21.夜宴を切り裂く —短夜—-2

「外、いろんなものたくさんだナー。ノワルも楽しいみたい」

 フォーゼスから借りた白騎士用の礼服。

 腰の剣帯に刀を提げ、包帯で右目を覆ったユーネは、フォーゼスに似ていなかったとしても確かに軍人にしか見えなかっただろう。

 あどけない無邪気な言動で気がつかなかったが、彼は立ち姿がそんなふうなのだ。

(まあ、そうよね。ネザアスさんに、すごく似てるんだもの。ユーさん)

 その類似性が、今更、ウィステリアには気にかかる。

 ヤミィ・トウェルフに似てきてしまったという白騎士と、明らかにネザアスに似てきているユーネ。

(もし……)

 ネザアスを構成していた黒騎士ブラック・ナイトが、ユーネを食らってしまっているならどうしよう。

 ウィステリアにはそんな不安があった。ネザアスによく似たユーネと暮らすのは、ウィステリアには幸せなことだったが、そう考えるといいしれなく不安になる。

 ネザアスに似てしまったのは、ユーネが自分の持っていたネザアスの血文字のお守りを吸収してしまったことと、全く無関係ではないからだ。

 ユーネが望んでもいないのに、ネザアスになっていっているのだとしたら、ユーネをそうしてしまったのは自分だ。

 ウィステリアは、泥の獣のユーネ本人も好きだったけれど、彼がネザアスと似ていて、それでうっかりときめいてしまうことだってある。

(あたし。まだ、ユーさんに、最初にユーさんが好きになった"灯台の人魚"があたしじゃないって教えられてない)

 ユーネは、灯台守の魔女を人魚と呼ぶ。

 彼女に惚れ込んで懐いてくれたユーネだが、しかし、彼が最初に惚れ込んだのはきっとウィステリアの前任者の魔女、人魚姫ヤヨイ・マルチアだった。

 マルチアの魔女の衣装は、もっと人魚のような優雅なもので、姿も美しくて人魚姫そのものにみえたはずだ。それに、自分と違って、彼女は本当にお姫様だったから。

 綺麗で儚い人魚姫のような彼女だった。

 人違いさせたまま、ユーネの好意を自分に向けさせている。そのせいで、ユーネは彼女に好かれるためにネザアスを受け入れてはいないのか。

 ウィステリアにはそんな負い目がある。

 けれど、今更それを口にするのが怖かった。

「ウィス、ドーした?」

 近頃のユーネは、やはり声が歪むものの、基本的には少し色気のあるハスキー・ボイスで、以前と違って人の声に聞こえる。

 その外見はネザアスと似て、けれど、彼より幼くて純粋なユーネが、ウィステリアは好きだった。人の姿も獣の姿も。どちらでも。

「ウィス。おレ、頑張ってウィス守るナ! フォーゼスにもいわれてる。会場ついたラ、しゃべらないし、きょろきょろしなイ。珍しいの沢山だけど、我慢。えすこーと、できる!」

 いつのまにか、彼は大人びた表情もするようになった。

「ウィスは安心して、いつもみたいニ歌ってて。おれが守ってあげる」

 ひよよ、とノワルが合いの手を入れるように鳴く。

「ノワルも大丈夫ゆってる」

 ユーネは、使い慣れない右手でそれをそっと撫でる。

 ウィステリアは胸のつかえを隠して、頷いた。

「ありがとうね。ユーさん」

 返事の代わりに、にこっと笑って、ユーネがぎこちなく右手を差し出す。さすがにウィステリアはどきりとした。

 まだあどけなさの漂う表情だが、そんなユーネの姿は妙に格好良く、紳士的だ。

「えすこーと、こうするんだろ? 行こ!」

 会場のホテルが目の前だ。

 もうすぐ夕刻。灯台にはたっぷりと燃料を入れてきたし、ジャックに火の守りを頼んである。きっと自分がいなくても大丈夫だろうけれど。

 と、ふと、留守の島を心配する。

 そんな不安げなウィステリアの表情を伺うように、背の高いユーネが背を屈め左目を細める。

「心配ナイ! だいじょーぶ、おれが守ってあげル」

「うん。お願いね」

 諸々の不安を振り払うようにウィステリアは、ユーネの手を取った。

 ユーネの手の、義肢の関節がほんの少し軋む。



 一曲目が終わると、拍手があがった。

 予算はないようで、バンドははいっていないので自分でピアノを弾きながら、ウィステリアは歌う。ユーネがヴァイオリンを伴奏的につけてくれるのもあるが、ユーネは演奏できる曲が何故か限られているので参加予定は二曲ほど。

 何故その曲しか弾けないのかと、彼に理由を聞いても、バツが悪そうに「ちょっとズルをした」としか教えてくれなかったが、ズルとはなんだろう。

 気にはなるが、準備期間は少なく、色々忙しくて結局聞けなかった。

(でも、本当、このパーティー、何の変哲もないんだけどな)

 パーティーは、別になんということもない普通の立食パーティーだ。

 ウィステリアは、こうした慰問は前からしている。ステージにも慣れているから、取り立てて緊張しない。

 参加しているのは、近くの基地の高位の白騎士たちなどの五十名ほどと、基地の幹部。

 高位の白騎士は、灯台の周りに派遣される白騎士と違って、礼儀正しくプライドが高い。レディとして振る舞っていれば、特に問題はない。多少、ウィステリアに好色な目を向けてくるものもいるが、ぴったりユーネが張り付いて、睨みつけているので、あまりじろじろ見られなかった。

 ユーネは汚泥の感染の後遺症から、喉の調子が悪いということで、愛想笑いをする程度。元からフォーゼスは、こういうところでは愛想が悪かったこともあってか、握手を求められたりすることもなく、今のところはバレていない。

 軍人的な所作や礼儀作法についても、フォーゼスがあらかじめ仕込んでくれており、ユーネも頑張っていて問題はなさそうだった。

 本当に普通。

 上層アストラルの幹部という、主催者だと言う中年男性と挨拶した時も、差し障りのない挨拶をしたくらい。

 労いの言葉をかけられ、どうしても負傷した白騎士を癒したくて、魔女の貴女を呼んだのだ、と篤志家のような態度で話すよさそうな人物に見えた。本音はわからないが。

(というか、負傷している白騎士が誰かもわからないけれどなー)

 彼らがめいめいに食事や会話を楽しむ間に、余興として歌うだけ。歌を聴ききいっているもの、会話や酒を楽しんで、大して聴いていないものもいる。

(あたしの歌の効果は、白騎士にもある程度は効くけれど、本当に効果的なのは黒騎士や黒物質投与の新型強化兵士獄卒に対して。ここにいる白騎士には大きな影響を与えられていないみたい)

 ちらと見ると、ユーネは立ったまま寝そうな顔をしている。ユーネには、やはりきっちり効いているのだ。

 フォーゼスのことを思い出す。体にネザアス由来の黒騎士ブラック・ナイトを保有するフォーゼスも、実は歌により影響されていた。眠るほどは効かないが、気持ちが鎮まると言っていたし、歌を聴くと表情が穏やかになった。

(となるとここにいるのは、全員普通の白騎士かしらね)

 すでに曲は五曲目に入っていた。

 かつてネザアスも好きだったA共通語の歌をアカペラで歌う。穏やかで美しいその歌が始まっても、特に様子は変わらなかったが、歌の中、不意に誰か会場に入ってきた。

 何故か、その時、白騎士達のおしゃへわりが止む。ウィステリアの歌声だけが響く中、その一団が準備されていた椅子の席についた。

 ユーネと同じく、腕が黒くまだらに染まっている。黒物質ブラック・マテリアルの付着が見られる。席が与えられている配慮を考えると、これが感染したと言う白騎士か?

 と思ったが、その男達は少し変だ。白騎士の軍服を着ているのに、他の高位の白騎士のようなお上品さに欠けている。いや、孤島の近くの"質の悪い"白騎士にも比べられない。ゴロツキという言葉が似合う。そんな気配。

 その中で、一際大柄の白騎士がいたが、その白騎士だけは雰囲気が彼等ともガラッと違う。乱れがちな癖の強い髪をまとめた精悍な男で、鋭い目をしている。

 彼だけ、雰囲気が異様だ。たぎるような殺気が漂っているようでありながら、その性質は妙に静かだ。

(もしかして、これがゼス計画の白騎士? YM-012かしら)

 取り巻きの奇妙な白騎士たちが、少なからずウィステリアの歌に当てられて、ふと柔らかくなる中でも、その男だけは全く変わらない。逆に静かな殺気が強くなるようで。

 そして、その瞳が、ウィステリアのほうに静かに向けられる。

 ユーネとは別種の、炎を思わせる照明で赤っぽく見える強い瞳だ。

 歌い終わると、再び、拍手。

 しかし、その途端に、負傷したらしい白騎士達の視線が、歌声の影響から抜けたようにウィステリアに向く。

 好色そうな、なにか品定めするような目。しかも、ただ、下品なだけではなく、何かしらの狙いがあって自分を見ているかのようだ。

 YM-012に至っては、相変わらず静かで表情が読めない。拍手はしていたが、彼の眼差しも真っ直ぐにウィステリアに向けられている。それは取り巻き達と違って、下世話な気配はないものの、まるで狩人のような視線だ。

(なんなの、この視線? あたしの何を品定めしているっていうの?)

 思わずゾッとしてしまい、ウィステリアは次の曲の段取りを忘れてしまいそうになる。

 ふと、YM-012が立ち上がる。その普通動きですら、ウィステリアは本能的に危険を感じる。こちらにくる?

 と、不意にヴァイオリンの音が聞こえた。

 空間を切り裂くようなヴァイオリンの音色。気がつくと、ウィステリアとYM-012の対角線上に、邪魔するようにユーネが立っていた。

 そのままユーネは、一節を奏でる。

 それは、この間から弾いていたような、拙さと機械的な気配のする音ではなく、ひどく攻撃的な音だ。うっすらと哀しみと憂鬱さを漂わせながら、表面は暴力的で尖っている。

(この音……)

 ウィステリアはふと思い出す。

 これと同じような攻撃的な音色のヴァイオリンを、はるか昔、聞いたことがあった。

(この音は、確か……ネザアスさん?)

 どきりとした。

 気がつくと、YM-012は動きを止めて座っている。

 それでいいんだよ。

 と言わんばかりに、ユーネが軽く首を振り、つと、演奏を止め、唇を開いた。

「大人しくしていろ。ヤミィ・トウェルフ」

 ぼそ、とユーネが周りに聞こえないような、小さい低い声で呟いたのを、ウィステリアは確かにきいた。

(ヤミィ?)

 その名前。たしか、その名前は、ユーネに伝えていないはず。

(なんで、名前を?)

 いつもはあどけなく陽気なユーネの瞳に、うっすらと冷たい殺気が宿っている。冷たい反面、すぐにあたりを火の海にでもしそうな焔が、その奥でたぎっているようだ。

 ふっと口元の笑みが歪ませて、彼は白騎士達を睨みつけていた。

 そんな表情は初めて見る。

 ユーネは何も言わないが、その瞳が敵意を語る。

 ユーネはウィステリアに視線を合わせることもなく、突然、続きを奏で出す。

 その音色は、対象を攻撃しているように尖っている。それは、YM-012だけに向けられている。周りには少し激しい演奏としか捉えられないかもしれない。

 確かその曲は、四季の夏。夏の嵐の情景を示す第三楽章。

 切り裂くような音色を奏でながら、ユーネの瞳は殺意に彩られている。そんな彼は、誰かのように悪魔的だった。

 短い夏の夜。

 きっと彼等には短夜みじかよを惜しむような奇特な心はないが、短いからこそ、夜はきっとかえって烈しく燃え上がる。

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