第48話 願いを叶えるお呪い

「……51%攻撃……」木戸の黒目にじわりと疑念の光が浮かぶ。「そんなこと、出来るわけがない」


「できるんですよ」


 ブロックチェーンは、本来その処理能力を個人個人によって供される計算資源で賄われている。<ミトリさま>で言えば呪いを達成するために小さな呪力を個人個人が提供しているということだろう。――そこで、その処理能力の51%を、ある悪意のあるノードが提供したらどうなるか。


 簡単に言えば、ネットワークを支配することが出来てしまうのだ。


 まず、ネットワークにおいて51%の処理能力を持つと言うことは、49%の「マイナー」となった一般ノードの生成する「呪い」の全てを処理する権利を持つことを意味する。ブロックチェーンでは「呪い」を達成する呪力を持ったノードが自然に、優先的に選択されるためだ。つまり、処理されるはずの「呪い」の実行権利を掌握することが出来るのである。


 これは、「呪い」の破棄も含まれる。


「……あり得ない。<ミトリさま>は一体何人いたと思ってるんですか? その全ての呪力を上回る程の人間が、あなたの知り合いにでもいたと?」


「そんな人はいませんよ。今更そんな人が現れたんじゃあ、僕たちがわざわざ北へ足を運ぶまでも無くこの事態は収束しているでしょう。簡単なことです。僕は沢山の人に協力して貰ったんですよ。既存の<ミトリさま>の頭数を凌ぐほど沢山の人にね」


「そんなこと――まさか、いちいち頼んで回ったわけでもないでしょう!」


「ええ。きっと、51%に含まれる<ミトリさま>は殆どが<ミトリさま>の名前なんて知らないし、自分がそうであることすら知らないでしょうね。ですが、知る必要は無いんですよ。いいですか?」僕はスマートフォンで<ヨミ>の記事を開いて見せた。「あなたが知っているかどうか知りませんが、今<ミトリさま>はトレンドなんですよ」


 木戸は僕のスマートフォンをまじまじと見て「トレン……ド」と不可解そうに呟く。


「トレンドです。この記事は読みましたか? あの日、我々に同行していた背の小さい女性が書いたものです。彼女は<ヨミ>っていうオカルト雑誌のライターでしてね。あの旅での出来事を記事にしたんですよ。それがヒットした……」


「――<ミトリさま>を世間に広めたのですか? あなた方が? どうしてそんなことを」


 木戸はまだ僕のやり口の検討が付かないでいるようだ。


「まあ、僕の入れ知恵半分、彼女の情熱半分といったところですね。重要なのは、この記事によって世間の多くの人――特に若い人たちが、<ミトリさま>の儀式を知り、実行したということなんです」


「……私にはまだ分かりませんわ。なぜそれが――ガッ」


 突然木戸が咳き込み始めたので僕は驚いた。体を曲げて、首を突っ張り、肺の底の泥を掻き出すような激しい咳だ。隣に座る少年は何処吹く風で、机の下で足を振りながらソーダだけになったグラスの中身を啜っている。何がとは言わないが、何かが異様な光景だ。


「……大丈夫ですか?」


「ええ、ええ」木戸はナプキンで口を拭いながら答える。「話の続きをしましょう。何故それが――沢山の新しい<ミトリさま>が51%攻撃をするノードになるのです? 経緯はどうであれ、彼らは<ミトリさま>には違いがありません。彼らの呪力はやはりネットワークの中で願われる呪いに使われる筈ではありませんか……」

 

「それは、また抽象的で僕の想像を含む話になりますが――恐らく、彼らには悪意が無いんですよ」


「悪意が、無い?」


「ええ。これを見て頂ければ分かるかと思いますが」


 僕はさらにスマートフォンを操作して、記事中に書かれている<ミトリさま>の儀式の項を示した。そこにはこう書いてあるのだ。


「願いを叶える……お呪い……」


「そうです」


 これが、僕があの記事について要求したもので最も重要なことだ。


 <ミトリさま>を、誰かの死を願う呪いではなく、些細な願望を叶える「お呪い」として白日の下に曝す。


 変な言い方だが、<ミトリさま>から憎悪を去勢したんだ。


 ――その結果、どうなったか?

 

「<ミトリさま>は主に小中学生を中心に新たな都市伝説として話題になっているんです。ほら、こっくりさんだとか、エンジェルさんの令和版みたいなものなんですよ……多分ね」僕は、そのままTikTokで子供達が実際に<ミトリさま>の儀式をしてみせる動画を見せてやった。彼らは――圧倒的に女の子が多いのだが――度胸試しや恋愛成就のお呪いとして、それを広めているのである。「そして、今<ミトリさま>のネットワークの少なくとも51%を占めているのは、そういった無害なお願いなんですよ。中には、やはり人の死を願うようなドス黒い感情はあるかもしれませんが……やはり、多数派はそうなんです。これがどういう意味か、分かるでしょうね」


 木戸は、子供達が<ミトリさま>を可愛らしく拡散する様を信じられないとでも言うような表情で眺めていた。


「……無害なお願いが<ミトリさま>におけるスタンダードに成り代わった……」

 

「そうです。つまり、<ミトリさま>の在り方そのものが書き換えられたんです。ネットワークで産み出された呪殺の信号はイレギュラーとして承認されることは無く排除され、反対に素朴な願いごとが承認されるべき信号として認知されるんです。いいですか?」僕はスマートフォンをしまって、言った。「だから、<ミトリさま>で呪殺が実行されることは、もう無いんですよ」


 そこまで僕が話し終えると、木戸はまた再び悪い咳をしてテーブルのナプキンで口元を拭った。


「51%攻撃とはね……」


「盲点でしたか?」


「まさか……ブロックチェーンで最も有名で最も対策が困難で、最も有効とされる攻撃手法でしょう。ですが、――盲点。確かにそうだったと認めざるを得ませんね」木戸は口紅で赤くなったナプキンを丸めて言った。「51%攻撃は、そもそも理論上の攻撃手法であり、実際に行われたことはありません。そうして得られるものよりも、まともにマイニングしたコストの方が安上がりで儲かるからです。無意識のうちに、私はその可能性を軽視していた――ですが」


 また、木戸が貧相な作り笑顔を顔に浮かべて言った。

 

「<ミトリさま>は、また人を殺しますよ」

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