第26話 心霊写真

「……だから、今日は友達んちに泊まることになったんだって。――うん。学校からそのまま遊んでて、いつの間にかこんな時間になってて……」


 閉じた襖から、寺の庭で親と喋っているらしい及坂の声が聞こえてくる。


「だからそれは謝ってるじゃん。……そもそも、ママは過保護なんだって――彼氏!? 何馬鹿な事を言ってんの!? もおぉ……」


 じゃっ、じゃっと石が弾ける音が聞こえる。地団駄を踏んでいるんだろう。


 僕は今、「庫裏」という義堂君の住居兼事務所みたいなところの居間で水を飲んでいる。さっきの本堂とは別の建物だが、勿論ここも洞照寺の敷地内にある。今座っているこの居間は畳敷きだが、実はトイレは最新のウォシュレット、風呂はシックな石畳の敷かれたシステムバスと、外観に反してハイテクな住居なのだ、ということをさっき風呂を借りた時に知った。


 既に夕陽も暮れかけて、夜が迫っている。


「今時の女子高生も大変すねえ」


 胡座を組んでコーラを飲む義堂君が呟いた。立派な袈裟からアロハシャツと短パンに着替えている。


「そうだね」


 庫裏には修行僧のためなのか様々なサイズの着替えが用意されている。僕が今着ているのも、そういった浴衣のような作務衣と呼ばれる着物だ。この季節には少し寒い気がするが、暖房が聞いているので案外快適だ。


「いや……こういうこと言うとちょいとジジくさいな」


「僕も今そう思ったとこだよ」


 自転車のタイヤが庭石を踏みしめる音が聞こえて、道地君が居室に入ってきた。既にさっきまで着ていた僧服では無く、いつもの着慣れたスーツ姿に戻っていた。


「お前らの荷物、やっぱり喫茶店に置きっぱなしになっていたぞ。ほら」


 道地君は片手に持っていた僕の鞄と及坂の学生鞄、パンパンに膨らんだスーパーの袋をどんと畳の上に置いた。


「僕のPCは!?」


「落ち着け。ちゃんと鞄に入れてるよ。ほら」


 僕は自分の鞄に飛びついてPCに異常が無いことを確認した。


「おおぉ、良かった……良かった……」


「店員のやつ、目を白黒させてたぜ。突然二人が店内から消えて驚いたってんでな。あっこ、カウンターが出入り口の前にあったから不思議に思ったんだろう」


「……実際、僕たちはどうなっていたんだろう? 道地君たちは分かっている、と考えて良いのかな?」


「……どうなんだ?」と、道地君が義堂君に質問を流す。


「ハッキリ言って、よく分からないですね」


 義堂君は袋から缶ビールを取り出して一口に半分ほど呑み込んだ。


 道地君が庭の障子を開いて「おい! お坊さんのありがたい話が始まるぜ」と及坂を呼び込んだ。すぐに、溜息を吐きながら及坂が居室に入ってくる。


「……すいません。どうしても、今日はここに泊まらないといけないんでしょうか? 親がうるさくって」


「どうしても帰りたいんなら止めやしないよ。医者だって、外傷患者を強制的に入院させることは出来ないし。たとえ患者の両足が折れていてもね」


 及坂は観念したように座り込む。こうして、僕らは居室に車座になった。


「――また、さっきみたいなことが起こるっていうことですか? ていうか、そもそも田原さんがそういうのを解決することはできないんでしょうか?」


「解決なんて大層なことはできねえさ」義堂君がすね毛の生えた足を掻きながら言う。「それに、そもそも俺にはアレがどういうものか分からん。痛みの原因は分からないが、痛み止めを出すことは出来る、程度さ。ただ、まあ進さんに関してはそこらを出歩いても、そうそうさっきのようなことにはならんでしょうな」


袋からビールを取り出していると突然僕の名前が出たので驚いた。

 

「え? 僕は平気なの?」


「はい。進さんは貰い事故のようなものだったんですよ。ちょっと間の悪いタイミングに、良くない人間と一緒に居た。問題は――」缶を持ちながら人差し指を立てる。「あんただよ。あんた、ちょっとまずいね」 

 

「私――ですか?」


「あっ……」


 そういえば、僕があの世界に入り込んだとき、及坂の手が僕を掴んでいた。


「僕と及坂さんがあの世界に入った、じゃなくて、僕ごと及坂さんがあの世界に入り込んだ、ということか……」


「まさしく不幸中の幸いだな」道地君が愉快そうに茶々を入れる。「あんた、こいつに感謝した方が良さそうだな。こいつが俺と幼馴染みじゃなかったら、今頃どうなってたか分からんぜ」


「でも、道地君は僕が危険な目に遭うって分かってたよね。あんなメッセージ飛ばしてきたんだから」


「あ? ああ、それはこれだよ」


 道地君が、スマホ(最近買い換えたらしい)を操作して画像を見せてきた。


 それは、一枚の写真だった。屋内の暗い通路で、全体的に光度が低いしピントもぶれている。さっと片手で取り出したスマホで撮影した感じた。廊下の奥には半開きになっているエレベーターと、今もその隙間から歩き出そうとしている真顔の男が写っている。洞穴みたいな黒い瞳で、丁度真ん前――撮影者を見つめていた。


「……? これって――あれ?」


 ちょっと写真に違和感があると思ってよく観察してみたら、この場所にはよく覚えがある。それどころか、毎日通っている所――僕のマンションの廊下だ。


「これ、お前が俺に送ってきたんだぜ。憶えていないのかよ?」


「僕が?」


 こんな写真、撮影した覚えはない。勿論、道地君に送信した覚えも……いや、ある。写真を送った覚えはあった。喫茶店で、念のためと撮影した及坂の写真を、丁度道地君からのメッセージが届いた直前に送っていた。


 スマートフォンを確認すると、本当にそんな写真がアルバムに入っていた。メールに添付する時、日付の書いたファイル名でしか確認していなかったから間違えたのだろう。


 しかし、僕はこんな光景にスマートフォンを向けた記憶を持ち合わせていない。


「……」


 僕の背中に冷えた空気が通った。


 もしかして、僕がエレベーターの不具合録画したときのものか。あの時、てっきり動画を撮影したのだと思っていたが、実は撮影モードになっていた……。すると、この写真の男は僕の目には見えなかったが、写真には映った、ということになる。


 これは……心霊写真、なのか。


「大した実害はありませんよ。厄除けが役に立ちました。こいつが進さんに近づく前に、取り敢えずは関係を断つことができたんです」


「そうなんだ」


「ところが、そっちのお嬢さんはすっかりアレと関係を持ってしまっている。だから、アレが追ってくるんだ……おい」


 義堂君が呼びかけると、及坂は肩をびくつかせて顔を上げた。


「――何をしたんだ?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る