【短編】探偵アパート入居試験

那珂乃

前編

 三月終わりの多摩川では、桜が少しずつ花開く準備を見せている。


 東京都立川市某所。

 商店街の裏道にぽつんと佇んだ一軒の不動産屋まで、リュックサックを背負ったセーラー服姿の少女がいた。


「ご、ごめんください!」


 少女が恐る恐る引き戸を開けば、店内ではカタカタと静かなパソコンキーボードの打鍵音が聞こえてくる。

 看板らしい看板もなく、店内に入るまでは本当にここが噂の不動産屋なのかと、少女がスマホアプリで地図と建物を見比べてもなお疑ってかかったくらいだ。


「その〜う、ホームページで物件見学を予約した分島わけしまなんですけど……」

「……ああ」


 少女が声を掛ければようやく打鍵音は止まり、一人の男がデスクチェアから立ち上がってくる。

 黒いスーツジャケットを着た若い男の、シャツのボタンは一番上が外れていて、しま模様のネクタイはかなり緩んでいた。


「いらっしゃい。分島亜子あこさんですね」

「は、はい!」

「担当の掛田かけだです。さっそく行きましょうか」


 掛田と名乗った不動産屋の男は、ズボンのポケットからジャラリと車の鍵を取り出す。


「え? あ、あの〜う、部屋の間取りとか、交通の便とか、や……家賃の説明は……?」

「必要ですか? 大体の情報はホームページに記載してあった通りですよ。それに、あなたなら現地へ行けば、あなたにとって必要な情報はすべて判明するのでは?」


 入ってきたばかりの扉を出た、すぐ道脇へは黒塗りの車が無造作に停まっている。

 建物の内外をあちこち見渡し戸惑う少女を、掛田は助手席へ案内しながら告げた。


探偵なんでしょう?」




 分島亜子は、この春から上京し都立高校に入学することとなった『女子高生探偵』である。

 中学生の頃から探偵事務所を経営している両親の仕事を手伝うようになり、東京で本格的に探偵業をするべく、高校進学をきっかけに単身でここまでやって来たのだ。

 そんな亜子が黒塗りの車で連れて行かれた先には、ホームページに掲載されていた写真とまったく同じ外観をした建物があった。


「うわ……本当にあったんですね!」


 亜子は助手席から降りるなり、建物を見上げて感嘆する。

 築三十年、二階建てアパート。部屋は一、二階合わせて六部屋あり、それぞれが1DKのバス・トイレ別。室内に洗濯機を置くことができ、靴箱やクローゼット、エアコンも完備。さらには家具家電一式もレンタルで付属しており、入居すればまもなく日常生活に困ることがない。

 スーパーやコンビニも近くにあるから買い物もしやすく、住宅地の外れにあるから治安も良い。電車の駅からやや距離が離れていることが欠点だったが、駐輪場もあるため通学にもさほど問題は起こらないだろう。


「本当なんですか? このアパートが、あんな格安の家賃で借りられるなんて……」

「本当ですよ。ホームページに記載した価格の通りです。光熱費や水道代も、アパートの大家が全額負担します──ただし」


 掛田はわずかに息を止め、間を置いてから亜子に言葉を投げた。長身で見下ろす掛田の目には、少しばかりの挑発めいた態度が透けて見える。


「入居には条件があります」

「条件……ですか?」

「簡単な話ですよ。あなたが探偵であることを、僕やこのアパートの住人たちに証明するだけで良い」


 口角を軽く吊り上げながら、


「証明する方法はただひとつ。このアパートの大家おおやを当ててください」

「なるほど……入居試験、ということですか」


 掛田が叩きつけて来た挑戦状を、亜子は毅然とした態度で受け取った。推理をするとなった途端、先ほどまでの不安げな様子から一変し、期待の新米探偵らしい顔つきになる。

 高校受験を終えてまもない頃だったろうか。一人暮らしできる物件を探していた最中、亜子が偶然見つけたホームページには、太く大きなゴシック体で書かれた見出しがあった。

 ここは東京で唯一の『探偵アパート』。

 アパートで暮らす住人の全員が、探偵業を営んでいるという触れ込みだ。




「まずは部屋を見てみますか?」


 掛田が緩んだネクタイを締め直しながら亜子に提案する。


「203号室が今のところ唯一の空き部屋です。運が良いですね、ちょうど南向きの角部屋ですよ」

「はい。ぜひ見せてください!」


 亜子が即座に返事すれば、掛田はジャラリと再び鍵を取り出す。どうやら車の鍵と一緒に、部屋の鍵もぶら下げて持ち歩いていたらしい。

 こうして亜子のアパート見学と、五人の中から大家を探し出す調査の時間が始まったのであった。

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