28.はじまりの泡の記憶 —しゅわしゅわ—-1

 しゅわしゅわわ。

 立ち上る泡。

 黒い一つ目の獣は、温かな海で夢を見ている。

 傍目には黒く濁った海だったが、その中は真っ青な光が差し込む温暖な海。その美しさの中、白い泡が立ち上る。


 キレいだナー。なんてキレーな、しゅわ、シュわだろウ。


 彼は泡を感じながら、海で微睡む。

 美しくて心地よい。ずっと眠っていようか。

 彼はそういう時に、夢を見た。古い古い夢だ。

 それは、記憶の奥底に残る、はじめのゆめ。

 

 しゅわしゅわわ。ごぼごぼ。

 泡。青い液体。鉄の感触。

 ガラスの向こうがくすんで見える。

 そんな中、彼は眠っていた。

 誰かが彼に話しかける。

「やあ、気分はどう? まだ目が覚めてないよね? もうすぐなんだけど、仕上げができてないんだ。まだ寝ていて」

 誰だろう? 聞き覚えがある、気がする。

「実は待ちきれなくて、今日も様子を見にきちゃったんだよ。順調そうでなによりだ。もうすぐ君に会えるの、僕は嬉しいんだ」

はしゃぐ子供のような声。

 生暖かい海のような水の中。

 立ち上る泡の中で、彼はやはり夢を見ているのかもしれない。眠っているはずなのに、誰かの声が聞こえて、うっすらと見えている。

「ずっと君と会いたかったんだ、僕。君は僕を覚えていてくれてる?」

 彼は少しずつ思い出していた。

 忘れているわけないだろう?

 体がないときも、おれは、お前の友達だった。

 けれどソレは伝わらなくて、眠れる彼を前に、そのひとは話をするのだ。


 子供の頃の僕は寂しがりやだった。

 遺伝子操作で優秀な子供として作られた僕は、母のアクセサリー同然だった。大人たちは僕を天才だ神童だのと褒めてくれたけど、同じ年頃の子供はともだちになってくれなかったし、母は僕が他の子と遊ぶことも歓迎しなかった。

 僕はとても孤独だった。

 子供のまま大学に入り、僕は大学の研究チームで、とあるナノマシンの研究に参加した。それは夢みたいな物質でね、それで君たちも形作ったんだ。

 その時、僕には初めて友達ができた。

 同じチームにいたオオヤギさんと、フカセさん。

 オオヤギさんはとても優しくてあたたかい人で役者志望でカッコよくて、フカセさんは口は悪いけど優秀で、ゲームがとてもうまい美青年。二人とも、面白い人だった。

 実験の待ち時間、僕は彼等に遊びを教わった。それは暇さえあれば勉強一辺倒だった僕にとって新鮮な世界だった。よくサボったりもしたね。

 そんな彼らと、僕はゲームを作った。

 当時、オオヤギさんから借りた古い本が僕はお気に入りで、その中のヒーローから何人かキャラクターを拝借した。

 そして、ドレイクと君が生まれた。

 僕は思い入れの深い君たちに、オオヤギさんとフカセさんの姿を投影させた。

 研究チームが解散して、多忙になった二人と遊べなくなった僕は寂しくて、一層君達と遊んだね。とても楽しかったよ。


 その後、いろんなことがあった。

 大人になった僕は、君たちと遊ぶ時間が減っていた。

 その間、僕は忙しくしていた。良いことばかりしていたわけじゃないけれど、君たちを忘れたわけじゃなかったよ。いつだって、君たちは友達だし、求めれば会えた。

 あの日まではね。


 ねえ。あれが何故起こったのか、実のところ僕は理由を知らないんだ。政治的な軋轢とか、はたまた単なる事故だったとか。なんにせよ、僕の日常はある日、炎に包まれて破壊され、叩き潰された。

 この世界は終わろうとしていた。けれど、僕は、この黄昏な世界をもう少しだけでも、長引かせたかったんだ。

 僕は、僕の好きな愛したものをこの世にとどめおくため、この箱庭を作った。

 愚かしいことだと思うだろう? だっていずれは壊れるものだ。僕の作った箱庭は完璧ではなかった。

 けれど、それが僕にできる精一杯だった。

 僕はそのために神様になった。

 しかし、神様の僕はまた孤独になった。問題も山積みだった。

 だから、僕は、僕のお手伝いを君たちにしてほしいと思った。

 僕が幸せだった頃に、好きだった君たちに。

 そして、だから、君たちに体を与えることにしたんだ。君たちをこの世界に引き込むことにした。


 薄く目を開いた彼の目の前を、泡が緩やかに立ち上る。

 泡は美しい。それは黄昏だと言うけれど、この世界は美しい。

「ねえ、XXXX、この黄昏の世界を君と過ごせることを、僕は幸せに思ってる。僕は本当に君に会うのが楽しみだよ。XxXXX」

 ああ。

 なんだよ。ガラスと泡のせいで、声が、うまく聞き取れない。



 泡が立ち上っている。

 強化兵士の妨害を避けて抜けると、ゲートの麓で強大な泥の獣が待っていた。

 文月のエリアは、その花札に描かれるように、猪の怪物がそもそもボスキャラとして配置されていたはずだった。今はそれが汚泥に包まれて変異しており、猪とも狼とも言えぬ巨大な獣が、泥の泡が吹き出す間欠泉のようなものを背にしてこちらに向かう。

「ちっ!」

 連戦で疲れているネザアスは、攻撃を弾かれ、反動でざっと地面に投げ出され、泥まみれになっていた。

「ネザアスさん!」

 海の近く。夏の海の爽やかさはどこへやら、汚染された黒い海で、波が荒々しく打ち寄せている。

 フジコが慌てて駆け寄ると、ネザアスは苦笑して立ち上がった。偵察する為空を飛んでいたスワロが、彼の肩に戻る。

「まったく、ザマァねえなぁ。お嬢レディの前で、あんまり情けねえのは見せたくねえんだけど」

「疲れてるから、仕方ないよ。一度撤退したら。血も出てるから」

 出血は止まっているようだが、彼の着物は赤く汚れている。心配でそう申し出ると、彼は首をふる。

「逃げてもどうせ追いかけてくる。それにな、おれはまだ限界まで体力使ってないぜ。まあ、多少さっきの劣化コピー共に撃たれたとこが響いてるけどな」

 それは、例の毒の涙を武器に応用する研究の成果だろう。傷は深くはないが、たちどころに再生が始まり、怪我が治る黒騎士にしては傷の治りが遅い。

「しかし、アマツノにレポート求められてるからな。ここは落とせねえし」

 戦闘開始前に、あの冷酷な創造主カミは、敵対勢力が強化兵士を唆していることを告げた上で彼に頼んでいた。

『ネザアス、あの武器のレポートが欲しいな。涙の毒がどれほどのものか、知りたいんだ。あの変異した猪のボスも気になる。あいつらに撃たれても、ダメージを受けずに寧ろ強大になっている。何でか知りたいんだ。サンプルを送ってきてよ』

「ネザアスさん! あんなひとの言うこと、きくことないよ!」

 つい感情的になるフジコに、ネザアスは笑って止めた。

「そんなにアイツのことで怒るなよ、ウィス。仕方ねえことだし、怒るだけ体力の無駄だ。そんなことより、な」

 にっと。泥まみれの顔で、彼は子供みたいな笑顔を見せる。

「お前の歌が聴きたいぜ。お前の声は、おれを癒すことができる。戦いながらも体は回復できる。あんな化け物には、歌は響かねえかもしれないが、おれに対しては効くんだぞ」

 そっと肩に手を置いて、彼はいった。

「さあ、おれの歌姫レディウィステリア。お前の歌をおれに聴かせてくれ!」

 間近で見るとその夕陽のような瞳の煌めきは本当の黄昏の海みたいに美しい。フジコは、魅せられたようにじっと見てしまう。

「ネザアスさん、わかったわ!」

「頼むぜ! じゃ、行くぞ!」

 ばっと肩からスワロが飛び立つ。それと同時にネザアスの足が大地を蹴る。

(気持ちを鎮めて、思いを込めて、集中して)

 鼓動をおさめながら、フジコは深呼吸する。

 そっと口を開く。

 フジコの澄み切った歌声感響く中、戦いが始まっていた。



「しかし、無愛想なだけで、なかなかイイ女なんだけどな、コイツ」

「手を出すなって、先生に言われたじゃねえか。惜しいけど仕方ない」

「無愛想な女泣かすの好きなんだけどなー」

 白騎士達が下世話な会話を続ける。

 武器庫の前、縛り上げられたグリシネがうなだれていた。その表情は、氷の女のようにいわれた彼女らしいものだ。冷たく彼らを睨みつけていた。

「この女も魔女らしいからな。魔女でなければ、手を出してもよかったんだが」

灰色合金アッシュ・アロイを抽出するなら、けがすと価値が落ちるんだってなあ。先生がそういうんだ」

 武器庫では、ルーテナント・ワイムの部下たちがそんなことを話している。

(白騎士と名乗っているけれど、こいつらは獄卒だわ)

 グリシネにも灰色物質がある。よって彼女も、相手が黒物質を投与されていることぐらいは感知できた。

(お生憎、私は魔女になれなかった落ちこぼれよ。役に立たない)

 グリシネは歌えない魔女だった。

 いや、歌えるのだが、ウィステリアのように汚泥を鎮めるようなことができない。彼女の歌はどこか尖っていた。

 美しい歌を歌うウィステリアと同じ複製体だが、ウィステリアのようにはうまく歌が歌えなかったのだ。育った環境が違えば、性格や能力には多少影響はある。

 一度は魔女不適格として仮の家庭に引き取られたウィステリアは、実のところ、そのようにして音楽的素養を磨かれた。彼女はお嬢様として育てられることによって、才能を開花させた魔女だった。

 ウィステリアことフジコ09は上流家庭の素養を与えられたのだが、元々フジコのシリーズの複製体は劣悪な環境で育つものすらいた。さまざまな実験のうち、偶然彼女は覚醒した存在だ。

 グリシネはうまく歌えない内に、基地の襲撃に巻き込まれ重傷を負い、別の複製体の情報を混ぜて修復され姿が変わった。魔女としては不適格だが素質の残った彼女は、結果的に彼女たちをサポートする側となった。

 人魚姫にもなれない、海の魔女にもなれない、そんなグリシネはいつしか他人に心を閉ざした。

 そんな彼女には、フジコであるウィステリアは煌びやかな存在である一方で、憐れむべき存在でもあった。優秀な魔女であるゆえに、彼女は孤独を強いられていた。

 かわいそうだと思った。彼女は魔女になれた自分だった。

(YM-012は明らかにウィステリアを狙っている。だから、身代わりに……と思ってきたのだけれど)

 少しは交渉の余地があるかと思ったが、YM-012こと、ルーテナント・ワイムはよほど恐ろしい男だった。

 話をしようと席についてすぐ、彼は燃えるような色の瞳で彼女を一瞥した。そこには感情はのっていないが、そこしれぬ怖さがあった。

「お前は良質ではないが、あの藤色の魔女と呼応する」

 いきなり彼はそう告げた。

「呼応するなら良いものだ。剣は二振必要。お前も確保しておく方が良い」

 そう言うや否や、彼は部下に彼女を捕らえさせた。そして、好色な部下達に感情のこもらない声で牽制した。

「色で穢すことは許されぬ。質が落ちるゆえ、呼応する女が来るまで捕らえておけ。餌があれば、確実に来る」

 そう言いつけて、どこかに行ってしまった。

(助けなんか来るわけないわ。だって、私は冷たいグリシネだもの。魔女の子達に感情移入しないように事務的に接してきた。あの人にだって)

 グリシネは、幼馴染のセーシロー10のことを思い出す。お互いの製造番号を交換したり、もじったりして、二人だけのあだ名をつけて呼び合った。

 しかし、彼が戦場から帰ってきて、姿が変わってしまった時、彼女はそれが受け入れられず、知らないふりをした。その時の彼の様子を遠くから見た。彼が暗い顔をしているのを忘れられなかった。

 それで、ギクシャクしている内に今度は自分が姿を変えることになった。彼女は後悔した。

 だからこそ、かつての自分がそのまま優秀な魔女になったような、そんなウィステリアとせめて幸せになればと思ったのだ。

 それなら、諦めもつく。

(シローくんは、絶対にもう来ない。私のことを別の冷たい女だと思っているだけだから)

 と、周囲がざわついた。誰か来たのか? とグリシネは顔を上げようとしたとき、

「トオコちゃん!」

 びくりとした。声色も見た目もすっかり変わっているのに、その呼び方だけは変わっていない。

「貴様ら何をしている!」

「ルーテナント・フォーゼス。あんたに用はなかったんだけどな? 卯月の魔女はどうした?」

 はっと顔を上げると、白騎士の軍服をきた精悍な男が一人、街灯の下でこちらを睨みつけていた。

「関係がない! 貴様ら、仮にも白騎士がこのようなことを! 許されないことだ! トオコちゃんを離せ!」

 トオコちゃん? 今彼はそう呼んでいるのか、自分のことを。

「シ……」

 グリシネの瞳に涙が溢れた。

「シローくん!」

 思わずそう呼びかける。

 その時、ルーテナント・フォーゼスが彼女を見て、ふっと優しく笑った。

「トオコちゃん! やっと見つけた!」

 姿形にあのセーシロー少年の面影はないのに、その視線は懐かしい彼のものだった。

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