4-5

 日が落ちて空が真っ暗になっても、街中の至る所で明かりが灯り、どこを歩いても彩光で満ちている。

 僕らは港とは反対側、街を囲う壁に沿うように隣接する見張り台までやってきた。普段は海から敵襲がないか見張る場所だが、今は仮設の見張り塔が海辺に設置されているため、今夜は使われない。

 見張り台と言ってもここのは、少し特殊な造りをしている。周りよりも高くなるように土を盛り、周りを煉瓦レンガで固めただけだ。台に登るときは両端の階段から登ることができ、前面には落ちないよう、腰ほどの高さの煉瓦の壁が取り付けられている。

「ラルフ。ここで何をするの?」

 と、リオラが不思議そうに尋ねる。僕は時計台で時間を確認して言った。

「何もしないよ。見るだけさ。——そろそろ時間だよ」

 火薬が弾ける大きな爆発音——。

 突然、夜空を彩る大きな光の花が咲いた。大きな音と彩光にリオラは驚いたように顔を向ける。だけど、次の花火が打ち上がると、それに負けない明るい笑顔を見せた。

 生まれて初めて見る花火はとても綺麗だった。華やかで色とりどりで散りゆく姿までもが、とても美しい。

 僕とリオラが花火に魅入っていると、エミリーが僕の耳元で囁く。

「リオラに贈り物を渡したいから買いに行ってくるね」

 エミリーは一人階段を降りていった。きっと気を遣ってくれたのだろう。僕はリオラと一緒に打ち上がる花火を見続けた。

 華やかに咲く光の花が散るように消えていく様は、綺麗だけど、どこか寂しさもあった。

 絶え間なく打ち上がる花火をリオラは壁に手をかけ、身を乗り出して見入る。それを見て、僕は隣に歩み寄った。しばらく夜空を彩る光の花を見ていると、リオラの唇が僕の頬に触れた。 

 突然の柔らかな感触に振り向くとリオラは恥ずかしそうに笑う。

「リオラね。ラルフのこと大好き————。ラルフは……?」

 頬を赤く染め、少し俯きながらも僕の目をまっすぐ見つめる瞳。その気持ちは僕も同じだ。 

 僕はリオラに想いを伝えるべく、口を開く。

「僕もリオラのこと……」

「——ボォォオオアアアアオ!!」

 突然、この世のものとは思えない絶叫が夜空を駆け巡った。人のものでも獣のものでもない。怪物や魔物を思わせる轟。

 僕は、一瞬であの悪魔の造形が頭の中で思い浮かぶ。声の主は紛れもない奴のものだ。数多の書紀に記されていた憎しみにのまれ人の心臓を求め彷徨う悪魔の人獣。

 ディアトロスが現れたのだ。

 その目的は星の子が持つエネルギー。

 ディアトロスは夜闇から浮き上がるように現れる。一体。二体。三体と次々に姿を現す。巨大な蝙蝠のような翼をはためかせ、街を巡回するように飛ぶと、一体がひらりと急降下に切り替える。そいつは、近くの露店を踏みつけて降り立った。土煙が巻き上がる中、近くにいた男にヤツの腕が伸びる。

 縄のように浮立つ筋。その凶々しい手が男の胸に入りこんだ。そして、何かを掴んだ。

 引き抜かれたその手には、血濡れた赤い臓物が脈打つ。

 ディアトロスは何かに取り憑かれたようにその手を口元に運ぶ。奴が背面を向けてるせいで何をしているのかは見えないが、その行動は容易に想像ができた。

 喰ったのだ。

 書紀のとおり、ヤツが人の心臓を好んで喰うのならエミリーも危ない。

 ——助けないと。

 だが、そんな思考は隣にいるリオラを見て消え去ってしまった。僕には彼女を守り抜かないといけない責務がある。

 まずは、リオラを安全な場所に連れて行かないといけない。

 そう思いリオラの手を掴んで移動しようとしたそのとき——。

 風の音。グルルルルと喉を鳴らすヤツの音が頭上から聞こえてくる。僕は天を仰いだ。

 上空でディアトロスがこちらを見下ろしていた。一体が頭上を徘徊するように飛んでいる。一見、興味なさげにも見えた。だが、そいつの赤い眼は真っ直ぐこちらを捉えていた。

 背筋がぞくりと凍りつく。巨大な魔物。死の恐怖。

 見えない何かが、体全体を覆っているかのように脚が、腕が、身体全体が動かなくなる。

 けれど逃げないと殺される。

 僕はリオラの手を引いて走った。石の階段を転げ落ちるように降りると、街路を駆ける。そんな僕らをディアトロスがただ見たまま逃すわけがなかった。背中から近づく風の音が聞こえたかと思うと、そいつは火薬の爆発音にも似た音のような奇声を発した。

 心臓がひっくり返りそうだった。

 ——死ぬ——。

 その恐怖がもう、すぐそこまで迫っていた。

 

 ◇

 

 街は混乱状態だった。どこに行ってもディアトロスがいる状況。逃げ場もなく、ただ、自分が食われる順番が回ってこないことを願う人々が駆け回っている。そして、僕もその一人だった。

 いや、少し違ったかもしれない。リオラを守ために僕はいま、彼女を連れて逃げている。ヒヤリと皮膚を冷ます汗が、背中、首元から全身を回ろうとしていた。

 ——逃げても無駄だ。

 そんなことわかりきっていた。ディアトロスが街を囲うように飛び回り、僕ら人間を逃すことはないだろう。

 まるで柵の中で肉になる瞬間を待ち続ける家畜と変わらないな……。

 そんな思考が不意に頭をよぎった。このまま逃げたってほんの数時しか時間を稼げないのなら戦ったほうが生き残れるのかもしれない。このまま死ぬのなんて嫌だ。

「「ビョウアアアアアア!!」」

 またもやディアトロスの奇声が沸き起こる。もうあちこちで耳がおかしくなるほど聞いたので驚きもしない。

 さっき振り向いた時、ヤツの姿は見えなかった。声だけは後ろからするのに、ヤツの姿はめっきり見えなくなった。いったい奴らはなんなんのか。

 不意に正面の枝道から尋常でないほどの嫌な気配を感じた。建物の影からぬっと、ディアトロスが姿をあらわす。

 反射的に足を止めた。凶々しい化け物の腕が真っ直ぐリオラに伸ばされる。

 僕は剣を引き抜いた。その歪なほど大きな手を切り付けるように僕は剣を振る。

 しかし、簡単に弾かれてしまった。ヤツの鋭い爪は鉄よりも硬いのか、僕の剣は簡単に止められ、反対の拳に突き飛ばされてしまった。

「ラルフ!」

リオラが叫ぶ。

 僕は二転三転して路面に突っ伏した。起き上がって振り向いた時、僕は目の前の光景に息を呑んだ。

 不思議な力が働いていた。まるでリオラを包むように。

 リオラの髪がふわりと持ち上がる。銀色の絹糸のように煌めく髪が、まるで下から風が噴き上げているかのようにゆらめく。

さらに足元からは白純の光がさしていた。その光景はあまりにも神秘的で美しかった。

 驚いたことにディアトロスの腕がリオラに届いていない。半歩先で必ず止まる。まるで、そこに見えない障壁が貼ってあるかのようだった。 

 ディアトロスは、目の前の獲物に手が届かないことに苛立ったのか、狂ったように何度も拳を振るった。しかし、何度叩きつけても、その手はリオラに届かない。

 ——これが星の子の力。

 僕はただただ美しくて眺めていた。絶対に破れない力強さと安心感。幻想的なほどに美しい光に僕は目を奪われた。

 けれど……。この機を逃すわけにはいかない。ディアトロスがリオラに夢中になっているこの時間は、攻撃するのにこの上ない好機なのだ。

 僕は右手に力を込め前方にかざす。熱い。

 熱が肘から手にかけて抜けていく。左手を手首に添えてさらにその波動を増強する。狙う獲物は目の前のディアトロス。この醜い姿のモンスター一体に向けて僕は力を解放する。 

 かざした掌から炎が飛び出る。炎はまるで大蛇のように中空を泳ぐとディアトロスに纏わりついた。

 強烈な悲鳴をあげるディアトロス。ヤツの体を炎が包み込み、その身をどんどん焦がしてく。苦しみの咆哮を上げる中、僕は一瞬自分の耳を疑った。

 ——熱い——、

 ——痛い——、

 ——苦しい——。

 聞こえるはずのない言葉を耳にしても僕は炎を出し続けた。ヤツが力尽きるまで、その生力を燃やし尽くすまで——。

 やがて声が止み、ディアトロスの身体はばたりと倒れる。その巨躯はちりじりバラバラに砕けると、空気に紛れるように姿形を消した。

 しかし、さっきの声が耳から離れない。まるで人が言っているみたいだった。ヤツは人獣でいわゆる悪魔の一種だ。人語を使うなんてこと、あるはずないのに。

「どうしたの、ラルフ? 早くここから離れよ」

 リオラが不意に覗き込む。彼女の言うとおり僕らに立ち止まっている時間はない。

「そうだね。早く行こう」と言って、僕はリオラの手をひく。悲鳴のこだまする街を僕らは駆けた。


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