しだけ拗ねたのもあるし、あまり居座るのはやっぱり悪い気もしたし、連絡してみた友達に泊めてもらえることになったのもある。
それに何より、このままいると本当にずっといたくなってしまうと思った。
エントランスを出れば、空は紫と黒を混ぜたような色をしている。地図アプリで経路を確認しながら駅へと歩く。静かな住宅街は都心なのに落ち着いていて、いい街だなと思う。
街灯の下を歩きながら、これからについてぼんやりと考える。明日はお昼に一旦家に帰って、また誰かに一泊頼もうかな。幸い友人は多い方だし、まだなんとかなる。少しあいたら、また由紀さんの家に行ってもいいかな。由紀さんの都合を聞いた方がいいかな。
あ、由紀さんの連絡先聞いておけばよかった。
エントランスに毎回待ち伏せするのも、住人にそろそろ不審がられてしまいそうだし、次はちゃんと聞こう。そうだ、それまでにアプリの名前変えておこうかな。
「でもルナって呼ばれるのは、由紀さんだけがいいな」
到着したタイミングでホームに流れるアナウンス。停車した電車に乗り込む。エレベーターといい今日はなんだか全部がスムーズで気持ちいい。空いていた席に座って、とりあえずA.Tとアプリの名前を変更して、昔猫カフェに行った時に撮った黒猫の写真をアイコンに設定する。名前のイニシャルと、猫のアイコン。私とルナの間。これでいつでも由紀さんの連絡先を聞ける。
次、いつ行こうかな。
電車の窓から暗くなった外を眺める。由紀さんの家からどんどんと離れていく。由紀さんの声、可笑しそうに笑った顔、頭を撫でる手のひら、膝の柔らかさ。少しの間の居場所のはずなのに、結構気に入ってしまっている。
本当に私が猫だったら、絶対に由紀さんに飼われたいと思うくらいに。
別れた瞬間に次はいつかなとか、まるで恋みたいに。
次の瞬間、頭の中に桜の顔が浮かぶ。
『あさひのこと好きなの』
あー、せっかく忘れてたのに。まるで恋とか思うから思い出しちゃった。
浮かんできた言葉と表情。あんなに必死な表情を恋というなら、私のそれをそう呼ぶのはおこがましいのかもしれない。というか、月曜の大学では嫌でも顔を合わせることになるし、そこらへんも考えていかないと。
あの日のような怒りや触れた感触の不快感は少し薄れている気がする。時間が経ったおかげかもしれないし、桜の言葉を聞いて少しは桜の行動の意味がわかったからなのかもしれない。
月曜日に話ができるかもしれないけど、どうかな。結構ひどいこと言ったし、向こうが嫌になっているかも。それならそれで、そこまでの縁なのかな。繋ぎとめておきたいかといわれれば、まだ分からない。
電車がゆっくりと速度を落とす。アプリを開いて、駅から家までのルートを見る。東口から出て、コンビニのある道の方に曲がってまっすぐ、かな。電車が止まって扉が開けば、すぐそこに改札に出る階段がある。小さなラッキーたちが、これからの未来を照らしてくれるといいんだけど。
「お、あさひー」
「奈美、迎え来てくれたの?」
「ここ結構物騒だから、あさひみたいなのが一人で歩いてたら危ないしねー」
「じゃぁ奈美も危ない」
「そうなんだよね~。 まぁ、少し遠回りだけど大きい道で行けば大丈夫」
「なるほど、地図アプリも人には敵わないってことだ」
「そういうこと」
改札口で待っていてくれた奈美と合流して、歩き出すとすぐに商店街に入った。居酒屋の看板やカラオケ店が並んでいて、若者の街って感じがする。由紀さんの住んでる街とはずいぶんと雰囲気が違う。酔っ払ったスーツのおじさんたちを避けながら歩いていると、大きな道路に出た。
「この道路に沿って右にまっすぐ行けば到着」
「確かにこれなら安心かな」
「それで、また親と喧嘩?」
「あはは、直球ストレート……百五十キロはでてるね」
「肩には自信があるんだよねー……当たりか」
「あはは」
歩きながら経緯を話す。これからのことでまた親と揉めたこと。
桜のことと、由紀さんのことは伏せて、友達の家を転々としているということにした。
親に殴られて今回は長めの家出だと言うと、奈美は眉を下げてため息を吐いた。
「もういっそあさひも一人暮らししたら?」
「学費も家賃も全部自分で払うなら好きにしろ、だって」
「うわ」
小さなアパートの二階。奈美が鍵を回すと、ガチャンと解錠の音が響く。由紀さんや桜の家とは違う、いかにも大学生が住んでいそうなアパートの玄関。
「お邪魔しまーす」
「どうぞー」
靴を脱いであがれば、短い廊下の後すぐに部屋がある。奈美は二十歳になると同時に一人暮らしを始めたから、ここにきたのは初めてだった。奈美の実家で見た犬のぬいぐるみがベッドに座っている。
「じゃあとりあえず、ぱーっと飲むか」
「うわマウント?」
「そうだった、あさひちゃんはまだ十九歳だったね〜」
「うるさ」
快活に笑う奈美は、冷蔵庫から缶チューハイを一本取り出して戻ってきた。高校の頃に私と桜と奈美でこっそりチューハイ一缶を飲みあったことを思い出す。高校の頃は、奈美の家で三人でよく過ごしていた。
「大学サボってた日、桜がすごく心配してたよ」
「え?」
「午前中ずっと教室キョロキョロして、午後はあさひのとこ行くって授業サボって帰ってったし」
「あー……うん、来た来た」
このなんとも言えない居心地の悪さはなんだろう。奈美だって私のことを心配してくれてるということは分かっているのに、私に余裕がないのかもしれない。
それでも、心のどこかで由紀さんだったら、と思ってしまう。何も聞かず受け入れてくれて、帰るといえば見送ってくれる。そんな存在が、今は一番いてほしい。
心配だからという言葉は、いつだって私の体を雁字搦めにする。
缶チューハイに手を伸ばす。本当は飲めない年だなんて由紀さんが知ったら、あの日のことを叱るのかな。それとも、また何か変な罰を与えてくるかもしれない。なんて、由紀さんのことばかり考えている。
「あさひの好きなようにやったらいいと思うけど、桜にあんまり心配かけてやらないでね」
その言葉は、桜の気持ちをしっているのかな。そんな風に疑うから、居心地が悪いのかな。桜が私にしたことを言えば奈美はどんな顔するかな。
小さく息を吐いて、目を閉じる。性格の悪さがすぐににじみ出る。
ルナ、と呼ぶ声が恋しい。あの陽だまりのような場所に帰りたい。
なんて、恋というにはあまりにも浅はかだ。
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