第三話


 しばらく、雪の中を散策する。島は温暖であったが、冬はそれなりに冷えて、降った雪はうっすらと積もり始めていた。すでに森の木々は白くなっている。

「キレいなー」

 ユーネがにこにこする。

「ふわふわ降ル。キラキラしテて、アれの風景ミタいなー」

「あれ?」

「なんダっケ? エーと。雪、ふわふワ、降ル、キれーなやツ」

 ユーネは記憶の奥底を探して、ようやく単語を思い出したようだった。

 この泥の獣は、かつて人間だった頃の記憶があるらしく、意外とものをよく知っていた。時々、そのなくした記憶から、単語や思い出が戻ってくるものらしい。

「すのー、ドーむ?」

「スノードーム?」

 ユーネに言われて先ほどことを思い出す。

「そう、オれたち、すのーどームの中、いるミタイ」

 そういえば、ネザアスが言っていた、あのスノードームに入り込んだような自分達だ。

 雪の降る森の中を、一つだけ傘をさして歩いている。

 ウィステリアは思わず苦笑した。

「そうだね」

「へへへ」

 無邪気なユーネに、ウィステリアは尋ねてみた。

「ねえ、ユーさん、いつのまにその姿になったの?」

「へへ、最初、獣デ雪の中、もぐったりして遊んデたケド、寒いトちょっト動き悪イ。ニンゲンのが、動きヤスイ」

 泥の獣は、特別寒さに弱くはない。しかし、不定形の流体ような肉体を持つ彼らの動きは独特で、かえって寒いと自由でなくなるのかもしれない。

「そうなんだ。体が黒物質ブラック・マテリアルだから寒いと固まっちゃうのかな?」

「ソーかも? おレ、寒いの平気ナンだケドなー」

 ユーネは目を瞬かせた。

「なあ、ウィス、あんまりウィスも雪みタことナイ?」

 ウィステリアが、きょとんとするとユーネは言った。

「ウィス、じっと雪見テたカラ。珍シい?」

「うん。そうね。上層にいた時も、下層にいる今も、雪は汚染されてて、あまり触って良いものじゃなかったし。外に行ってみてみようって、なかなかならなかったな」

「そうカー」

 ユーネは何か考え込む。

「こんなキレーなのに、モッタイないナー。雪、キレーなると良いのにナ」

「そうだね」

 見上げると、ユーネがなんだか寒そうに見えた。

 着ているのはスウェットの上下だけ。フリースらしいが、薄くて頼りなさそうだ。丸首のそれの首のあたりも見ていて寒い。

「ユーさん、その服だけじゃ寒いでしょう?」

 ユーネはきよとんとした。

「そうカナー? んー、おレ、寒いノには鈍いカラ。動き鈍クなるダケ。暑いノハ、アンマり得意違うケドな」

「そうなの? でも……、見た目が寒いし。あっ、ちょっと待ってね」

 そういうと、ウィステリアは慌ててポケットから何かを取り出した。ハンカチ大に折りたたまれているそれは携帯用に適した薄手のショールだ。

 赤と黒のリバーシブルになっている。

「これね、夏用なんだけど、ないよりましかな? 少しの間だし、これで我慢しててね」

 そう言ってユーネの首に巻いてやる。

「なつよー? これ、ショール?」

「うん。これはあたしの髪の灰色物質アッシュ・マテリアルを混ぜた繊維でできてるものよ。ちょっとした囚人避けのお守りみたいなところがあるから、魔女はそういうの何枚か作って、普段から持っているの。あたしたちは彼らと繋がりやすいから、自衛策に」

 ウィステリアはユーネを見上げる。

「薄いから寒いかもしれないけど」

「んーん。コレ、ちょっとヌクい! おレ、これでもジューブン! それにコレ、なんかカコイイ!」

 ユーネはにこりとする。

「ウィス、ありがと!」

 そんな無邪気な微笑みをみると、ウィステリアはなんだか胸の奥が温かくなる気がした。

 

 泥の獣、ユーネと暮らした日々は、ウィステリアにとって、幸せな、儚い、大切な思い出だ。



 赤と黒の薄手のショール。

 あのショールは最後の戦いの時、ユーネに巻いてあげたものだった。魔女であるウィステリアの髪は、灰色物質アッシュ・マテリアルという特殊なナノマシンを含み、黒物質や彼らを構築する黒騎士物質ブラック・ナイトに作用する。あの時、彼女はお守りとして、ユーネの首にそれを巻いてあげた。

 そんな思い出のショールが、目の前のネザアスの首にも巻かれている。

 だから、彼は奈落のネザアスであるはずがないのだ。

 けれど、夢の中で出会う彼は、いつでもユーネではなくネザアスだった。

 彼はあくまでネザアスとして振る舞うし、あどけなくて可愛いユーネとは違う。

「で、欲しいものあるか?」

 人の心もいざ知らず、奈落のネザアスにそう尋ねられて、フジコの姿のウィステリアは、はっとして我に帰り、瞳を瞬かせた。

「ウィスは、何が欲しい?」

 ネザアスは、左目を細めて優しく笑う。

「何が? って?」

「何って、その」

 ネザアスはほんのり照れ笑いする。

「そろそろクリスマスだからよ。なんか欲しいもんないか?」

 ネザアスは微笑んだ。

「奈落の冒険の時は、戦闘も激しくて大変だったからよ。モノもなかったし、好きなもの買ってあげられなかったよな。この間、そんなこと思い出しててな。……おれ、今年はさ、なんかあげたいなと思って」

 へへっ、と彼はあどけなく笑う。

「ここならお前に聞けると思ったんだ」

「ネザアスさん」

 ぽつりと返事をしたが、ウィステリアはなんだか上の空だった。その視線を辿ったのか、ネザアスが首を傾げた。

「ああ、これ。もしかして気づいたか? お前がくれたのだったろ」

 ネザアスは左手でショールを引っ張った。

「へへ、実物は戦闘でなくしちまったんだが、ここではまだ大切に持ってるんだ。おれによく似合ってるだろ。結構気に入ってるんだぜ」

 とネザアスは言ってから、彼女の顔を見て不安そうになった。

 ウィステリアが反応を示さず、茫然と彼をみていたからだ。

「えっ? あれ、これ、お前からじゃなかったか? いや、そんなはずはないんだが」

 他の女からもらったモノと間違えたか、みたいな焦り方をするネザアスだ。

「ううん。あたしがあげたのだよ」

 慌ててウィステリアはそういって、安心させるように微笑む。

「ネザアスさん、モテるからたくさん贈り物もらうかもしれないけど、それはあたしからだよ」

「そそ、そうだよな! おれ、お前からの贈り物間違えたりしないぜ!」

 安堵して胸を撫で下ろしながら、ネザアスは笑う。

 けれどそれでわかってしまったのだ。

 やっぱり。

(ユーさんは、ネザアスさんになっちゃったんだな)

 わかっていたのだ。彼がやがてネザアスになってしまうことは。それであどけなくてかわいかったユーネが、いなくなってしまうことも。

 けれど。なんとなく、それが寂しい。

 ネザアスはそんな彼女の心情を知ってか知らずか。

「なあ、プレゼント、何が欲しい? 実は今年はな、ちょっと懐も暖かくてな。お前の好きなもの買ってあげられそうなんだ。でも、おれ、その、なんていうか、面と向かって、うまくお前に聞けねえんだよ。色々あって、その、なあ」

 ネザアスは、苦笑する。

「それでここで聞いてみようって思ってさ。ここなら、おれ、お前にこうして話せるだろ。なあ、高いものでも言っていいぞ。今なら買えるから!」

「何もいらないよ」

 そんなネザアスに、ウィステリアは笑顔で答える。

「えっ? でもよ」

「大丈夫。何もいらないから、どうか暖かくしていて」

 そう言ってウィステリアはネザアスの左手を取る。夢の中なのに彼の手は少し温かく感じられた。

「あたし、ネザアスさんが、この世界のどこかにいてくれるだけでそれでいいんだ」

 その時、ネザアスがどんな顔をしたのか、彼女は思い出せない。

 急に世界が、明るくひらけて、ネザアスの姿も光の中に溶けていく。



 ぱちりと目を開くと見慣れた天井が見える。

 冬の朝の冷たい空気。清らかな朝の光が、彼女を徐々に現実に引き戻していた。

 ぼんやりとしたまま、ウィステリアはしばらく考えていた。

「そっか。……夢、よねえ」

 そうだ。昨日、ステージの仕事から帰ってきて、疲れてシャワーを浴びてすぐに寝落ちしてしまったのだ。

 ベッドサイドのランタンの中では、尽きることない小さな灯火がゆらゆら揺れている。

 それは彼女が、かつて勤めていた灯台からもらってきた種火だった。よくユーネと一緒に管理していたものだ。

 その種火の向こうでリビングにある小さなクリスマスツリーが、見えていた。

 ぼんやりそれをみていたウィステリアは、改めてため息をついた。

「うん。しっかりしなきゃ」

 起き上がって窓の外を見る。

 太陽の光は降り注いでいたが、雪が降ってきているようだ。

「今日、寒くなりそうだな」

 ぽつりとつぶやいた彼女の仕事用スマートフォンには、早速、管理局から本日の指令が到着していた。

『おはよう。レディ・ウィステリア』

 一方的に送られてくる音声メッセージの声は、彼女にとって聞き覚えのあるものだ。落ち着いた男性のもの。上品な声に違わず、彼はいわばやんごとなき人物だった。

『今日はクリスマスイブだったかな。私の立場では面と向かって、お祝いしにくいんだけれど、ハッピーホリデー。楽しいことがあるといいね。そんな日に悪いんだけれど、君に頼みたいことがあってね。詳しくは書面を確認しておいてくれるかな?』

 声を聞きながらウィステリアは画面で仕事の依頼を確認した。

「居住区内囚人の鎮圧命令かあ。急に頼める人、いるかなあ」

 ウィステリアはふとため息をついた。

 居住区内に挟む敵性存在囚人の討伐命令だ。彼女自身は、さほど戦闘力は強くなく、そう簡単に戦って勝てる相手ではない。こういう場合は、囚人ハンティングに慣れた腕利きの獄卒に依頼することになる。

 彼らは報酬を払えば、協力してくれるが、なにぶん急な依頼だと嫌がることもあるから、人選が難しい。

『どなたか、好きな助っ人を頼むと良いけれど、ああそうだ。今日明日は特別な日だから、彼だって言うこときいてくれるよ。困ったら彼に頼みなさい。それじゃあ』

 音声メッセージは、そう無責任に言うとぷつんと切れた。まるで見透かされているようだ。

「エリック様いい加減だなあ」

 ウィステリアは、ため息をついて灯火を見る。実際、今から頼めるとしたら、ほぼ『彼』以外の選択肢はない。

「彼、お願い、きいてくれるかしら」

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