番外編

贈り物は雪の日に

第一話


 ちらちら白いものが降る。


「もうこんな時期なんだ」

 歌い詰めで少し荒らした喉を気にしながら、夜道を歩くウィステリアは空を見上げてポツリと呟く。

(もうクリスマスだものね)

 一般市民は知らまいが、上層アストラル下層ゲヘナも良く知るウィステリアにとっては、雪は雨と同じく穢れたものだった。

 けれど、近ごろはそれなりに管理ができているようで、少なからず、シャロゥグで降る雪は人工的なものであることが多い。事前に予告があったりもするのだ。

 クリスマスの前には、演出として街にこんな風に降ってくる。その雪は危険なこともなく、比較的清らかである。

 ロマンティックな季節に、演出として降る雪は、自然のそれとは違うけれど、何も知らなければただただ綺麗なものだった。


 このハローグローブにも、クリスマスはあった。

 かつては宗教行事だったと聞く。基本的に度を越した宗教行為が推奨されないこの世界において、その宗教行事の部分は削ぎ落とされ、季節感のある商業的なイベントとして残されていた。

 かつて、子供の頃、優しい里親に養われていた時期のある彼女にとって、クリスマスの思い出は少し寂しいがあたたかな思い出だった。

「フジコちゃん、ケーキ食べましょうね」

「チキンも買ってきたぞ。好きなもの食べてくれよ。おれはシャンパン開けちゃうぞ」

 パパもママも彼女には優しかった。上層の上流市民だった二人は、おおよその市民がそうであるように子供がいなかった。それもあって、彼女を本当の子供みたいに可愛がってくれたのだ。

「これがクリスマスケーキなんだ!」

 イチゴののったホイップのケーキ。サンタクロースなるものの、クッキーが飾られている。

 養成所ではクリスマスケーキなんて出なかったので、ウィステリアにとってそれはささやかな幸せな思い出だ。

 それを思い出すせいか、ウィステリアは、この時期になると、小さなクリスマスツリーをそっと自室のリビングに設置するようにしていた。


 クリスマスシーズンは、歌手でもあるウィステリアにとってはかき入れ時で、ステージの依頼がいくつも入る。本職は管理者アドミ調査員エージェントであるウィステリアだが、表の仕事である歌の仕事もそれなりに評価をもらえている。

 それこそ、獄卒のいるような治安の悪い場所のクラブハウスから、高級ホテルでの管理局幹部のパーティーまで。歌手であるということをいいことに、どこにでも呼んでもらえている。それは良いことで、それであるからこそ彼女の仕事は成り立つのではあった。

 管理局、しかも、管理者アドミEの直属の調査員エージェントであるウィステリアにとっては、歌手業も立派な仕事だ。

 さすがにこういう時期には、あまり調査員特有の仕事は入ってこない。特殊な囚人の討伐だとか、不穏分子の制圧にかかるものだとか、そういう仕事を彼女もこなすことがあるが、避けてくれている。ただ、いくつかは当日の朝など、急に指令が回ってくるので、気が抜けない。

「流石に忙しいわね」

 ミニコンサートを三件ほどこなし、家路についていた彼女は、街の中、ぼんやり振る雪を見上げている。

 ステージで歌うのは楽しいけれど、気も張る。

 なんだか、疲れたな。

 そんな風に思いながら、いつのまにか、近くのベンチに座っていた。

 ふわふわと雪が舞い降りてくる。

 寒いけれど、綺麗だ。


 その時。

「よう。そろそろクリスマスだな」

 不意に男の声が聞こえて、ウィステリアは振り返った。

「あれっ?」

 そこに立っている派手な着物の背の高い男を見て、ウィステリアは慌てて自分を見た。

 いつの間にか、自分の姿は大人の妖艶な女から、冬用のあたたかなワンピースを着た少女の姿になっている。黒のタイツにブーツを履いていて、それも子供のころの彼女の持ち物で見覚えがあった。

 その少女の姿で、ウィステリアはベンチに座っていた。

 雪の降る街。

 しかし、人通りはなく、いるのは自分と目の前にいる男だけ。

(また、いつもの夢だ)

 ウィステリアはそう気づいた。

(そうだ。あたし、とっくに家に帰っていて、もう疲れて寝てしまったあとなんだった)

 ウィステリアが、そう考えている間に、男はもう距離を詰めてきていた。

「元気だったか?」

 いつもの、派手な着物を着た男は、そう親しげにはなしかけてきてにやりとしたが、ウィステリアの様子を見てちょっと小首をかしげた。

「どうした? なんか元気ないな。なんだよ、仕事が忙しくて疲れてんのか? あんまり根詰めんなよ。お前、結構まじめなんだから」

 男、奈落のネザアスは柔らかく目を細めて微笑んだ。

「ちょっとは休めよな」

(また、夢の中で、ネザアスさんと会ってるんだ)

 目の前に、この、肩に機械仕掛けの小鳥をのせた隻眼の男が立っているのは、夢の中だという証拠だった。

 なぜなら、彼、黒騎士奈落のネザアスは、とっくに死んでしまっているのだ。過去の戦闘兵器である黒騎士である彼らは、すでに誰も残されていないということになっていて、管理局の記録からも消されている。

 その奈落のネザアスこそ、ウィステリアの初恋の相手だった。

 いつからか、彼と夢の中で時々出会うようになっていたのだが、実のところ、彼女は、目の前の男が本当にあのネザアス本人なのか、それとも違う人物なのかをわかっていない。

 ただ、彼が自分に向ける視線が優しくて、居心地が良いから、その正体を探るのが怖くて、ずっと謎のままにしていた。

 本物かどうかはわからないけれど、彼のくれる優しさと懐かしさは、かつてのネザアスのものと同じだった。

「えっと、そうだね」

 フジコだった頃のウィステリアは、頷いた。

「たくさん、歌のステージをこなしてきたから。昨日は帰ってすぐ寝ちゃったんだ。それで、こうしてネザアスさんと会ってるのかな」

 ウィステリアは笑顔で答えた。

「ネザアスさんと会えるときは、疲れてすぐに寝てしまった時が多いから。でもね、大丈夫。ちゃんと休んでるし、明日もちゃんと歌えるようにコンディション整えているから」

「そうか。気をつけろよ。体が資本だし、お前の声がガサガサになるの、おれも辛い。おれはお前の声が気に入っているからな。大切にしろよなあ」

「うん、ありがとう。ネザアスさんもね」

「はは、おれは上部なんだぜ? 心配することねえよ」

 といいつつ、ネザアスは苦笑した。

「つうても、実はな、おれも徹夜明けなんだ。今は仮眠中」

 にっとネザアスが笑う。

「なんていうか、仮眠中なんで、お前と逆に会いやすかったのかもな。……あんまり意識がはっきりしていると、お前と波長合わせづらい気がするんだ」

 ネザアスは屈託なく笑う。

「実はおれお前と話がしたかったんだよな。ちょうどよかった」

「そうなんだ。あたしも会えて嬉しいな」

 と答えつつ、

「でも、徹夜明けなんて心配だな。寒いんだし、ネザアスさんも気を付けないと体調崩すよ?」

「はは、大丈夫だって。特に、おれは寒いのは平気だからよ。こうして、首に一枚巻いていれば全然平気だ」

 そういうネザアスの首に赤と黒のリバーシブルの薄手のショールがかかっている。女もののショールだが、彼がそうして使うとマントみたいでなかなか格好いい。

(ああ、そうだ)

 彼女は思い出したのだった。

 そのショールは、かつて、ウィステリアがあげたものなのだ。

 しかし、それはネザアスにあげたものではない。彼女がそのショールを入手したころには、すでにネザアスはいなくなっていた。

(やっぱり、そうだ。このひと、やっぱりユーさんなんだ)

 今、目の前の奈落のネザアスが首に巻いているもの。

 彼女がそれを差し出した相手は、灯台の島で彼女と過ごした一匹の獣だった。

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