第24話 人?

「何でしょう……人? 人ですよ! ナントさん! やっぱり私たち以外にも人がいました!」


「しかし、ちょっと様子がおかしいようだけど」


 洞照寺へは、この大通公園を縦に横断してすすきの方面に向かう必要がある。僕たちは黒く変色した横断歩道を全て無視しながら道路を歩き、そのまま大通公園噴水辺りを見渡せる歩道までショートカットした。その人間――男の顔がよく見えないのはこの赤い空のせいだと思っていたが、近づくにつれてそれが間違いであることが分かってきた。


 あの男はそもそもが影なのだ。顔も無く、よく見れば体の造形も右腕が体のサイズに対して短かったり、右足と左足が地面に付いているところで一本にくっ付いている。まるで、人間の形を知らない何かが人間に似せて捏ねた粘土のようだ。


 僕は段々嫌な感じがしてきた。あれは見たことがある――確か、道地君が酔い潰れた夜、義堂君と話した歩道の電柱近くで見た……あの奇妙な影だ。そういえば、あの時はすぐに消えてしまったから気にもとめなかったが――あれは一体何だ。


 あれは何だ。


「すいませーん!」


 僕の疑問と危機感を吹き飛ばすように、隣の及坂がアレに向かって声を掛けた。


「及坂さん、あれは人じゃない」


「えっ?」


 アレは及坂の呼びかけにも微動だにしていないかのように見えた。


 いや、さっきまで足下を見つめていた頭の位置が変わっている――こっちを向いている。


「急いでここを離れよう。嫌な感じがする」


 僕が早歩きに切り替えると、ワンテンポ遅れて及坂が小走りで追従してきた。


「何なんですか? 人を探そうっていったのはナントさんじゃないですか」


「あれは人じゃない! 分からないのか?」


「ナントさんこそ何言ってるんですか? あの人、私に向かって笑って――うわっ」


 途端に及坂が全力で僕の目の前を疾走していった。何だ、と思って見ていると前を走り去る及坂が「後ろっ! 後ろっ!」と叫んだ。振り向くと、アレが黒い地面をスライドするように僕たちに近づいてきている。僕は直ちに全力で走って及坂を追い越した。


「ナントさんっ! 待ってっ!――待ってって!」


 後ろに回った及坂が悲鳴を挙げた。


「だから言ったじゃないか! あれは声を掛けちゃいけないものなんだっ!」


「声を掛けるな、なんてっ――言わなかったしっ!」


 洞照寺――幼い頃に行ったきりだが、場所は憶えている。ここからなら四ブロックほど南東に向かえば到着するはずだ。地図アプリは使える筈も無い。僕は頭の中で必死にぼやけた地図を拡げて南の大通りを駆けていく。


「あっ!」


 真ん前の大型デパートが挟んだ道路に、一本の奇怪なオブジェが突っ立っている。後ろから来ているアレとは別の何かだ。目視すると同時に凄いスピードでこちらへ接近してくる。


 僕は久しぶりに靴のグリップを思いっきり聞かせて方向転換した。


「前からも!?」


 丁度追い縋った及坂の腕を掴んで、まっすぐ大型デパートとビルの隙間の路地に突進した。邪魔になっている真っ黒な自転車らしきものを勢いのまま蹴倒して、突き進む。視界の両側は真っ黒な壁に覆われていて配電盤やボイラーらしき四角い形が突然現れた障害物のように邪魔してくる。当然体のあちこちが接触して痛い。


「な、ナントさんっ。寺に行って、はあっ、寺に行ってどうにもならなければ、その時は? その時はどうするんですかっ?」


「んなこと、無事に帰れたら幾らでも教えてあげるよ」 

 

 そうこうしている内に突然視界が赤く開けた。どこもかしこも物というものが黒く染まっているので距離感を失っていたのだ。道路を見渡すと、さっきまで僕たちを追っていたアレの形はぱっと見三本立っているのが見えた。そして、大通公園から僕たちに着いてきている影は今もビルの隙間から挿す赤い光に頭を照らされながら、路地裏を波が寄せるようなスピードで進んできている。


 もはや、僕のか弱い心肺は大いに悲鳴を挙げていた。


「どうしましょう。そこら中にいますよ!」


「……」


 僕は洞照寺に向かう右方向の道路に立っているアレを見つめた。どういうわけか、あそこに立っているのはまだ動き出していないようだ。ちょうど道路の中央に立っていた際どいが、横を抜けることが出来るかも知れない。抜けられそうな路地は無く、反対方向には別のアレが二つ立っている。


「仕方が無い。あそこを抜けるしか無さそうだ」

 

 僕は右の影を指差した。


「ですね。でも、あの制服――」


 今も、複数のアレが僕たちに近づいている筈だ。僕は立ち止まっている及坂の腕を引っ張って右側に向かう歩道を渡った。停止しているアレとの距離が最も近づいたところで、また、及坂の足が止まる。


「何で?……」


「及坂さん、立ち止まらないで。急ぐんだ」


「何で……」


 僕たちが横を抜けても、道路に突っ立っている影は足下を見つめたように動かなかった。

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