20.夕立ヴァイオリン —入道雲—-2
*
『ということです。高位の白騎士の集まるパーティーで、貴女に歌ってほしいとの依頼がきています。島を離れる許可を出しますので、参加していただけますか?』
真っ青な空に立ち上る入道雲。
窓との間には、この間ユーネの依頼で取り出したヴァイオリンのケースが立てかけてある。聞きたいというので、弾いてあげた。
グリシネと通話しながらも、窓から見える夏らしいその雲に、ウィステリアは少し不安になっていた。
今日はユーネが、獣の姿で海に遊びに行っているはずなのだ。相変わらず、海で動く時には獣の姿の方が楽なのだという。
といっても、この頃の彼はほとんどヒトの姿で過ごすことが多い。右半身や末端部分にのこった変化しきれず、黒いままになっていた部分も人の肌に完全に擬態するようになりつつある。ただどうしても右腕だけは再生できず、右目も失明したままだ。そこは、取り込んだ奈落のネザアスの影響がうかがわれた。
(夕立になりそう。ユーさん大丈夫かな。心配だなあ。後で迎えに行こうかしら)
『ウィステリア?』
ウィステリアは、慌てて返事をした。
「あ、はい。え、ええと、歌の依頼でしたね」
(歌の依頼? 島を離れてもかまわないとか、珍しいな)
それはそれで、買い物もできたりして気分転換に良いのだが。めったと島を出る許可は出ない。
通信相手はグリシネだ。しかも、珍しいことにまた映像付き。ビデオ通話を頻繁に行うようなまめな女ではなかったのに、このところのグリシネはどうにも連絡が密だった。相変わらずフォーゼスの話はしてこないが。
よそ見していたことを咎められるか、と思ったが、グリシネは何事もなかったかのように続ける。
『パーティーとありますが、実際は、白騎士の治療に関わる慰問です。囚人により負傷した白騎士に貴女の歌を聞かせて、治癒を促進したいとの依頼ですね。依頼主は、この近くを管轄している、
「白騎士の治療ですか?」
『ええ。強い反応を示した囚人は、この間の大捜索でも見つかりませんでした。しかし、行方不明になっていた白騎士が一人保護されました。その白騎士と他の負傷した白騎士のために歌ってほしいとのことです』
「その白騎士というと、優秀な白騎士の複製として造られて派遣されたという強化兵士達ですか?」
『ええ。ルーテナント・フォーゼスが派遣される前に負傷したり、行方不明になっていた者です。行方不明のものについては、島ではなく陸側の森の中で、茫然自失の体になっているところを保護されましたが、先頃回復したとの話です』
「それは、助かって良かった」
ウィステリアの言葉は本心だ。
「その方が無事なら、襲ってきた囚人についての証言も得られるのでは?」
『それが……』
と、グリシネは、彼女らしからぬ反応だった。
「どうしたんですか?」
ウィステリアが尋ねると、グリシネは言葉を濁す。
『ウヅキ・ウィステリア。貴女は、ルーテナント・フォーゼスと親しくしているようですね?』
今更、ここでその質問?
ウィステリアは拍子抜けしつつ。
「ええ、フォーゼス隊長には何かと良くしていただいています。ただ、白騎士たちが噂するような関係ではありません。あの方は、あたしに同情して協力してくれているのです」
ここはバシッと否定しておく。ウィステリアとしても、グリシネに誤解されるのは本意ではない。
『いえ、私はそのようなことを気にしているのではなく』
と歯切れが悪い。
『貴女は、確か、少女の頃、奈落の浄化作戦に参加されたと聞いています。その時に、黒騎士のYUN-BK-02、通称奈落のネザアスに出会っていますね』
「はい、それが何か?」
『率直にいって、フォーゼスは奈落のネザアスと似ていますか?』
そう訊かれて、ウィステリアは戸惑う。
「えー、と、そうですね。確かに外見は、よく似ていますよ」
『外見だけですか?』
「ええ、人格や雰囲気はまるで違います」
寧ろ、それをいうとユーネの方がまだ似ている。几帳面で真面目なフォーゼスと、
グリシネはそうですか、とぽつりと呟き、安堵したような気配があった。
「どうしたんですか? なぜそんなことを?」
『いっ、いえ、ルーテナント・フォーゼスは、ゼス計画というかつての黒騎士のナノマシンを投与する実験の生存者ですから』
氷の女、グリシネが無表情を保てなくなっていた。
『確認したかったのです。……その、救出された白騎士もゼス計画の生存者でしたから』
「どういうことですか? グリシネ」
『その、救出された白騎士、ZES-YM-WK-012なのですが、彼は救出前と少し雰囲気が違うようなのです』
「雰囲気とは?」
『彼は提供元の騎士ヤミィ・トウェルフの外見だけでなく、その記憶や人格まで少しずつ侵食されているような気配があったそうです。ですから、その』
グリシネは躊躇いがちに言った。
『黒騎士ユウレッド・ネザアスを提供元とするフォーゼスも、同じでないかと思ったものですから。提供元のナノマシン
「ヤミィ・トウェルフ」
ぽつんとウィステリアはつぶやいた。
ヤミィ・トウェルフは、確かネザアスが何度か口にしていた黒騎士だ。
創造主アマツノのお気に入りとなった最強の騎士の名前。
そして、ネザアスの言葉によれば、黒騎士叛乱の首謀者であった男。
叛乱を起こした際、彼はあまりにも強く、ネザアスとドレイクをかなり苦しめたという。右腕の修復処置が行われたネザアスの右腕を右半身ごと吹っ飛ばしたのも、おそらく彼。
「まさか」
そんな黒騎士の残滓を、まだ管理局は使っているのか?
『貴女にこの依頼をするのは、その白騎士の様子を見てはほしいからでもあるのです。ルーテナント・フォーゼスの協力が必要であれば依頼をします。よろしくお願いします』
*
「雨、降ってきたー」
獣の姿で縄張りの入江のパトロールに出かけたユーネは、すでに陸で人の姿になっていた。
前に住んでいた入江をぐるりと確認し、それから人の姿になり、ドレイクを匿っている小屋の様子を見にいったところだった。
「うー、雨じゃなかったラ、ウィスと、海遊びに行けたのにナー」
そんな呑気なことを言うユーネに、入り口まできたドレイクは、静かに告げた。
「お前は雨でも平気だが、早く帰ったほうがいいぞ。雨の頃、泥の獣は凶暴になるものだ」
「わかっタ。じゃ、ドレイク、ちゃんとメシ食べろ。いいナ」
ドレイクは返事をしないわけだが、それにまったく、とぶつくさいいつつ、ユーネは帰路についた。ここにくるのは、ドレイクの生存確認だ。
雨足が強まる。別に汚染された雨にあたっても平気だが、パーカーのフードを深くかぶる。相変わらず、三角の耳がぺろぺろと揺れる。
「傘かレインコート、持ってキたらよかったな。ノワル」
ユーネは、瓶に金魚のようなノワルをいれて首から下げている。ノワルが瓶越しに、ユーネに甘えるような仕草をする。そんな仕草がユーネにはとりわけ可愛い。
強い雨に、ユーネは慌てて近くの大きな木の下に避難した。遠雷が聞こえる。
「夕立ってヤツ? 時間経ったら、やむかナー」
まだ灯台守宿舎までは、少し距離がある。まだ日が暮れるには早いが、
「夕暮れナルと、ウィス心配するかな。待てなかったラ、濡れて帰ロ」
ノワルにそう話しかけて、ユーネはポケットからアルミ包装の薄いシートを取り出した。
「ノワル、おれ、イイもの見つけたんだ。なにかわからナかったから、ドレイクに教えてもらタ」
ぴらぴらと振る。
「こレ、ゼラチン・チップいうやつ。あの、写真のやつノ部屋の引き出し、ぴってしたラあった。ドレイク言ってタ。これ食べると、楽器弾ける。これ多分ヴァイオリンてやつ弾けるノ。ヴァイオリン、確かウィス持ってる。この前、弾いてもらってヨイ感じだった!」
ユーネはノワルに絵を見せながら言った。
「これ食べたら、ウィスが歌ってルとき、伴奏できる。ソレ、良いな。おれ、うた、うまくナイし、楽器無理だケド、でも、一緒に音楽したいよナー」
あ、とユーネは、思い出す。
「デモ、これ、一週間しか覚えない言ってタ。練習して、自分のキオクにしないとすぐ忘れルって。ドレイクは、これを応用した、バックアップてノあるとか言ってたケド、なんのコトかな。聞いてみたけど、教えてくれなかった」
うーん、とユーネは考え込む。
「マ、いい。ウィスに報告して、一緒に遊ぶ」
まだ雷の音が鳴っているが、雨はすぐに止み出した。
さあっと空が晴れる。ユーネが木の下から歩き出すと、小高い丘から海が見える。
海の上には大きな入道雲が立ち上ってきた。
「おー! なんだ、絵日記にでてくるやつみたいな、海と空!」
ユーネが独特の表現で感嘆する。確かに典型的な、夏の空だ。
不意にぴちっと音がした。きょとんとしてユーネが、音の出どころを見ると、ノワルが何故か瓶の蓋に飛び上がっている。
「ノワル、どうした?」
ぴちぴちとふたに当たるノワル。ユーネは心配になって、慌てて蓋を開ける。
その時、ノワルが空中に飛び出した。
雨の止んだ空。広がり始めた青い空と青い海、海の上の入道雲。
まだどこかで遠雷の聞こえる空に、黒いノワルが瓶から飛び上がる。
ユーネは反射的にそれを左手で捕まえた。
「ユーさん!」
どこからか声がして、ユーネがそちらをみると傘を持ったウィステリアが、こちらにかけてきていた。
「ユーさん、雨大丈夫だった? 姿が見えたから迎えにきたわ」
「ウィスー!」
ユーネは、慌てたようにウィステリアに駆け寄った。
「ウィス、どうしよ!」
ユーネは若干興奮気味だ。
「どうしたの?」
「ウィス、ノワル、鳥になってる!」
「え?」
瓶から飛び出したノワルは、そのまま羽ばたいて、大空に飛び立つと思いきや。
それからぺたんと落ちそうになって、ユーネが慌てて捕まえた。
それは黒いふわふわした何かである。
「鳥というヨリ、ひよこ?」
「ひ、ひよこみたいね」
ぴいぴいぴい。
黒いふわっとしたひよこのようなものが、手のひらでないている。地面に離すと、ネザアスの足元を、ひよひよ鳴きながら跳ねている。
「黒物質は変化しやすいけど、何故かひよこね。ユーさんが、小鳥小鳥って念じてたからかな」
ノワルは、前もくらげになった。何かしら、ユーネの意識が影響はしている気がする。
「嬉しいケド、うーん」
と悩んだ後、ユーネは顔を上げて、あ、と声をあげた。
「あー、そうカー」
ユーネは不意にうなずいた。
「夏の空がこんなにスゴく青いから、ノワル、空飛びたくなったんだナー。それで、トリになったんだ。まだひよこだけど、これから小鳥になるカモ」
「え?」
そんなユーネの声に顔を上げると、雨の止んだ空は雲が晴れて真っ青だ。
青い海の上に、入道雲が立ち上る夏の絵日記のような空が、目の前に広がる。
「ははー、ノワルがその気になったノ、空のおかげ。入道雲に感謝しなキャだナ!」
返事をするように、黒いノワルがぴよぴよと鳴き声を上げていた。
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